説教要旨」カテゴリーアーカイブ

2019年10月6日 主日礼拝メッセージ

「古き人を捨て、新しき人を着る」 エペソ人への手紙 4章17~32節 金田洋介牧師

4章1節から始まったパウロの勧めは、力強く、また具体的にエペソのクリスチャンに語ります。

Ⅰ.古い人を捨て、新しい人を着る

パウロはエペソのクリスチャンに向かって、「救われる以前のように(異邦人の頃のように)歩むな、世の調子に合わせて歩むな」と勧めました。 エペソのクリスチャンの多くが、救われる以前と同じように罪を犯し、神の御言葉、神の御旨、そして、罪に対しても無感覚になっていたからです。しかしパウロは、「あなたがたは、主イエスの言葉、生涯から学び教えられたのではなかったか」と諭します。 その教えとは、「罪に支配された古い自分を捨て、真理である主イエスに基づく、正しさ、聖さを持つ、全く新しい人となる(22~24節)」ということです。イエスを信じる者はみな、この世と妥協し罪の歩みに縛られる古い人(生き方)を捨て、イエスの正しさ、聖さを持つ新しい人を着る者(御言葉に心から従って生きる生活)とされているのです。

Ⅱ.新しい人を着た者の歩みとは

続いてパウロは、新たにされた者としての歩みについて語ります。①偽りを捨て真実に生きなさい②怒りに支配されて悪魔に機会を与えてはいけない③与える人になりなさい④悪い言葉を口にせず、聖霊を悲しませてはいけない⑤悪意と共に無慈悲や誹りを捨て去り、互いに親切にし、赦し合いなさい(25~32節)と具体的に勧めました。

パウロの勧めは、私たちに対する勧めです。私たちも、すでに罪に支配された古き人を脱ぎ捨てて新しい人を着たのですが、エペソの人々のように罪の誘惑に負けてしまうことがあります。偽りや怒り、自己中心で愛のない行動に走ってしまうことがあります。しかし私たちは、イエスを信じた時に『自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけた (ガラテヤ人への手紙5章24節)』のですから、何度でも歩み直せるのです。

日々、御言葉に整えられ、聖霊の導きと助けをいただきながら、信仰生活を歩んで参りましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、オリエンタルユリ(ザンベジ)、グラジオラス、コショー(コニカルオレンジ)です。

2019年9月29日 主日礼拝メッセージ

「まことの礼拝者」 ヨハネ4章1~26節  金田ゆり牧師

イエスとサマリア人の女性との出会い。この女性とイエスとのやり取り全体に、礼拝の本質が、在り方が、この物語全体に現れています。

1.生ける水、み言葉への渇き

仲の悪いユダヤ人であるイエスに声を掛けられ、女性は大変驚きます。しかも、イエスは「生ける水」を与えてくださると言います。イエスが与えてくださる水、神の賜物は、永遠の命なのだとイエスは言われました。身も心も渇いていた女性は「その水を私に下さい」と切望しました。この姿こそ、まことの礼拝者の姿です。私たちは渇いて礼拝に来ているでしょうか。イエスが与えて下さる生ける水、み言葉への渇きがある人は幸いです。イエスが与えようとしている全てを受けることができるのです。

2.イエスの取り扱い

イエスは、女性の抱える問題の核心を突かれました。「あなたの夫をここに呼んで来なさい」。 女性が絞り出した言葉は「私には夫がいません」。イエスは、女性には5人の夫があったが今いるのは夫ではない、と言い当てられました。そのうえで、「あなたは本当のことを言いました」と女性の告白を良しとされ、彼女の哀しい人生を受け止められました。まことの礼拝とは、このようにイエスに取り扱われるところです。イエスはみ言葉を与えると同時に、私たちを取り扱われます。これがまことの礼拝です。

3.父が求めておられる、まことの礼拝者たち

女性の心は、礼拝すべき場所に向けられていきました。サマリア人の礼拝所を、ユダヤ人は否定していたからです。しかし、イエスは礼拝する場所ではなく、どのように礼拝すべきかを教えられます。「御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます」。聖霊の導きと、真理であるイエスの言葉によって、父なる神様は礼拝されなければならないのです。三位一体の神の、圧倒的臨在の中で私たちは礼拝をささげます。これがまことの礼拝です。主日を特別な日として、礼拝を特別な時間として、主の臨在を畏れ、父の求めておられるまことの礼拝をささげることができますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、アスター、オリエンタルユリ、菊(アナスタシア)、オンシジュームです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、韓国風温たまのせ丼です。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

