「よみがえられたキリスト」 ルカによる福音書24章1節~12節 金田洋介牧師
イースターおめでとうございます。復活されたイエスの御名を賛美します。世界中で祝われるイエスの復活は、私たち一人一人に関わる大切な出来事です。
イエスが十字架の上で死なれてから三日目の朝、女弟子たちは香油を持って、イエスの納められた墓へとやってきました。この墓は、イエスの弟子であったアリマタヤのヨセフの所有する墓でした。ところが、墓の入り口を塞いでいた大岩が除けられ、中にあるはずのイエスの身体が無くなっていたのです。女たちが途方にくれていると、突然、神の御使いが現れて言いました。「あなた方は、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。」(5~6節) 女たちはかつてイエスが語られた言葉を思いだし、仲間たちの許へ帰り、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告…(9節 )しました。ところが、十一弟子や他の仲間や他の仲間たちは信じることができませんでした。これが、ルカが記したイースターの朝に起きた出来事です。
ここで注目すべきは、女弟子たちが「言葉を思い出し(8節)」、イエスの復活を信じたということです。そして、その信仰は彼女たちに喜びと希望をもたらしました。彼女たちの心を覆っていた悲しみは喜びに、絶望は希望に変えられたのです。後にも先にも、主の御言葉を信じることが大切であることを私たちに教えています。私たちはこの目で復活されたイエスを見ることはできませんが、聖書を通してイエスのご人格に触れ、お姿を見、イエスの御言葉を聞くことができます。イエスは言われました「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。」と。イエスを信じる者には罪の赦し、罪の裁きである永遠の滅びからの救い、そして永遠の命が与えられると約束下さいました。それこそが、よみがえられたイエスを信じる者に与えられる喜びと希望なのです。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来て下さった」という言葉は、確実で、そのまま受け入れるに足るものである。(テモテ第一の手紙 1章15節)

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、キイチゴ、ゆり(コンカドール)、デルフィニウム、ストックです。

今日はイースター礼拝でしたので、ちょっと豪華なお弁当でした。お吸い物、イースターエッグ、長崎のお土産のカステラもありました。

今日の午後は、熊本真愛教会納骨堂(桃尾墓園)にて、墓前礼拝でした。
