「信仰を持って触れた ただ一人の人」 マルコの福音書 5:25-34 金田洋介牧師
本日のマルコの5章に出て来る女性は、12年もの長い間病気を患い、苦しんでいました。彼女は治療の為に多くの医者にかかりましたが良くなるどころか悪くなる一方でした。そんな中、彼女はイエス様の噂を聞き、最後の望みを持って行動を起こします。彼女は群衆にまぎれ込み、イエス様に近付いて着物に触れました。それは「イエス様の着物にでも触れれば自分の病は癒される」と確信していたからです。すると、「すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じ」(29節)ました。彼女の病は瞬く間に根源から癒されたのです。イエス様は自分の内から力が出たことに気付き、触った人を捜し出されました。彼女は隠し通すことができないと悟り、自分の身に起こった事を正直に告白しました(33 節)。するとイエス様は「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」(34 節)と、彼女の祝福を祈られたのです。彼女の信仰による行動に注目します。
一つ目は、イエス様に近付いたということです。おそらくイエス様の取り囲んでいた群衆の中で一番躊躇していたと思います。当時、彼女のような病を患っている人は、律法において汚れているとされていました。しかし彼女は、自分の身の程を認めながらも、「イエス様しかいない」と信じて近付いたのです。イエス様、神様に遠慮することはありません。彼女は癒されただけでなく、イエス様から祝福の言葉までいただきました。あなたもありのままの姿でいい。イエス様に近付き救いを求めよう。
二つ目は、イエス様に触れたということです。彼女が触った時だけ、イエス様から力が出て行きました。イエス様の周りには彼女だけでなく、多くの群衆がいたのに、誰もがイエス様に触れていたはずなのに、イエス様の内から力を引き出すことができたのはこの女性だけでした。それは、心の奥底から、本気でイエス様を求めていたからです。信仰を持ってイエス様に触れた、ただ一人の人はこの女性だけだったのです。「イエス様に触れる」とは、「どれだけ真剣にイエス様を求めているかどうか」ということです。
最後に三つ目は、イエス様に告白したということです。彼女は、自分の身に起こったことをイエス様に正直に告白しました。それは同時に、イエス様の素晴らしさと共に、イエス様を信じる信仰による行動がいかに素晴らしい結果をもたすことが人々に証しされたということです。これは、「イエス様に(神様に)栄光をお返しする」という言葉にも変えることができます。「全ては私の力によるのではありません。イエス様(神様)、あなたがなさってくださったのです」と告白する(感謝する)のです。そして、イエス様(神様)がしてくださった素晴らしい御業を人々に証しする。イエス様と共に喜び、その喜びを他の人たちと分ちあうことは、とても大切なことなのです。真剣に救い主イエス様を信じ求めた先に待っている結末は、素晴らしい神様の御業に与る体験、神様への感謝と、他者との喜びの分かち合いです。信仰の一歩を踏み出そうではありませんか。