 

2019年9月22日 主日礼拝メッセージ

「成熟したクリスチャンを目指して 」エペソ人への手紙4章4~16節 金田洋介牧師

パウロは一人一人が主の前に成熟したクリスチャンとなるようにと教えています。私たちも成熟したクリスチャンを目指して信仰生活を歩んでいきたいのです。

Ⅰ.主と主の言葉に心から信頼することから始まる

パウロは、間違った教えや惑わしに振り回されることのない為に、一人一人の信仰が成熟し、強められる必要があると語っています。今の時代も多くの情報が溢れ、中には、私たちの信仰を脅かしたり、惑わしたりする情報も少なくありません。 聖書の価値観を否定したり、聖書を誤って解釈したりと様々です。しかし、偽りや欺きの言葉に振り回されず、まして、主を信じる信仰を捨てることのないように、主と主の言葉にどこまでも信頼する者でありたいのです。成熟したクリスチャンへの一歩は、主と主の言葉を信じ、信頼することから始まるのです。

Ⅱ.イエスご自身とイエスの体なる教会の中で学ぶことによって

「わたしから学べ」と言われたイエスは、柔和でへりくだったお方です。また、イエスは「信仰の創始者であり完成者」です。このイエスのご生涯から学び、イエスに向かって行くとき、私たちの信仰は成長していくのです。

また、私たちの信仰は、イエスの体なる教会の中で成長していきます。同じ信仰、望みを持ち、聖書の価値観を知る、神の家族である教会で、互いに学び合うことによって成長していくのです。パウロはそれぞれに神から与えられた賜物があると語っています。私たちは同じ信仰を持つ者同士ですが、異なる賜物を持つものとして、互いに学び、互いを敬い、互いに教えあう時、『私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです』。

成熟したクリスチャンを目指し、日々、主と主の言葉に信頼して歩み、イエスご自身から学び、イエスの体なる教会における交わりを通して、信仰を育んでまいりましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、シオン、マリーゴールド、コデマリ、トルコキキョウです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、麻婆豆腐丼、れんこんのサラダです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

 

 

2019年9月15日 主日礼拝メッセージ

「永遠に変わらない神 ~あなたが白髪になっても~」 イザヤ書 46章1~9節 金田洋介牧師

聖書は、神は『人間作られた神』であり、私たちが信じるべき真の神であると教えています。ところが、多くの人々がこの神を信じないで『人間作った神』すなわち偶像の神を信じ崇めています。『人間作った神』と『人間作った神』の違いを聖書から確認したいのです。

Ⅰ.人間が作った神は、人間が持ち運ばないといけない神である

1節の「ベル」「ネボ」とはバビロンで崇められていた偶像の神々のことですが、バビロンの人々の重荷や悩みを負うどころか、逆に人々の手によって担われ、家畜によって持ち運ばれていました。 これらの神々は人間の手で作られた偶像に過ぎませんから、作った人間よりも力を持つことなどできませんし、まして救うことなどできないと聖書は語っているのです。またイザヤ44章においても、偶像を造ること、偶像礼拝の愚かさを教えています。

Ⅱ.人間を作られた神様は、人間を運んで下さる神である

一方、人間を作られた神は、人間が担い、家畜に持ち運ばれるような神ではなく、『わたしは運ぶ。背負って救い出す。』(4節)とありますように、私たちを持ち運んでくださる神であると聖書は語っています。さらに、『胎内にいたときから担がれ、 生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、私は同じようにする。あなたがたが白髪になっても、私は背負う』(3-4節)とあります。これはすなわち、あなたが神を知らないで生きていた時も、罪に対して無関心でいた時も、悩み苦しんでいた時も、孤独を感じていた時も、神に担われ持ち運ばれていた、神の御手の中に守られていたということです。なんという恵みでしょうか。そしてその恵みは、神を信じた後も無くなるどころか、年老い白髪となり、この地上の人生を終える時まで続き、死んだ後は、永遠の命をいただいて神と共に永遠に生きるのです。

私たちが心から信じ慕うべき神は、私たちを造り、持ち運んで下さり、そして永遠に変わることのない神以外にないことを認め、人生の全てをお任せしようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、コデマリ、トルコキキョウ、リンドウ(ハイジラブ3号)、スプレー菊です。

今週は、敬老祝福愛さん会でした。
メニューは、栗ご飯、筑前煮、お吸い物、シャインマスカット、梨、紅白饅頭、お土産のお菓子もありました。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

