説教要旨」カテゴリーアーカイブ

2019年8月4日 主日礼拝メッセージ

「パウロの勧め~召しにふさわしく歩みなさい~」 エペソ人への手紙4章1~6節 金田洋介牧師

エペソ人への手紙4章以降は、神に召されたものがいかに歩むべきかが語られています。私たちは神に出会うまでは自分の思うままに歩んでいましたが、神に召され、神の家族の一員となりました。召された者として歩むとはどのような歩みでしょうか。

1.謙遜と柔和の限りを尽くす 2節

2節「謙遜と柔和の限りを尽くし」。謙遜とは、神の前に自分は誇るものなど何もない人間だと認めることです。柔和とは、イライラするような状況でも自らを治める自制と言えるでしょう。批判や恥を受けても、私は神の前には恥を受けるべき存在なのだと、自らを低くすることが謙遜と柔和の限りを尽くすことなのです。

2.寛容を示す

寛容とは、馬の合わない人を受け入れることと言えるでしょう。全く違う価値観の人々との違いを認め、理解をしようと努め、時に尊敬し、そこから学ぼうとする。これが寛容と言えるでしょう。

3.忍耐の愛

謙遜も柔和も寛容も、愛から生まれるものです。愛は忍耐が伴います。しかし人の愛には限界があります。神の愛を知り、受け取って初めて、謙遜と柔和と寛容の道を歩みだせるのです。

4.平和の絆を結ぶ 3節

私たちは神と敵対している存在でしたが、イエスの十字架と復活によって神との和解が与えられ、平和を得ました。神との平和を得た私たちは、人との平和を結ぶようになるのです。世に遣わされたとき、それが難しく感じることはあるでしょう。聖霊のお力だけが、平和を可能にしてくださいます。

4~6節。私たちは聖徒同士の愛の交わりを通して愛することを学び、知り、体験します。信仰は一つ、バプテスマは一つ…同じ主を信じた私たちに、聖霊は同じように臨まれます。自分の力に頼ってはいけません。どこまでも主を信頼しなさい。主が必ず、あなたを召しにふさわしく整えて下さいます。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゆり、オンシジューム、グラジオラス、パンパス、つつじです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライス、写真はありませんが、野菜の浅漬け、お土産のお菓子でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

 

2019年7月28日 主日礼拝メッセージ

「パウロの祈り」 エペソ人への手紙3章14~19節   金田洋介牧師

これまでパウロは、ユダヤ人も異邦人も一つの「神の家族」とされたことを手紙で説き明かしてきました。パウロは「神の家族」を生み出してくださった神を「父」としてあがめ、その父なる神の前にひざまずいて祈る(15節)と言っています。

Ⅰ.内なる人が強められるように

パウロは御霊によって内なる人が強められるよう祈っています(15節)。イエスを救い主と信じた人は、自己中心とこの世の価値観に従っていた者から、イエスと共に生きる新しい命、神の御言葉に基づく価値観を持つ者とされました。この祈りは、クリスチャンとなった人々が過去の虚しい生き方に戻らないよう、御霊の力によって日々守られ、強められるようにとの祈りなのです。

Ⅱ.キリストが心のうちに住んでくださるように

次にパウロは「あなた方の心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」(17節)と祈っています。イエスを信じ受け入れた人はみな、自分という家にイエスをお迎えしたようなものです。そしてイエスは、「決してあなたを離れずあなたを捨てない」と約束しておられるように、あなたの人生を共に歩んで下さるのです。この「住む」という言葉は、「定住する」という意味です。つまり、パウロの祈りは「あなたがたの心の内に住んで下さったイエスを、どこかの部屋に追いやるのではなく、あなたの家の中心(心の真ん中)に定住していただき、あなたの主人になって下さるように」という祈りなのです。

