投稿者「mayumi」のアーカイブ

2019年7月 背骨コンディショニング・健康体操教室のお知らせ

熊本真愛教会では、2019年7月の背骨コンディショニング・健康体操教室を下記の日程で行います。地震以降、からだの不調を訴える方々のために、教会を会場に行っています。腰、肩、首、ひざなど、からだの痛みや自律神経失調症などの様々な不調を、体操によって改善していきます。

参加費は1000円です。先着10名となっておりますので、ご希望の方は教会までお電話でお申し込みください。096-389-4539

体操のできる服装でお越しください。

・7月 13日(土) 午前 10:30~

・7月 19日(金) 午後 7:30~

・7月27日(土) 午前  10:30~

インストラクターの指導のもと、体操を教えていただきます。自宅でもできると好評です。
↓一般社団法人 背骨コンディショニング協会のホームページはこちらです。

https://www.sebone-c.org/

2019年7月7日 主日礼拝メッセージ

「救いの恵みに生きる~四つの縛りからの解放~」エペソ人への手紙 2章1~10節  金田洋介牧師

パウロは、エペソ教会の人々がどういう状況の中から救われたのかを思い起こさせるために、これまで彼らが縛られていた四つのことを示しましたが、私たちも彼らと同じように縛られていた存在であったことを思い起こしたいのです。

1.「背きと罪」の中に死んでいた

まず、パウロは背きと罪の中に死んでいた者だったと語ります。罪は的外れ、道を外れる、間違った道を歩むという意味です。神様のお心に背き(反抗し)、神様という的を外れ、誤った道を歩んでいたということです。

2.「この世に流されていた」

次に、神様中心の世界の価値観(聖書の価値観)ではなく、自己中心の世界の価値観(この世の価値観)に流されていた者でした。イエス様は「この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである」と言っておられました(マタイの福音書18章7節)。私たちは、罪の世に流されるまま生きていた者だったのです。

3.「空中の権威を持つ支配者」に従っていた

「空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊」とは、神様の御言葉に逆らわせ、人間を不従順の道へと誘う存在、サタンです。私たちはサタンの虜にされていたのです。

4.「肉の欲」に従って生きていた

「肉の欲」とは、自分の思うまま、欲するままに生きる。すなわち、自己中心的な生き方であると同時に、神様の御言葉、御心に反抗する欲求のことです。肉の欲がもたらす罪(ガラテヤ人への手紙5章16~21節)に囚われ、生きていたのです。

かつての私たちは、これらのものに縛られていた存在でしたが、イエス様を信じて救われ、解放された(イエス様を信じるなら解放される)のです。この救いは神様から与えられた恵みです。この素晴らしい救いの恵みの大きさを自覚し、この恵みを土台として、良い行い(神様の御言葉、御心に従う人生)という応答を神様に現わしていこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ドラセナ、ゆり、トルコキキョウ、バラ、オンシジュームです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、とろとろあんかけ丼です。野菜とシーフードのバランスがばっちりの一品でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年6月30日 主日礼拝メッセージ

「キリストが満ちている教会」  エペソ人への手紙1章15~23節  金田洋介牧師

教会は「イエス・キリストが満ちみちておられるところ」です。それはつまり、イエスの御言葉とご生涯が現される教会ということができます。

Ⅰ.祈りに満ちている教会

主イエスは、いつも天の父なる神に祈るべきことを教えられ、イエスご自身もそれを実践されました。イエスは祈らないで、数々の奇跡を行うことはなさいませんでした。常にイエスは天の父なる神様に祈られたのです。ですから、私たちも、教会も、イエスが祈られたように、祈りに満ちたものでありたいのです。

Ⅱ.赦しに満ちている教会

次に、赦しに満ちている教会です。教会でいう赦し、それは罪の赦しです。愛である神は、私たちを罪の滅びから救うために、御子イエスを十字架につけ、裁いて下さいました。その故に私たちの罪は赦されたのです。教会は赦しに満ちている所であり、赦された者たちの集まりということができます。しかし、赦しに満ちているからと言って、安易に罪を許容しているのではありません。人の罪を憂い、自分の事として痛み、祈ることが赦しに満ちている教会の姿なのです。

