2024年3月31日 主日礼拝メッセージ

「喜びの朝(あした) 」マタイの福音書 28章 1~15節   金田洋介牧師

イースターおめでとうございます。世界中で祝われるイエス様の復活は、私たち一人一人に関わる大切な事実です。イエス様が十字架に死んで墓に葬られてから三日目、すなわち安息日が終わって週の初めの朝(1 節)、女弟子たちはイエス様の正式な葬りの為に香油を携え、イエス様の亡骸が納められた墓へとやって来た時、突然地震が起こりました。それは天から降って来た御使いが、イエス様の墓を塞いでいた大きな石を動かしたからでした(2節)。恐れおののく彼女たちに、御使いは言いました。『あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。』(5~6 節)と。さらに御使いは、イエス様が復活された事実を他の弟子たちに知らせるよう命じます。彼女たちは大喜びで走って行きました(8 節)。するとその道すがら、復活されたイエス様に出会い、彼女たちの喜びと信仰はさらに揺るぎないものになります(9~10 節)。

その一方で、イエス様の復活の事実を曲げる勢力が働いたことが11節から15節に記されています。イエス様の復活の事実を曲げ、否定する力は、2000年経った今日も変わらず人々の心を躓かせ、信じなくさせます。しかし、どんなにイエス様の復活を否定する力が働いても、イエス様の復活の事実を命がけで宣べ伝えた十一弟子たち、女弟子たち、そして日本人も含む多くのキリストの弟子たちによって、福音(罪の完全な赦しと永遠の命)は今日を生きる私たちのもとに届けられたのです。私たちの信仰の原点、始まりは、女弟子たちが見た空の墓を見、そして復活されたイエス様に会った喜びの朝から始まったのです。

私たちの生きているこの世界も、女弟子たちが経験したような絶望の暗闇が覆っています。いつどこで起こってもおかしくない自然災害の脅威、今も続く戦地の悲惨な状況に心痛める毎日です。また、不正を犯す政治家や経済の先行き、私たちの生活を困窮させる様々な要因等、「これでは未来に希望が持てない」と不安に感じる人も多いと思います。しかし、どんなに世の中の状況が悪くなったとしても、私たちの生活を脅かし不安に陥れることが次々に起こったとしても、イエス様の復活がもたらす希望と喜びは決して失われることはありません。たとえ暗闇と絶望が襲ってきたとしても、喜びの朝が、復活がもたらす希望が必ず訪れるのです。死と罪の問題を打ち破り、よみがえられたイエス様が解決出来ない問題は何一つありません。復活の主が、あなたの絶望を希望に、悲しみを喜びに変えて下さるのです!それが、イエス様の十字架と復活を信じる全ての人々に与えられる希望です。どうか、決してなくならないこの希望と、喜びを握り続けて行こうではありませんか。どうか、信じない者ならないで、周囲に流されて疑うことを止めて、「信じてみよう」と信仰による決心の一歩を踏み出そうではありませんか。

 

今日のお花は、グラジオラス、ユリ、トルコキキョウです。