Ⅲ.キリストの愛を理解することができるように

最後に、パウロは「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ…を知ることができるように(18~19節)」と祈っています。イエスの愛は、どんな人にも与えられ( 広さ)、永遠にまで至り(長さ)、卑しい私たちを神の御許に引き上げ(高さ)、罪による死と滅びという絶望の淵の深みにまで届く(深さ)、人知を遥かに超えた愛です。このキリストの愛は、神の家族とされた聖徒たち一人一人の愛の関係の中に現れるのです。

このパウロの祈りを私たちの日々の祈りとしてささげましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、レッドジンジャー、ゆり、八重ひまわり、アレカヤシです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、豚汁、かぼちゃサラダ、ごはん、スイカ、かぼちゃケーキ、お土産のお菓子もありました。たまにこんな豪華メニューが出ます!(^^)!。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年7月21日 主日礼拝メッセージ

「イエス様の命令と約束」 マタイの福音書28章16~20節 金田洋介牧師

キッズサマーキャンプと合流しての礼拝です。本日のメッセージはキャンプのテーマに合わせて語ってまいります。聖書箇所から、十字架の死から復活されたイエスが弟子たちに与えられた命令と約束を学んでまいりましょう。

イエスの復活の知らせを、直接イエスに会った女弟子たちから聞いた十一弟子たちは、イエスが命じられた通りにガリラヤへと向かいました。ガリラヤは、かつて弟子たちがイエスの弟子として出発した思い出深い地でした。

彼らは復活されたイエスに会い、礼拝しました。イエスが神の御子であり、神ご自身であることを信じたからです。しかし、甦られたイエスを信じることができなかったのか、中には疑うものもいました。そんな彼らにイエスは近づかれ、『 私は天においても地においても、すべての権威が与えられています。』と宣言されました。これは、イエスご自身が全てのことにおいて、絶対的な権威を父なる神様から与えられていることを意味しています。疑う弟子たちに、イエスこそ礼拝されるべき存在であるということを教えたのです。そしてイエスは『あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなた方に命じておいた、すべての事を守るように教えなさい。』と命じられました。弟子たちはこの命令に従い、全世界に出て行って福音を宣べ伝えたのです。

この命令は、現代の弟子である私たちにも与えられています。私たちはイエスの十字架と復活の福音、イエス・キリストの言葉を述べ伝える使命が与えられているのです。しかし、イエスは私たちだけにその使命を押し付けたりはしません。主イエスは、『見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。』語っておられます。この言葉は真実です。私たちは、主イエスがいつも共におられるということを、現実の日常生活や、信仰生活の中で体験することができるばかりか、その体験を通して私たちの信仰はさらにゆるぎないものへと成長していくのです。いつも共におられる主を喜び、賛美しつつ、福音を携えて世に出ていきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユリ、グラジオラス、リンドウ、トルコキキョウです!

この日は、キッズサマーキャンプが教会で行われました。
ゲームや賛美、お話を聞いたり、

あいにくの雨でしたが、傘をさして花火をしたり、

ラジオ体操をしたり、

礼拝で思いっきり賛美したり、

牧師先生を的に、一斉に水鉄砲を噴射したりと、
たのしい二日間でした。

 

 

2019年7月14日 主日礼拝メッセージ

「キリスト・イエスにある恵み」 エペソ人への手紙 2章11~22節 金田洋介牧師

イエス様を信じる以前のかつての姿と、イエス様を通して与えられている恵みを、パウロは教えています。

Ⅰ.キリストにあって神様に近い者とされた

エペソ教会に集う人々のかつての姿は、イスラエルの民のように「救い主をもたない」異邦人でした。また、神様の民イスラエルが受けるような祝福にも与れません。まさに、「この世にあって望みもなく、神もない者たち(12節)」でした。ところが、キリストの血によって「神様に近い者」にされたとパウロは諭します。それはすなわち、神様と正しい関係が結ばれたということです。