Ⅲ.イエス・キリストの愛に満ちている教会

最後に、イエス・キリストの愛に満ちた教会です。「神を愛し、あなたの隣り人を愛せよ」と言われたイエスは、その通りの生涯を歩まれました。罪人の友となり、人々の苦しみ、悩み、悲しみを担われたご生涯でした。教会は、このイエスに愛されている者たちが集まるところです。イエスに愛されている者、すなわち、全人類がその対象です。イエス・キリストの愛が満ち、その愛に生かされている全ての人々、私たち一人一人が集まるところ、それが教会なのです。

教会とは、主イエスを神の子、救い主と信じ告白する人々が召し集められてできた共同体のことです。召し集められた私たち一人一人が、祈りに、赦しに、愛に満ち、主イエスの御言葉、ご生涯が現される教会(共同体)でありますように。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、スターチス、ゆり(ソルボンヌ)、デルフィニュウム、ケイトウです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、シチュー オン コーンライスです。コーンは缶詰ではなく、お当番さんが、ちゃんと生のトウモロコシを使ってくださいました。お土産のチョコまんじゅうもありました。

 

2019年6月23日 主日礼拝メッセージ

「神による救いの計画」 エペソ人への手紙1章1~14節  金田洋介牧師

皆さんは、初めて教会に来た時のことを覚えておられるでしょうか。誰かに誘われて来られた人、自ら進んで来られた人、それぞれあると思います。これまでの経緯を思い返す時、自分の意思や計画を超えた神の導きを思わずにはいられません。聖書は、神様の壮大な救いのご計画を明らかにしています。

Ⅰ.定められていた救いの計画 (3節~6節

3節から5節の御言葉によりますと、神様は私たちを「御前に聖なる、傷のない者にし」、さらには神の子としての身分を与えようと、「世界の基が据えられる前(天地創造以前)から、救いの計画を立てておられたとあります。教会へ導かれた経緯はそれぞれ違います。きっかけも、理由も、時期もそれぞれ違うでしょう。しかし、全ては神様の計画の中にあったというのです。この壮大な救いの計画の中に私たちが置かれていたことを感謝し、また、今まさに救いを願っている私たちの周囲の人々にも備えられている神の救いのご計画に期待しましょう。

Ⅱ.イエス・キリストの血による贖いと目的(7節 ~12節)

神様による救いの計画を完成するためになくてはならない人物こそが、イエス・キリストであると聖書は語っています(7節)。ここで用いられている「あがない」とは、代価を払うことによって「自由にする」または、「解放する」という意味から、「罪からの自由、解放」を意味します。また聖書は、すべての人が罪の下にあり、すべて罪を犯す者は罪の奴隷であると教えています。私たちは、御子イエス・キリストの血によって罪の支配から解放され、救われたのです。

また、6節、12節に、私たちが救われたのは、この壮大な救いの計画を全うされた神様の栄光を「ほめたたえるためだとあります。神様の壮大な救いの計画がイエス・キリストを通してこの身に実現したことを感謝し、この恵みを与えてくださった神様の栄光をほめたたえ続けようではありませんか。私たちがいつも神様の栄光をたたえて続けていくなら、やがて私たちの周囲をも巻き込み、神様の救いが拡大していくのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、チンシバイ、トルコキキョウ、ゆり(イエローウィン)、あじさいです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、親子丼、たたききゅうりの韓国風味です。料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

