2018年2月11日 主日礼拝メッセージ

「我が家と我は主に仕える」  ヨシュア記24章1~24節  金田洋介牧師
モーセの後継者としてイスラエルを導いてきたヨシュアも老人になりました。彼の人生はまさに戦いの人生でしたが、神が彼と共におられたゆえに勝利することができました。部族ごとに相続地を割り当てたヨシュアは、自分の使命が終わりに近づいていることを悟り、全イスラエルを呼び集めて神の言葉を告げました。神はヨシュアを通して、イスラエルの歴史においてなされた神のみわざを振り返らせます。アブラハムをその父テラのもとから連れ出し、真の神に仕える者としてくださり、彼の子孫を増し加え(2~4節)モーセとアロンを遣わし、数々の奇跡の業でエジプトを脱出させ(5~7節)ヨルダン川東岸における戦いに勝利を与え(8~10節)ヨルダン川を渡らせ(11節 )約束の地征服について(11~13節)語られました。イスラエルの歴史から、彼らの勝利と成功が一つとして彼ら自身の力によってもたらされたものではないことがわかります。ヨシュアはこれらのことを踏まえ、イスラエルの民に決断を迫ります。『いま、あなた方は主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって主に仕え、 他の神々を除き去って、主に仕えなさい。もしあなたがたが主に仕えることをこころよしとしないならば、… あなた方の仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、私と私の家とは共に主に仕えます。』(14~15節 )ヨシュアは誠実の限りを尽くしてくださった神への真摯な応答を民自身の選択と決断に委ねつつ、彼自身の決断を明確にしました。神は「きょう、何に仕えるか」を私たちに迫っているのです。

すでに私たちもアブラハムのように偶像礼拝の中から救い出され、真の神を礼拝する者とされましたが、神がヨシュアを通して「きょう」仕える方を決断するよう迫られたように、私たちも常に「きょう」という日に、信じ仕えるべき方を告白し続けるように迫っておられます。神の御力を目の当たりにしながら神に背き続けたイスラエル、イエスの御側にいながら彼を裏切ってしまった12弟子の姿を私たちは知っています。「自分は大丈夫」ではなく、主にあってこそ「我が家と我は主に仕えます」と日々新たな思い出告白し続ける者とならせていただきましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、キイチゴ、テッポウユリ、ストック、スプレー菊、金魚草です。

礼拝後には、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週は礼拝後に教会総会があり、時間短縮のためお弁当を注文しました。たまにこういう日があります。