Ⅱ.キリストにあって一つとされている

続いてパウロは、互いに敵意をもって拒絶し合っていたユダヤ人と異邦人とが、キリストにあって一つにされたと教えました。一つとは同じ救いを得た者同士の意味で、救いとは神様との和解を意味しています。前述の「神様と正しい関係が結ばれた」とは、まさにこの神様との和解のことなのです。神様と和解し、神様との関係が回復されたことによって、神様の御心を知る者、御心を行う者とされました。その結果、神様との和解がユダヤ人と異邦人とに和解と平和を生み、神の家族が誕生したのです。私たちの教会も同じ救いを得た者の集まり、共に重荷を担い、共に喜び、共に泣き、共に祈る、神の家族なのです。

Ⅲ.キリストにあって聖なる宮とされている

最後は、キリストにあって救われた一人一人が組み合わされ、聖なる宮とされていくというのです。神様から遠く離れていた異邦人たちが、キリストにあって救われるだけでなく、彼らの内に神様が住まれることによって、彼らの信仰が建て上げられ、成長していくという驚くべき恵みです。しかし、この恵みは今日を生きる私たちにも与えられる恵みであることを忘れてはなりません。私たちもエペソのクリスチャンたちと同じように一人一人が組み合わされ、神様の聖なる宮とされ、信仰が成長し、建て上げられていくのです。キリスト・イエスにある恵みに心から感謝しつつ、この恵みに生きようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、リアトリス、オリエンタルユリ(エルドレッド)、スターチス、ひまわりです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ゆかりご飯、たくあん、差し入れの手作りかぼちゃケーキもありました。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

 

2019年7月7日 主日礼拝メッセージ

「救いの恵みに生きる~四つの縛りからの解放~」エペソ人への手紙 2章1~10節  金田洋介牧師

パウロは、エペソ教会の人々がどういう状況の中から救われたのかを思い起こさせるために、これまで彼らが縛られていた四つのことを示しましたが、私たちも彼らと同じように縛られていた存在であったことを思い起こしたいのです。

1.「背きと罪」の中に死んでいた

まず、パウロは背きと罪の中に死んでいた者だったと語ります。罪は的外れ、道を外れる、間違った道を歩むという意味です。神様のお心に背き(反抗し)、神様という的を外れ、誤った道を歩んでいたということです。

2.「この世に流されていた」

次に、神様中心の世界の価値観(聖書の価値観)ではなく、自己中心の世界の価値観(この世の価値観)に流されていた者でした。イエス様は「この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである」と言っておられました(マタイの福音書18章7節)。私たちは、罪の世に流されるまま生きていた者だったのです。

3.「空中の権威を持つ支配者」に従っていた

「空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊」とは、神様の御言葉に逆らわせ、人間を不従順の道へと誘う存在、サタンです。私たちはサタンの虜にされていたのです。

4.「肉の欲」に従って生きていた

「肉の欲」とは、自分の思うまま、欲するままに生きる。すなわち、自己中心的な生き方であると同時に、神様の御言葉、御心に反抗する欲求のことです。肉の欲がもたらす罪(ガラテヤ人への手紙5章16~21節)に囚われ、生きていたのです。

かつての私たちは、これらのものに縛られていた存在でしたが、イエス様を信じて救われ、解放された(イエス様を信じるなら解放される)のです。この救いは神様から与えられた恵みです。この素晴らしい救いの恵みの大きさを自覚し、この恵みを土台として、良い行い(神様の御言葉、御心に従う人生)という応答を神様に現わしていこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ドラセナ、ゆり、トルコキキョウ、バラ、オンシジュームです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、とろとろあんかけ丼です。野菜とシーフードのバランスがばっちりの一品でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年6月30日 主日礼拝メッセージ