 

2019年9月8日 主日礼拝メッセージ

「星のようにこの世で輝く」 ピリピ人への手紙 2章12~16節  金田洋介牧師

最後の集会では、疑問から確信へと変えられたクリスチャンが、神様にどのように用いられるかをお話しします。

Ⅰ.いのちの言葉を握って輝く人になる

15節の「いのちの言葉」とは、イエスの言葉です。イエスは道、真理、命なるお方です。このイエスを信じる者は、永遠の命を持つのです。クリスチャンは、死んで終わらない素晴らしい命を持ち、イエスの言葉を握って輝く人、つまり、イエスのために生きる人になるのです。『キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。』Ⅱコリント5章15節

Ⅱ.少数派の中で輝く人になる

日本において、クリスチャンは少数派です。だからといって悲観的になってほしくはありません。むしろ少数派だからこそ、あなたが持つ輝きが重要になります。本物を知らない日本だからこそ、本物を知っているあなたが輝くのです。確かに、現実は偏見や誤解から、傷付くことやガッカリさせられることがあります。しかしパウロは、「全てが無駄に終わることはない」と語っています(16節)。あなたの輝きが失われることは決してありません。

Ⅲ.神の計画の中で輝く人になる

神は、あなたの想像をはるかに超える計画を用意しておられます。神は救いをあなただけで終わらせず、あなたがこれまで出会った人、これから出会う人にも救いを与え、神の御力を体験することができるよう、計画を用意しておられるのです。ですから、今、あなたが置かれている場所は、神が意図して備えられた場所であり、神の御力が働いていることを知ってほしいのです。そして、神は御心のままにあなたの内に志を立てさせ、実現に至らせてくださると聖書は約束しています(13節)。あなたのように、イエスの言葉を握り、この世界で星のように輝く人たちが、あなたを通して次々と起こされていくのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、千日紅、ゆり、トルコキキョウ、ハニカム(チョコレート)、コチョウランです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライス、カラフル野菜の浅漬け、ゴーヤのお浸しです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

 

2019年9月1日 主日礼拝メッセージ

「揺るがない確信へ 」ヨハネの福音書 9章1~17節、 24~25節  金田洋介牧師

生まれつきの盲人とイエスとの出会いから、「確信する」ということについて学びましょう。

Ⅰ.生まれつきの盲人の癒し

イエスは、一人の生まれつきの盲人と出会われました。イエスは「この人が生まれつき盲人なのは、神のみわざがこの人に現れるため(3節)」だと言うのです。イエスは泥を盲人の目に塗り、「シロアムの池に行って目を洗いなさい」と言われ、彼がその通りにすると、目が見えるようになりました。盲人である彼にとって、シロアムの池に行くことは容易ではありませんでしたが、彼は最後までイエスの言葉を信じて進みました。その結果、神の御力を体験したのです。

Ⅱ.盲人とイエス様を巡る言い争い

彼の目が見えるようになったことで、彼が盲目であったことを知っていた人たちの間で騒ぎが起こりました。彼は自分の身に起きたことをそのまま伝えました。そして、彼はイエスによって自分の身に起こった事実を、確信を持って告白します(25節)。一方、パリサイ人は「あの者はどこから来たのか知らない」と言いました。これは、イエスを信じようとしなかったからです。彼らの信仰はあやふやなまま、疑問だけが深まり、迷走してしまいます。イエスを信じない者は、イエスの御言葉の力を体験するどころか、イエスを理解することさえもできません。

Ⅲ.揺るがない確信へ

一方、イエスに癒された男性には、揺るがない一つの確信がありました。イエスの言葉に従ったことによって、「生まれつき見えなかった目が、今は見えるようになった」という体験に基づく確信です。この後、彼はイエスをキリストであると信じ、イエス様を礼拝する人に変えられたのです。

彼のようにイエスの言葉を信じて一歩を踏み出すならば、あなたの実生活の中でイエスの素晴らしい力を体験することができるのです。そして、その一つ一つの体験を通して、イエスがキリストであり、「このお方の言葉には間違いがない」という揺るがない確信を持つクリスチャンへと整えられていくのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、オミナエシ、ケイトウ、りんどう、オリエンタルユリです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、親子丼、カボチャサラダです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

