「主の目がそそがれる者」 詩篇33篇1節~22節 金田洋介牧師
賛美されるべき神の偉大さ、素晴らしさを歌った33篇から、神が如何なるお方かを知り、この神の前に如何にあるべきかを学びたいと思います。
1.神は全ての創造主である
もろもろの天は主のみことばによって造られ、天の万軍は主の口の息によって造られた。(6節)とありますように、神は全てを造られた創造主であり、秩序を持って支配しておられるお方です。「すべて神がなさる事は永遠に変わることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れを持つようになるためである(伝道者の書3章14節)。
2.神は全ての支配者である
支配者というのは、全てのことが神の御心によって導かれているということです。『人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ(箴言19章21節)』のです。
3.神は全てを見通されるお方である
『主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、そのおられる所から地に住む全ての人をながめられる』とありますように、真実であられる神は全て見通しておられるのです。神は侮られるようなお方ではありません(ガラテヤ人への手紙6章7節)とあり、また、「神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである(ヘブル人への手紙4章13節)。」
4.主なる神の目が注がれる者とは
偉大な神を明らかにし、さらに重要なことを示します。『見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、そのいつくしみを望む者の上にある(18節)』。主の目が注がれる者、すなわち神の大いなる御力と恵みに与ることができる「主を畏れる者、いつくしみを望む者」とはどういうことでしょうか。それは、神こそが創造主であり、支配者であり、全知全能の神であることを信じ認め、このお方に一切を明け渡した人。そして、このお方から注がれる「絶えることも、尽きることもない(哀歌3章22節)」豊かな神の慈しみ(恵み)を、切に期待して望む人のことです。神は、この神の御言葉であり神の御心を行う者にご自身の力を現されるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ギンバ(銀葉)さざなみ、トルコキキョウ、オリエンタルユリです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、炊き込みご飯、わかめと玉ねぎのお吸い物です。
料金は大人250円、中学生150円、小学生100円、小学生未満は無料です。また、初めての方も無料です。