「キリストが満ちている教会」  エペソ人への手紙1章15~23節  金田洋介牧師

教会は「イエス・キリストが満ちみちておられるところ」です。それはつまり、イエスの御言葉とご生涯が現される教会ということができます。

Ⅰ.祈りに満ちている教会

主イエスは、いつも天の父なる神に祈るべきことを教えられ、イエスご自身もそれを実践されました。イエスは祈らないで、数々の奇跡を行うことはなさいませんでした。常にイエスは天の父なる神様に祈られたのです。ですから、私たちも、教会も、イエスが祈られたように、祈りに満ちたものでありたいのです。

Ⅱ.赦しに満ちている教会

次に、赦しに満ちている教会です。教会でいう赦し、それは罪の赦しです。愛である神は、私たちを罪の滅びから救うために、御子イエスを十字架につけ、裁いて下さいました。その故に私たちの罪は赦されたのです。教会は赦しに満ちている所であり、赦された者たちの集まりということができます。しかし、赦しに満ちているからと言って、安易に罪を許容しているのではありません。人の罪を憂い、自分の事として痛み、祈ることが赦しに満ちている教会の姿なのです。

Ⅲ.イエス・キリストの愛に満ちている教会

最後に、イエス・キリストの愛に満ちた教会です。「神を愛し、あなたの隣り人を愛せよ」と言われたイエスは、その通りの生涯を歩まれました。罪人の友となり、人々の苦しみ、悩み、悲しみを担われたご生涯でした。教会は、このイエスに愛されている者たちが集まるところです。イエスに愛されている者、すなわち、全人類がその対象です。イエス・キリストの愛が満ち、その愛に生かされている全ての人々、私たち一人一人が集まるところ、それが教会なのです。

教会とは、主イエスを神の子、救い主と信じ告白する人々が召し集められてできた共同体のことです。召し集められた私たち一人一人が、祈りに、赦しに、愛に満ち、主イエスの御言葉、ご生涯が現される教会(共同体)でありますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、スターチス、ゆり(ソルボンヌ)、デルフィニュウム、ケイトウです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、シチュー オン コーンライスです。コーンは缶詰ではなく、お当番さんが、ちゃんと生のトウモロコシを使ってくださいました。お土産のチョコまんじゅうもありました。

 

2019年6月23日 主日礼拝メッセージ

「神による救いの計画」 エペソ人への手紙1章1~14節  金田洋介牧師

皆さんは、初めて教会に来た時のことを覚えておられるでしょうか。誰かに誘われて来られた人、自ら進んで来られた人、それぞれあると思います。これまでの経緯を思い返す時、自分の意思や計画を超えた神の導きを思わずにはいられません。聖書は、神様の壮大な救いのご計画を明らかにしています。

Ⅰ.定められていた救いの計画 (3節~6節

3節から5節の御言葉によりますと、神様は私たちを「御前に聖なる、傷のない者にし」、さらには神の子としての身分を与えようと、「世界の基が据えられる前(天地創造以前)から、救いの計画を立てておられたとあります。教会へ導かれた経緯はそれぞれ違います。きっかけも、理由も、時期もそれぞれ違うでしょう。しかし、全ては神様の計画の中にあったというのです。この壮大な救いの計画の中に私たちが置かれていたことを感謝し、また、今まさに救いを願っている私たちの周囲の人々にも備えられている神の救いのご計画に期待しましょう。

Ⅱ.イエス・キリストの血による贖いと目的(7節 ~12節)

神様による救いの計画を完成するためになくてはならない人物こそが、イエス・キリストであると聖書は語っています(7節)。ここで用いられている「あがない」とは、代価を払うことによって「自由にする」または、「解放する」という意味から、「罪からの自由、解放」を意味します。また聖書は、すべての人が罪の下にあり、すべて罪を犯す者は罪の奴隷であると教えています。私たちは、御子イエス・キリストの血によって罪の支配から解放され、救われたのです。

