2023年11月12日 主日礼拝メッセージ

「岩の上の生涯」  マタイの福音書 7章 24-29節   金田ゆり牧師

イエスの山上の説教の結論部分です。イエスは、山上で様々な教えを語られ、結論として二人の人物のたとえ話をされました。

1. 岩の上に自分の家を建てた人 24~25節

ある人が自分の家を建てることにしました。この人物は、岩の上に家を建てたのです。イエスは岩の上に家を建てた人を「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者」と言われます。御言葉を聞いて行う。あなたが聞いて教えられた御言葉を行おうと真剣に向き合っているのか、イエスは見ておられるのです。イエスは、そのような人を賢い人だと言われました。賢いという言葉は、ギリシャ語では忠実という意味があります。イエスの御言葉を聞いて行う者は、忠実な者だというのです。イエスの評価基準は、何か大きなことを成し遂げることではなく、イエスの御言葉に忠実であったか、なのです。御言葉に向き合う時、簡単には行うことができない、従えない自分とぶつかり時間がかかることがあるでしょう。しかし、それが岩の上に家を建てるということなのです。硬い岩に穴が開くのは時間が掛かりますが、イエスご自身が家が建つように助けてくださいます。岩の上の家は、雨、洪水、風の三重の災難が襲っても決して倒れません。御言葉を行う生涯を歩むとき、あなたは不思議な神の守りと力を体験します。来るべき最後の審判の時も、あなたは裁きを免れ、永遠の御国に入るのです。

2. 砂の上に自分の家を建てた人 26~27節

イエスは、御言葉を聞いても行わない人は、砂の上に自分の家を建てる愚かな人と言われます。砂の上に家を建てる人などいない、と思いますが、それほど御言葉を聞いても行わないというのは愚かだと言われるのです。砂の上に家を建てるのは本当に簡単で忍耐もいりません。しかし、三重の災難が襲ったとき、跡形もなく破壊されてしまうのです。神の裁きの前に出た時も、裁きに耐えることはできないのです。

3. 嵐はどちらにも来る この二人には共通点があります。

一つ目は、二人とも家を建てようとしたこと。幸せで有意義な生涯を建て上げようとしたのです。二つ目は、どちらもイエスの御言葉を聞いていたということです。三つ目は、嵐はどちらにもやってくる、ということです。嵐が来たときに、すべてがわかるのです。岩の上の生涯が、いかに神の愛と守りに満ちたものであるか。砂の上の生涯が、いかに脆く、不安な生涯であるか…嵐が来たときに明らかになります。イエスがあなたに行ってほしい、向き合ってほしい御言葉があるのではないでしょうか。それは、あなたの生涯が何ものにも揺るがされない、岩の上の生涯となるため。神の愛と守りの生涯に入るため、永遠の神の御国に入るためなのです。

今日のお花は、ドラセナ(インディア)、ユリ(グレースフル)、トルコキキョウ(シャンパン)、アルストロメリアです。