2017年11月26日 主日礼拝メッセージ

◇「恵み深き神をおぼえて」詩篇65:1~13 金田洋介牧師

詩篇65篇はダビデの時代に起った飢饉(サムエル記下21章1節以降)が背景にあったのではないかと言われています。イスラエルに3年の飢饉が襲いました。その原因が前王サウルの罪にあることが分かり、ダビデは罪の悔い改め、とりなし祈ります。神は祈りに応えられ、飢饉は止み、土地は回復したのです。ダビデの詩から、私たちが神の御前にどのようにあるべきかを学びましょう。

1. 礼拝の民として下さった神に感謝する(1~4節)

ダビデは神が賛美されるべき(礼拝されるべき)お方であると歌っています。なぜなら、神は祈りを聞かれるお方、罪咎(つみ・とが)を赦されるお方だからだと告白しています(2~3節)。この詩の背景にある飢饉という困難について、ダビデが祈り尋ねると、神はイスラエルの罪を示し、罪を取り扱われ、罪を赦し救って下さいました。ダビデは神に近付くことが許され、神と共に生き、神を礼拝できる民とされたことを感謝したのです。私たちも、イエスの十字架を通して罪が赦され、神を礼拝する民とされていることを感謝したいのです。

2. 大能の神様を信頼する(5~8節)

神は大能(6節、新改訳:力、新共同:雄々しさ)の神、すなわち、全ての創造主であり、支配者、全能の神です。「海の響き、大波の響き、民の騒ぎ」と表現されている、「この世のあらゆる波風、人生に起る嵐」をも神は静めて下さるのです。大能の神を畏れつつ、私たちの人生に、そして日常生活にまで介入して下さる神を心から信頼し、お任せする者となりたいのです。

3. 良き物を豊かに恵んで下さる神を喜ぶ(9~13節)

9節「地に臨んで(新改訳:訪れて)」は「顧みて(心にとめる)」とも訳せる言葉が用いられています。神はイスラエルを顧みられ、土地は豊かに潤されたのです。同様に、神は私たちをも顧みて下さるばかりか、豊かに恵み、祝福して下さるお方です。あなたは神に祝福される喜びを味わっていますか。神はいつも、どんな時も私たちを心にとめておられるお方です。イエスを犠牲にしてまで愛し、赦して下さった恵み深い神をおぼえ、心から応答しましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ゆり、カーネーション、スターチスです。