また、6節、12節に、私たちが救われたのは、この壮大な救いの計画を全うされた神様の栄光を「ほめたたえるためだとあります。神様の壮大な救いの計画がイエス・キリストを通してこの身に実現したことを感謝し、この恵みを与えてくださった神様の栄光をほめたたえ続けようではありませんか。私たちがいつも神様の栄光をたたえて続けていくなら、やがて私たちの周囲をも巻き込み、神様の救いが拡大していくのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、チンシバイ、トルコキキョウ、ゆり(イエローウィン)、あじさいです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、親子丼、たたききゅうりの韓国風味です。料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

2019年6月16日 主日礼拝メッセージ

「何があっても諦めない父なる神」 ルカの福音書15章11~24節

父の日である今日、天のお父さんである、神様がどういうお方なのかを、放蕩息子のたとえ話から学んでまいりましょう。

ある人に二人の息子がいました。ある日、弟息子が父親に自分が将来いただくことになる財産を求めました。父親がまだ生きているにもかかわらず、財産を求めることは異例であり、とても失礼な話です。ところが父親は、彼の求めに応じて財産を与えました。すると弟息子は、「すべてのものをまとめて(新共同訳:金に換えて)」旅立って行ったのです。大金を手にし、自由気ままに過ごしていた弟息子でしたが、やがて全てのお金を使い果たし、おまけに激しい飢饉が起こったことによって、食べるのにも窮します。何とか就いた仕事は、ユダヤ人がしない豚の世話をする仕事。彼はその豚の飼料に手を出したいと願うほど困窮していましたが、彼を助けてくれる人はいません。憐れな弟息子。しかし彼は、全てを失った事によって我に返り、父のもとに帰ることを決心します。彼は自分の過ちを認め、自分のいるべきところは父親の所だと気付いたのです。弟息子は父に対する謝罪の言葉と、雇人の一人として扱ってもらうことを心に定め、父のところへと向かいます。

一方、弟息子の帰りをずっと待っていた父親は、遠くにいる息子を見つけると、自分の方から走り寄って彼を抱きしめ、喜んで迎え入れたのです。弟息子は心に決めていた謝罪と悔い改めの言葉を父親に伝えました。彼はもう一つの決心を伝えようとしますが父親はそれを遮り、僕たちに彼の身なりを整えさせ、祝宴の用意をするよう命じます。弟息子が父親の息子としての身分を回復した瞬間でした。何もかも失い、父親に何一つ返すことができなかった弟息子でしたが、父親は彼が自分の過ちを認め、帰る決心をし、悔い改めた、ありのままの息子を最上の愛で迎え入れたのです。

この譬えは、天の父なる神様の側にいることこそ幸いであること、そして、天の父なる神様は、この世に心を奪われて放蕩するような、不信仰、不従順な私たちの帰りを、何があっても諦めないで、待っておられることを教えています。「もう少し信仰を、生活を見直してから帰ろう」ではなく、心に示されたその時が、神様の時です。何があってもあなたの帰りを待っておられる愛の神様のもとに帰り、留まりましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アレカヤシ、ゆり、スターチス、グロリオーサです。

あじさいの美しい季節になりました。教会の庭にも赤紫色のあじさいが咲いています。今年の梅雨入りは異例の遅さですが、水不足にならないように祈りたいと思います。

2019年6月9日 主日礼拝メッセージ

「失望と希望の中に望まれた聖霊」 使徒の働き 1章12~14節、21章1~4節

イエスが約束された、父なる神から与えられる聖霊を待ち望んでいた弟子たち。時は五旬節、心を一つにして祈っていた彼らに聖霊が降られたのです。

Ⅰ.失望の中の希望

弟子たちはイエスの言葉どおりにエルサレムに戻りましたが、彼らにとってエルサレムは、イエスを裏切ったという大失敗の記憶が残る町であり、また身の危険が及ぶ町でもありました。できることなら早々と立ち去りたい町に彼らが留まった理由はただ一つ、イエスが語られた神の約束という希望でした。集まった人々は皆、イエスを裏切った弟子たち、イエスを神の子救い主と信じ抜くことができなかった人達です。彼らは自分に対する失望と弱さに嫌というほど向き合い、ただ一つの希望である聖霊を求めて、祈りに専念したのです。イエスは「どうして求める者に聖霊を下さらないことがあろうか」と言われました。心からひたすらに聖霊を祈り求めるなら、必ず与えられるのです。

