2021年9月12日 主日礼拝メッセージ

イサクの生涯から学ぶ教訓」創世記26章12~22節 金田洋介牧師

 

26章の出来事は、イサクの人となりがよくわかる箇所です。彼が直面する出来事、それに対する彼の行動から、神様が何を教えようとしておられるのか学びましょう。

①イサクが経験した困難と失敗から学ぶ

イサクの時代も、厳しい飢饉がありました。しかし神様は、イサクに今いる地にとどまらせなさいました。今いる地も含めたカナンの地全体を与えると約束されていたからです。苦しくても、わたしの祝福の約束を信じなさいと、飢饉という困難を通してイサクの信仰を訓練されたのです。ところが、イサクはここで失敗をします。自分の命を守るため、妻リベカを妹だと偽ったのです。しかし神様は、どこまでもご自身の言葉と存在を掛けて真実を尽くし、失望せず諦めず、忍耐をもって向き合い続けられます。私たちが困難に直面するとき、私たちの本性、本質が浮き彫りになります。罪深い自らの性質、本質に失望するかもしれません。しかし、主イエス様の流された血が、私たちをきよめてくださいます(Ⅰヨハネ1章7節、イザヤ1章18節)。

②神に祝福されるイサク、民に妬まれるイサクから学ぶこと

失敗をしたイサクでしたが、その地にとどまりなさいという神様のみ言葉に従いました。神様は彼を、大収穫に導かれました。彼は神様のお力を見ました。物質的な祝福よりも、神様が共におられ、みわざを体験できたことが、何にも勝る祝福でした。しかし、豊かになったことで、イサクはその地域のペリシテ人に妬まれました。井戸は塞がれ、せっかくの安住の地を失ってしまうのです。神様を体験しつつも、思いがけない困難に襲われることがあります。しかし、イサクは争うことなく、黙って退きます。彼が父アブラハムから受けた遺産は、神様の約束を信じてみ言葉に立つ信仰でした。神様の約束への信頼が、彼に寛容と忍耐、柔和、目に見えるものではなく、目に見えないお方を信頼する生き方をもたらしたのです。ついに、三つ目に掘った井戸は、平和のうちに所有することができました。

私たちの約束の地は、今、あなたが置かれている全ての場所と言えます。困難や試練に直面した時、何よりもまず、神様の御声を聞きましょう。神様がすべてを知り、約束のみ言葉を下さっていると信じて、どこまでも神様を信頼する者となれますように。イサクの生涯から学んだことが、あなたの生涯にも活かされ、神様を体験できますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユキヤナギ、ユリ、リンドウ、カーネーション、ガーベラです。