2018年7月1日 主日礼拝メッセージ

「責められるところのない者に」

テサロニケ人への第一の手紙 3章10節~13節、5章23節~24節 金田洋介牧師

先月行われた「熊本きよめ派教会連合聖会」のメッセージから、きよめの転機について学んで参ります。テキストは、パウロがテサロニケ教会に宛てた手紙です。パウロは教会が患難の中でも成長し、他の模範となっていることを喜んでいますが、その一方で幾つかの問題点を指摘しています。特に問題だったことは彼らのきよめのことでした。パウロが不品行を慎むように勧め、警告し(4章)、彼らの信仰の不足を補いたいと日夜祈っている(10節)ことからその深刻さが伺えます。偶像と罪が溢れていたテサロニケは、今日の私たちの環境とよく似ています。神はパウロの祈りの言葉を通して、私たちに語っておられるのです。

Ⅰ.きよめとは

「きよめ」は聖書にある「聖霊のバプテスマ」や「聖霊の満たし」のことです。以前、きよめとは神への完全な明け渡しであると語りました。自我を自らの中心に置くのではなく、聖霊なる神を中心にお迎えするのです。つまり、あなたの心の思いや意思、感情、価値観、行動、問題、罪、性質、性格といった、あなたの全領域に神が介入されることを受け入れるのです。あなたが神の介入を心から願い求めて明け渡すなら、神自ら働いて下さり、きよめの恵みに与ることができ、最後には神の御心と御言葉に従うことのできる者へと変えられるのです。

Ⅱ.責められるところのない者に

さらにパウロは、私たちが責められるところのない者として、神ご自身がきよめを保ち続けて下さると伝えています。きよめられた後も、私たちは生来持つ弱さや、性質、性格の故に、罪の誘惑に襲われることがあります。しかし、きよめに与る者は神の介入を心から受け入れることができ、誘惑があっても罪に支配されず、たとえ過ちを犯してしまっても、常にイエスの十字架の贖いの恵みによって悔い改め、歩み直すのです。そして、責められるところのない者として保ち続けて下さるのです。 きよめの恵みに与らせて下さる神は真実なお方です。真実な信仰をもって神を信じ、全生涯、全領域を神に明け渡し、神に介入していただき、神の御旨に生きるきよめの日々を歩ませていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ヘリコニア、スカシユリ、グロリオーサ、アレカヤシです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、炊き込みご飯、ウインナー、かきたま汁です。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。