「ニネベの悔い改め -主の憐みを求めて-」 ヨナ書3:1-10 金田洋介牧師
魚の腹から吐き出されたヨナは、神から再び召命を受けます(2節)。以前は神の御顔 を避けたヨナでしたが、「【主】のことばのとおりに、立ってニネベに」向かいます(3 節)。
神様の裁きの厳粛さ ~すべてを裁かれる神~
ヨナは「あと四十日すると、ニネベは滅びる(4 節)」と、ニネベの町を叫びまわりました。ニネベの人々からすれば、「ヨナを遣わされたイスラエルの神と自分たちとは無関係だ」と思ったことでしょう。これは今日の日本にも通ずることで、「キリスト教は外国の神で、日本には日本の神がいる」との言葉をよく聞きます。しかし、真の神様の御前にそれらの理屈は通じません。聖書の神様は「人をそれぞれのしわざにしたがって公平にさばかれる」(Iペテロ1:17)ことのできる真の神様なのです。また、聖書は善悪共に裁かれる神様がおられることを知り、認め、信じることが大切であることを教え ています。
ニネベの回心 ~悔い改めの姿を見ておられる神~
神様の御言葉にはたましいを救う力がります(ヤコブ 1:21)と聖書は教えています。 ヨナの言葉を聞いたニネべの人々は、身分の高い低い関係なく、全ての人が罪を悔い改 めたのです。そして、その悔い改めは、行動の伴うものでした。ニネベの人々は悪い道から離れ、暴虐と横暴なふるまいを止めたのです。「神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。」(10 節)とありますように、神様はその悔い改めが真実であるかを見ておられました。神様の御前にごまかしは通用しないということです。どうか、私たちの悔い改めが神様に御前に真実で、実際の行動の伴うものでありますように。
ニネベの罪の赦し ~憐み深い神~
ニネベの人々の悔い改めをご覧になられた神様は、「神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。」(10 節)。ニネベの悪が大きいことは神様ご自身が認めるところでした(1章)。真の神様を恐れず、その行いは悪く、横暴に満ちていました。しかし、ニネベの人々は心から悔い改めました。悪しき行いを一切捨て去った のです。その姿を見られた神様は深い憐みをもってニネベを赦して下さったのです。神様は「あわれみと恵みに富み、怒りをおそくし、いくしみと、まこととに豊かな」(詩篇 86:15)お方です。神様は聖書の御言葉を通して、常に私たちに語っておられます。 日々、御言葉に触れ(聴き)、もしも罪が示されたなら、神様の憐みを求めて御前に悔い改めましょう。