2019年8月25日 主日礼拝メッセージ

「何を信じるのか、何を信じたのか」ヨハネの手紙第一1章5節~10節 金田洋介牧師

聖書には、私たち人間が信じるべき、神様の御言葉や事実が多く記されていますが、本日は信じるべき事実の一つについて語って参りましょう。

Ⅰ.人は誰でも罪人である

「罪」ということを考えることなしに、「何を信じる、何を信じた」ということを語ることはできません。人は誰でも神様の前に罪人です。もし、自分に罪がない、罪を犯したことがないというなら、自分だけでなく、神様をも嘘つきにしていることと同じだと聖書は語っています(8、10節)。神様の前に罪が赦されていない人の結末はみな、永遠の死と滅びです。神様の前に、罪の大きい小さい、重い軽いは関係なく、罪は罪として裁かれるのです。

Ⅱ.イエス・キリストが血を流して死んだ理由

次に「御子イエスの血」に注目します。御子イエスの血が流され、死んだ理由は、「すべての罪からわたしたちをきよめる」ためです(7節)。 イエス様が死んだのは、あなたの罪の身代わりだったのです。神様にとってイエス様という存在は、他に代わりのいない、誰も代わることができない、大切なたったひとりの存在です。イエス様を犠牲にすることは、神様にとって本当に耐え難い決断でした。それでも、私達の罪が赦されるために、イエス様を十字架につけられました。神様はかけがえないイエス様を犠牲にするほど、あなたを愛しているのです。

Ⅲ.私たちは何を信じるのか

「私の罪の身代わりに血を流して死んで下さったイエス・キリストによって、すべての罪がきよめられ、罪の滅びから救われた」という事実を信じるのです。もし、あなたが自分の罪を認め、罪を告白し、イエス様の十字架の死は私の罪の身代わりでしたと信じるなら、あなたの罪は赦され、きよめられるのです(9節)。まだ、イエス様によってもたらされた救いを信じていない皆さんは、「何を信じるのか?」が分かった今、この事実を是非、信じていただきたいです。すでに信じている皆さんは、「何を信じたのか?」が明確になった今、この事実をしっかり握って、信仰生活を歩んでいこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、パンパスグラス、ゆり(オバダ)、りんどう、トルコキキョウ、ガーベラです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ゴーヤのサラダでした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

2019年8月18日 主日礼拝メッセージ

「キリスト我が内に在りて」 ガラテヤ人への手紙 2章11~21節 金田ゆり牧師

本日の聖書箇所は、ユダヤ人クリスチャンの目を気にして、異邦人クリスチャンから離れていったペテロを、パウロが非難するシーンから始まります。ペテロは、元の古い性質のペテロに囚われるところでした。古き罪の性質を抱える私たちを解放するのはキリストの十字架だと、パウロはキリストが何のために十字架に掛かられたのか、その真髄を語ります。

1.信じる信仰によって人生を全うするために 15~16、20節後半

律法は、人間の罪を示してくれるが、救うものではない。キリストを信じる信仰によってのみ、我々は罪が赦され、義とされたはずだとパウロは語ります。彼は信じる信仰に始まり、信仰のみで人生を全うしました。信じる信仰によって始まった私たちは、行いによらず自らの力によらず、どこまでも信じる信仰によって生き、人生を全うするのです。キリストの十字架は、私たちが信仰によって人生を全うすべきことを教えてくれるのです。

2.私自身が十字架につけられるために 19節

そもそも律法は、人間の罪を示してキリストの十字架に導くためにあります。キリストを信じた今、その目的は達成され律法の元にはいないのだ…律法を行わなければ救われないという古い罪の性質は、キリストと共に十字架につけられた!とパウロは宣言しました。キリストの十字架は、あなたの罪の身代わりのみならず、あなたの古き人がキリストと共に釘づけられるためであったのです。

3.私の内にキリストが生きてくださるため 20節

さらにキリストは、キリストと共に十字架につけられた者の内に生きてくださいます。キリストの命が、お考えが、価値観が、私のうちに生きてくださるのです。キリストが主導をとられ、あなた本来の生き方ができるように導かれます。キリストは、あなたの内に生きて自由と喜びに与らせるために、十字架に掛かられたのです「キリストが私のうちに生きておられる」という確信を得るまで、祈りを止めてはいけません。その瞬間が必ずやって参まいります。それが、主の約束であり、御心だからです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゆり、トルコキキョウ、ひまわりです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、ひじきご飯、きゅうりもみ、蒸しナスの鶏肉味噌かけ、ミニトマトです。おいしくて、食欲の進むメニューでした!
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