Ⅱ.聖霊が降ったペンテコステ

時は五旬節、突然激しい風が吹いたような音が天から起こり、彼らが集まっていた家一杯に響き渡りました。すると、炎のように分かれた舌のようなものが現れ、一人一人の上にとどまった瞬間、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに色々の他国の言葉で語りだしたのです。

ペンテコステの日、助け主であり、真理の霊である聖霊が与えられました。聖霊は私たちの信仰を守り、励まし、助けて下さるお方です。また聖霊の力が働く時、私たちは神の御言葉に目が開かれ、神の御心を知ることができるのです。このような素晴らしい聖霊の恵みは、求める全ての人に与えられます。しかし、神の御言葉や御心を無視して自己中心に生きるなら、聖霊の恵みに与ることはできません。御霊の神中心の生き方にシフトし、あなたの人生のハンドルを聖霊なる神に握っていただくのです。そうするなら、聖霊の素晴らしい御力を体験し、御霊の実を結ぶクリスチャンに変えられていくのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ナツハゼ、テッポウユリ、オンシジューム、スターチス、あじさいです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、カレーライス、野菜の浅漬けです。料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年6月2日 主日礼拝メッセージ

「生きるにしても、死ぬにしても」 ピリピ人への手紙 1章12~21節 金田洋介牧師

パウロはピリピ教会の信徒らに、獄中にある自分を支えてくれたことの感謝、彼らの成長に対する喜び、そして自らの証しも加えてこの手紙を送りました。特に本日の箇所では、彼がキリストを伝えたことによって捕らえられたことが福音の前進につながったことの証しと、彼の大胆な信仰告白が綴られています。

パウロの告白~全てはキリストが崇められるため~

パウロはイエスを伝えたことによって捕らえられ、軟禁状態になってしまいました。ところが、彼のもとに出入りする人々を通し、また、彼を見張る兵士たち(皇帝直属の兵士たち)を通して、イエスの福音が広がる結果になったのです。中には、パウロに対抗して伝える人も起こされる事態に。パウロは「 たとえ純粋な動機ではないにせよ、結果的に復活されたキリストが伝えられているのだから、私はそれを喜んで」いました。さらにパウロは、生きるにしても、死ぬにしても、キリストが崇められることを切望していると告白しました。それはすなわち、彼の人生の全てを指しています。「良いことも悪いことも、成功も失敗も、長所も短所も、誉れも恥も、たとえ死ぬことになったとしても、すべてがキリストの素晴らしさを伝えることに用いられるように」ということです。

新しい人生の目的~生きるにしても、死ぬにしても~

パウロの姿から、イエスを救い主として信じた人には新しい人生の目的が与えられることが分かります。それは、自分の人生をキリストが崇められるために生きるという目的です。強さも弱さも、成功も失敗もみな、キリストが崇められるために用いられるのです。ただし、御霊を無視し、自分中心に歩むなら、成功による誉れはその人にだけしかとどまりません。そして、失敗は失敗としてしか残りません。しかし、御霊を中心に、また神の御言葉を中心に歩んで行くなら、成功はもちろん、失敗でさえも神の栄光のため、神の御名が崇められるための証しとなるばかりか、全てを益に変えてくださる神の御力が現されていくのです。

「生きるにしても、死ぬにしても、ただキリストが崇められるように」と、告白できる信仰者とならせていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり(カサブランカ)、ひまわり、グラジオラス、モンステラです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、血管イキイキ鯖缶寿司、お吸い物です。鯖は梅肉で和えてあり、さっぱりといただけました。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。