2023年9月24日 主日礼拝メッセージ

「神が恵みを賜う者」 オバデヤ書1~21節 金田洋介牧師

小預言者からのメッセージ。本日はオバデヤ書です。ヤコブの兄エサウの子孫であるエドムの裁きについて告げられます。

エドムの罪と神様の裁き

ここで指摘されているエドムの罪は高慢です。エドムの町は堅い岩盤によって囲まれていただけでなく、高台にありました。彼らは心の中で「誰も私たちを攻め落とすことはできない」と誇っていたのです(3節)。心に思い計ることもみな、神様は知っておられます(ヘブル 4:13)。たとえ、表向きは謙虚であっても、謙遜なそぶりをしていても、心の中に思う高ぶりを神様は見過ごしにはされません。そして神様は、エドムを高慢にさせる、あらゆる誇り (所有物、同盟国、知恵と知者たち、勇者たち)をことごく奪い去られると告げました(5~9 節)。神様は「神など必要ない」とエドムを高慢にさせていたもの全て打ち砕かれるのです。

エドムの不誠実な行い

次に、エドムの不誠実な行いの数々が 10 節以降で指摘しています。もとは一つの民であったイスラエルが他国に攻め込まれているとき、彼らを侮辱し、火事場泥棒のように略奪し、逃げようとするイスラエルの民を妨害し、捕まえて敵に差し出したのです。神様はエドムに「おまえは、自分がしたように、自分にもされる。おまえの報いは、おまえの頭上に返る。」と告げられると、16 節ではエドム人がイスラエルの滅んでいく様を酒の肴にしていたことも指摘され、エドムは神様の怒りの杯を飲むことになると裁きを宣告されました。
みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです(1 ペテロ 5 章 5 節)。神様は高ぶる者を必ず裁かれます。神様は私たちの高ぶりを見抜かれるお方です。「私は大丈夫。むしろ、あの人こそ問題だ。」ではなく、「どうか、他のだれかではなく、私の心と行いこそ、神様、探って下さい」と祈る者でありたいのです。神様が恵みを賜う者(恵みを与える者)とは、へりくだる者(謙遜な者。神様の御声を受け取る者。)だからです。
17 節から最後までは、回復の預言が綴られています。神様の裁きによって滅ぼされたイスラエルは再び領地を所有するようになり(17 節)、エドムは滅ぼし尽くされるのです (18 節)。
神様は高ぶる者、高慢な者を退けられます。しかし、私たちの罪は、イエス様の十字架によって全て赦されます。もし、このオバデヤ書を通して罪が示されたならば、神様の前にへりくだって悔い改めようではありませんか。また、あなたの周囲にいる人に対して何かチャレンジが与えられたならば(とりなしの祈り、励まし、諭し、伝道など)、是非、行動に起こしてみませんか。神様の御声に耳を傾け、実践する一週間を共に過ごしましょう。

今日のお花は、ホトトギス、ミヤマリンドウ、オリエンタルユリ、トルコキキョウです。