2019年8月11日 主日礼拝メッセージ

「神の国はこのような者たちのもの」 マルコの福音書10章13~16節 金田ゆり牧師

人々が、イエス様に幼い子どもたちを祝福して頂こうと連れてくるシーンから始まっています。イエスは「神の国はこのような者たちのもの」と語られます。「このような者たち」とは、どのような人を指すのでしょうか。

1.小さく弱い存在・立場の者、弱さを認める者 13節

子どもは大人のような行動も判断も体力もなく、助けてもらわなければ生きていけない存在です。あらゆる面で小さく弱い存在なのです。このような子どもはイエスの時代、価値ある存在としてみなされませんでした。しかし、イエスがその生涯で最も関心を持たれ、愛されたのは、社会で隅に追いやられる、小さく弱い立場の者たちでした。私たちも自らの小さく弱いことを認めるとき、イエスは「神の国はあなたのもの」と御声を掛けて下さるでしょう。

2.疑うことなく神とみ言葉とを信頼する者 15節

イエスは、「このような者たち」とは「子どものように神の国を受け入れる者」と言われます。子どものように疑うことなく神とみ言葉を信じ、信頼する者と言えます。私たちは、目に見える現実だけに左右され、不安になりがちです。どこまで目に見えぬ神を信じ信頼できるでしょうか。それが時に難しい私たちだからこそ、イエスは「子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに入ることはできません」と強く迫られているのです。

3.イエスが憤られたということ  14節

イエスが憤られたということに注目しましょう。子どもたちがイエスのもとに連れて来られた時、弟子たちがそれを叱責しました。それをご覧になったイエスは憤られたのです。子どもたちがイエスのもとに行くのを、弟子たちが邪魔をしたからです。子どもたちがイエスのもとに行くのを邪魔をする、同様にあなたがイエスのもとに行くのを邪魔をするものを置いてはいけません。イエスへの道を妨げるものを、イエスは最も憤られるのです。

今私たちは自らの小さく弱いことを認め、幼子のような信仰を持って主の前に出るなら、「神の国はあなたのもの」とのイエスの御声を聞くことでしょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり、トルコキキョウ、菊、栗です。秋の足音が聞こえてくるようですね。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、ほうとう、高菜飯、厚焼きたまご、巨砲でした。
ほうとうは、富士登山のお土産でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年8月4日 主日礼拝メッセージ

「パウロの勧め~召しにふさわしく歩みなさい~」 エペソ人への手紙4章1~6節 金田洋介牧師

エペソ人への手紙4章以降は、神に召されたものがいかに歩むべきかが語られています。私たちは神に出会うまでは自分の思うままに歩んでいましたが、神に召され、神の家族の一員となりました。召された者として歩むとはどのような歩みでしょうか。

1.謙遜と柔和の限りを尽くす 2節

2節「謙遜と柔和の限りを尽くし」。謙遜とは、神の前に自分は誇るものなど何もない人間だと認めることです。柔和とは、イライラするような状況でも自らを治める自制と言えるでしょう。批判や恥を受けても、私は神の前には恥を受けるべき存在なのだと、自らを低くすることが謙遜と柔和の限りを尽くすことなのです。

2.寛容を示す

寛容とは、馬の合わない人を受け入れることと言えるでしょう。全く違う価値観の人々との違いを認め、理解をしようと努め、時に尊敬し、そこから学ぼうとする。これが寛容と言えるでしょう。

3.忍耐の愛

謙遜も柔和も寛容も、愛から生まれるものです。愛は忍耐が伴います。しかし人の愛には限界があります。神の愛を知り、受け取って初めて、謙遜と柔和と寛容の道を歩みだせるのです。

4.平和の絆を結ぶ 3節

私たちは神と敵対している存在でしたが、イエスの十字架と復活によって神との和解が与えられ、平和を得ました。神との平和を得た私たちは、人との平和を結ぶようになるのです。世に遣わされたとき、それが難しく感じることはあるでしょう。聖霊のお力だけが、平和を可能にしてくださいます。

4~6節。私たちは聖徒同士の愛の交わりを通して愛することを学び、知り、体験します。信仰は一つ、バプテスマは一つ…同じ主を信じた私たちに、聖霊は同じように臨まれます。自分の力に頼ってはいけません。どこまでも主を信頼しなさい。主が必ず、あなたを召しにふさわしく整えて下さいます。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゆり、オンシジューム、グラジオラス、パンパス、つつじです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライス、写真はありませんが、野菜の浅漬け、お土産のお菓子でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。