2023年10月1日 主日礼拝メッセージ

「主の御顔を避けて」 ヨナ書1章1~16 節 金田洋介牧師

紀元前8世頃活躍した預言者ヨナ。神様は彼にニネベへの宣教を命じられました。それは、ニネベの人々の罪があまりにも重かったからでした(2節)。ところがヨナは「主の御顔を避けて」(3節)、ニネベに向かわず、タルシシュ行きの船に乗り込みます。ヨナが神様の命令に背いた理由は 4 章で明らかにされますが、いかなる事情があれ、預言者であるヨナが故意に神様の御心に背くとはよほどのことです。ところが神様は、大風を起され(4節)、ヨナを乗せた船は激しい大風に襲われます。恐れた水夫たちは、それぞれ自分が信じる神に助けを求めます。一方ヨナは、船底で熟睡していました。船長はヨナを起こし、彼が信じる神に助けを求めるよう迫りますが、ヨナは祈ろうとはしません。一向におさまらない嵐に 人々は、クジによってこの災いを招いた張本人を探ったところ、ヨナに当りました。観念したヨナは、自分が信じる天地創造の神様の御心に背いたためにこの暴風が臨んだことを告白し、自分を海に投げ込むよう命じたのです。人々がヨナの言葉通りに彼を海へと投げ込むと、大風は止み、海は静まりました。この一連の出来事を経験した人々は、ヨナが信じる天地創造の神様を信じ、礼拝する者になったのです(16 節)。ヨナの不従順が、結果として異教者を真の神礼拝へと導くことになるとは、ヨナ自身思いもしなかったことでしょう。

この 1 章から分かることの一つとして、神様は、罪深いニネベを救いたいと願われたことです。聖書は、「神様は全ての人が救われることを願っておられる」と教えています。ヨナ書のメッセージを私たちが置かれている現実に当てはめるならば、あなたが敵とみなすような存在、関わりたくない存在、それこそ、極端な話、あなたが救われてほしくないと思うような存在、神様を信じ、聖書を読み、祈り、教会生活に励む姿を想像できないような人あっても、神様は救われてほしいと願っておられるということです。

そして、もう一つ。神様は何としてでもヨナをニネベに遣わしたかったということです。たとえ、ヨナが未熟でも、反抗的でも、逃げ出しても、神様の本意が全て理解できていなくても、神様はヨナと共に救いの計画(プラン)を全うしたいと思われたのです。だからこそ、嵐を引き起こしてまで、彼を引き戻そうとされたのです。宣教は神様と人(あなた)との共同作業なのです。

神様はこの世にあってのニネベ(神様の前に罪深い国々、人々)を、あなたにとってニネベのような存在(関わりたくない人、嫌な思いをさせられた人)を救いたいと思っておられることを、ヨナ書を通して明らかにしておられます。そして、そのご計画の為に「あなた」 を用いたいと願っておられることを明らかにして下さいました。今はまだ、神様の御顔に目を合わせられないかもしれません。分かっていながら、示されていながら、御声を聴いていながら、避けているかもしれません。どうか、あなたがヨナ書の全てのメッセージを聞き終える時、今とは違うあなたに変えられることを信じて期待しようではありませんか。

今日のお花は、ガーベラ、スカシユリ、グラジオラス、ドラセナです。