2019年6月16日 主日礼拝メッセージ

「何があっても諦めない父なる神」 ルカの福音書15章11~24節

父の日である今日、天のお父さんである、神様がどういうお方なのかを、放蕩息子のたとえ話から学んでまいりましょう。

ある人に二人の息子がいました。ある日、弟息子が父親に自分が将来いただくことになる財産を求めました。父親がまだ生きているにもかかわらず、財産を求めることは異例であり、とても失礼な話です。ところが父親は、彼の求めに応じて財産を与えました。すると弟息子は、「すべてのものをまとめて(新共同訳:金に換えて)」旅立って行ったのです。大金を手にし、自由気ままに過ごしていた弟息子でしたが、やがて全てのお金を使い果たし、おまけに激しい飢饉が起こったことによって、食べるのにも窮します。何とか就いた仕事は、ユダヤ人がしない豚の世話をする仕事。彼はその豚の飼料に手を出したいと願うほど困窮していましたが、彼を助けてくれる人はいません。憐れな弟息子。しかし彼は、全てを失った事によって我に返り、父のもとに帰ることを決心します。彼は自分の過ちを認め、自分のいるべきところは父親の所だと気付いたのです。弟息子は父に対する謝罪の言葉と、雇人の一人として扱ってもらうことを心に定め、父のところへと向かいます。

一方、弟息子の帰りをずっと待っていた父親は、遠くにいる息子を見つけると、自分の方から走り寄って彼を抱きしめ、喜んで迎え入れたのです。弟息子は心に決めていた謝罪と悔い改めの言葉を父親に伝えました。彼はもう一つの決心を伝えようとしますが父親はそれを遮り、僕たちに彼の身なりを整えさせ、祝宴の用意をするよう命じます。弟息子が父親の息子としての身分を回復した瞬間でした。何もかも失い、父親に何一つ返すことができなかった弟息子でしたが、父親は彼が自分の過ちを認め、帰る決心をし、悔い改めた、ありのままの息子を最上の愛で迎え入れたのです。

この譬えは、天の父なる神様の側にいることこそ幸いであること、そして、天の父なる神様は、この世に心を奪われて放蕩するような、不信仰、不従順な私たちの帰りを、何があっても諦めないで、待っておられることを教えています。「もう少し信仰を、生活を見直してから帰ろう」ではなく、心に示されたその時が、神様の時です。何があってもあなたの帰りを待っておられる愛の神様のもとに帰り、留まりましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アレカヤシ、ゆり、スターチス、グロリオーサです。

あじさいの美しい季節になりました。教会の庭にも赤紫色のあじさいが咲いています。今年の梅雨入りは異例の遅さですが、水不足にならないように祈りたいと思います。

2019年6月9日 主日礼拝メッセージ

「失望と希望の中に望まれた聖霊」 使徒の働き 1章12~14節、21章1~4節

イエスが約束された、父なる神から与えられる聖霊を待ち望んでいた弟子たち。時は五旬節、心を一つにして祈っていた彼らに聖霊が降られたのです。

Ⅰ.失望の中の希望

弟子たちはイエスの言葉どおりにエルサレムに戻りましたが、彼らにとってエルサレムは、イエスを裏切ったという大失敗の記憶が残る町であり、また身の危険が及ぶ町でもありました。できることなら早々と立ち去りたい町に彼らが留まった理由はただ一つ、イエスが語られた神の約束という希望でした。集まった人々は皆、イエスを裏切った弟子たち、イエスを神の子救い主と信じ抜くことができなかった人達です。彼らは自分に対する失望と弱さに嫌というほど向き合い、ただ一つの希望である聖霊を求めて、祈りに専念したのです。イエスは「どうして求める者に聖霊を下さらないことがあろうか」と言われました。心からひたすらに聖霊を祈り求めるなら、必ず与えられるのです。

Ⅱ.聖霊が降ったペンテコステ

時は五旬節、突然激しい風が吹いたような音が天から起こり、彼らが集まっていた家一杯に響き渡りました。すると、炎のように分かれた舌のようなものが現れ、一人一人の上にとどまった瞬間、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに色々の他国の言葉で語りだしたのです。

ペンテコステの日、助け主であり、真理の霊である聖霊が与えられました。聖霊は私たちの信仰を守り、励まし、助けて下さるお方です。また聖霊の力が働く時、私たちは神の御言葉に目が開かれ、神の御心を知ることができるのです。このような素晴らしい聖霊の恵みは、求める全ての人に与えられます。しかし、神の御言葉や御心を無視して自己中心に生きるなら、聖霊の恵みに与ることはできません。御霊の神中心の生き方にシフトし、あなたの人生のハンドルを聖霊なる神に握っていただくのです。そうするなら、聖霊の素晴らしい御力を体験し、御霊の実を結ぶクリスチャンに変えられていくのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ナツハゼ、テッポウユリ、オンシジューム、スターチス、あじさいです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、カレーライス、野菜の浅漬けです。料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

2019年6月2日 主日礼拝メッセージ

「生きるにしても、死ぬにしても」 ピリピ人への手紙 1章12~21節 金田洋介牧師

パウロはピリピ教会の信徒らに、獄中にある自分を支えてくれたことの感謝、彼らの成長に対する喜び、そして自らの証しも加えてこの手紙を送りました。特に本日の箇所では、彼がキリストを伝えたことによって捕らえられたことが福音の前進につながったことの証しと、彼の大胆な信仰告白が綴られています。

パウロの告白~全てはキリストが崇められるため~

パウロはイエスを伝えたことによって捕らえられ、軟禁状態になってしまいました。ところが、彼のもとに出入りする人々を通し、また、彼を見張る兵士たち(皇帝直属の兵士たち)を通して、イエスの福音が広がる結果になったのです。中には、パウロに対抗して伝える人も起こされる事態に。パウロは「 たとえ純粋な動機ではないにせよ、結果的に復活されたキリストが伝えられているのだから、私はそれを喜んで」いました。さらにパウロは、生きるにしても、死ぬにしても、キリストが崇められることを切望していると告白しました。それはすなわち、彼の人生の全てを指しています。「良いことも悪いことも、成功も失敗も、長所も短所も、誉れも恥も、たとえ死ぬことになったとしても、すべてがキリストの素晴らしさを伝えることに用いられるように」ということです。

新しい人生の目的~生きるにしても、死ぬにしても~

パウロの姿から、イエスを救い主として信じた人には新しい人生の目的が与えられることが分かります。それは、自分の人生をキリストが崇められるために生きるという目的です。強さも弱さも、成功も失敗もみな、キリストが崇められるために用いられるのです。ただし、御霊を無視し、自分中心に歩むなら、成功による誉れはその人にだけしかとどまりません。そして、失敗は失敗としてしか残りません。しかし、御霊を中心に、また神の御言葉を中心に歩んで行くなら、成功はもちろん、失敗でさえも神の栄光のため、神の御名が崇められるための証しとなるばかりか、全てを益に変えてくださる神の御力が現されていくのです。

「生きるにしても、死ぬにしても、ただキリストが崇められるように」と、告白できる信仰者とならせていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり(カサブランカ)、ひまわり、グラジオラス、モンステラです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、血管イキイキ鯖缶寿司、お吸い物です。鯖は梅肉で和えてあり、さっぱりといただけました。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

 

 

2019年6月 背骨コンディショニング・健康体操教室のお知らせ

熊本真愛教会では、2019年6月の背骨コンディショニング・健康体操教室を下記の日程で行います。地震以降、からだの不調を訴える方々のために、教会を会場に行っています。腰、肩、首、ひざなど、からだの痛みや自律神経失調症などの様々な不調を、体操によって改善していきます。

参加費は1000円です。先着10名となっておりますので、ご希望の方は教会までお電話でお申し込みください。096-389-4539

体操のできる服装でお越しください。

・6月 8日(土) 午前 10:30~

・6月 15日(土) 午前 10:30~

・6月 20日(木) 午後  7:30〜

・6月29日(土) 午前  10:30~

インストラクターの指導のもと、体操を教えていただきます。自宅でもできると好評です。
↓一般社団法人 背骨コンディショニング協会のホームページはこちらです。

https://www.sebone-c.org/

2019年5月26日 主日礼拝メッセージ

「神の国を継ぐ者~御霊によって歩きなさい」 ガラテヤ人への手紙 5章16~26節 金田洋介牧師

パウロの伝道によって増え広がったガラテヤの諸教会は、違った福音(1章6節)によって正しいキリストの福音が曲げられ、惑わされていました。パウロは彼らを戒めるとともに、御霊によって信仰生活を歩んでいくことを勧めました。

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。5章16節 「肉の欲」とは、御霊の働きや介入を拒絶する思いと主の御言葉に反抗する生き方、そしてそこから生まれる自己中心に生きようとする欲求のことです。肉の欲は御霊と対立し(17節)、醜い罪となって現れ(19~21節)、罪に囚われ続け、神の国を継ぐことができなくなってしまうのです。

御霊によって歩むとは

御霊を①認識すること。御霊が共におられ、見ておられると認識するのです。②信頼すること。御霊は傍らに立ち、あなたを助けてくださるお方です。③御霊に相談すること。どんなに易しいことも、難しいことも相談するのです。④御霊に従うこと。御霊は御言葉を通し、あらゆる人を通して教えてくださるお方であり、御霊自身が警告を与えられます。示されたのなら素直に従いましょう。⑤御霊に歩調を合わせて進むこと。自分のペースではなく、御霊のペースに合わせて信仰生活を歩むのです。時には待ち、考え、自らの歩みが神の御心に適っているかを吟味しながら、御霊と共に歩むことです。しかし これらの歩みは、一朝一夕で身に着くものではありません。日ごとに神の御前で静まり、祈り、御言葉に養われることが大切です。罪を示されたなら素直に罪を認めて悔い改めイ、エスの十字架を仰いで行くのです。そして、忘れていけないことは、御霊によって歩んでいても、誘惑が無くなるわけではないことです。御霊に逆らう思いが起こったり、罪に誘う悪魔の試みは常にあります。しかし、恐れてはなりません。神の介入を受け入れ、御霊によって歩み続けるなら、肉の欲という御霊への反抗、自己中心な歩みへの欲求、罪の行いに身を委ねようとする欲求に打ち勝つことができると聖書は約束しています。地上の歩みにおいては御霊の実を結び、後の世においては神の国を継ぐ者とされたいのなら、御霊によって歩きなさい!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、デルフィニュウム、グラジオラス、オリエンタルユリ、ひまわりです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ご飯、お漬物です。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。

 

 

2019年5月19日 主日礼拝メッセージ

「責められるところのない者として下さる神」 テサロニケ人への第一の手紙 5章23~24節 金田洋介牧師

パウロがテサロニケ教会に宛てた手紙です。パウロは教会が患難の中でも成長し、他の模範となっていることを喜んでいますが、その一方で幾つかの問題点を指摘しています。特に問題だったことは彼らのきよめのことでした。パウロは不品行を慎むように勧め、警告し(4章)、彼らの信仰の不足を補うために、顔と顔を合わせて伝えることができるように祈っていました。

偶像と罪が溢れていたテサロニケは、今日の私たちの環境とよく似ています。神はパウロの祈りの言葉を通して、私たちに語っておられるのです。

Ⅰ.きよめとは

「きよめ」は聖書にある「聖霊のバプテスマ」や「聖霊の満たし」のことです。以前、きよめとは神への完全な明け渡しであると語りました。自我が心の中心に居座るのではなく、聖霊なる神を全ての中心に置くのです。つまり、あなたの心の思いや意思、感情、価値観、行動、問題、罪、性質、性格といった、あなたの全領域に神が介入されることを受け入れるのです。あなたが神の介入を心から願い求めて明け渡すなら、神自ら働いて下さり、きよめの恵みに与ることができ、最後には神の御心と御言葉に喜んで従うことのできる者へと変えられるのです。

Ⅱ.責められるところのない者にしてくださる神

さらにパウロは、私たちが責められるところのない者として、神ご自身がきよめを保ち続けて下さると伝えています。聖霊なる神に満たされ、きよめられた後も、私たちは生来持つ弱さや、性質、性格の故に、罪の誘惑に襲われることがあります。しかし、きよめに与る者は神の介入を心から受け入れることができ、誘惑があっても罪に支配されず、たとえ過ちを犯してしまっても、常にイエスの十字架の贖いの恵みによって悔い改め、歩み直すのです。そして神ご自身が、責められるところのない者として、あなたを保ち続けて下さるのです。

きよめの恵みに与らせて下さる神は真実なお方です。真実な信仰をもって神を信じ、全生涯、全領域を神に明け渡し、神に介入していただきましょう。そして、神の御旨に生きる幸いな日々を歩ませていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アリアム、ヘリコニア、グロリオーサ、ユーカリです。