2018年7月15日 主日礼拝メッセージ

「キリストが崇められるために 」ピリピ人への手紙1章12節~21節 金田洋介牧師

きよめ派連合聖会の3回のメッセージから語ってきました。本日で最後です。パウロはピリピ教会の信徒らに、獄中にある自分を支えてくれたことの感謝、彼らの成長に対する喜び、自らの証も加えてこの手紙を送りました。特に本日の箇所では、キリストを伝えたことによって捕らえられたことが福音の全身につながったこと、そして自分がどのような状況にあっても、この身によってキリストが崇められること(20節)を切に願っていると告白しています。「崇められる」とは、「拡大する」という意味もあります。私たちもパウロのように、キリストが崇められる(キリストを拡大する)ための使命が与えられていることを覚えたいのです。

御霊によってつくり変えられた品性を通して

聖会において「私たちはキリストの拡声器、そして拡大鏡です」と語られました。私たちの存在によってキリストが人々に伝えられ、キリストが現されるのです。しかし、私達がきよめられていなければ、すなわち御霊の介入を拒否し、御霊によらず、自分中心に生きるなら、歪んだキリストが伝わってしまい、キリストが崇められるどころの話ではなくなります。もし、これまで語られてきたように、私たちがきよめ(全領域に御霊の介入を受け入れること)を求め、肉の欲(御霊の思いに反抗し、自我のまま生きる欲求)に従って生きるのではなく、御霊によって生きるなら、御霊によってつくり変えられた私たちの品性(人柄)を通して、キリストの愛、親切、柔和(穏やかさ)、誠実さ、素晴らしさが現され、その結果、キリストが崇められるのです。

罪へと誘う肉の欲(御霊に逆らう自我)に抵抗しなさい

神は御霊によって作り変えられた私たちの品性を通して、キリストが崇められるようになることを願っておられます。この神の御旨を全うするために、私たちは徹底して肉の欲に抵抗しなければなりません。『あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。』(へブル人への手紙12章4節)とあります。御霊に逆らう肉の欲に無抵抗のまま身を委ねてはいけません。御霊に逆らう自分と徹底的に向き合い、最後には御霊に全てを明け渡して(自我に死んで=自己中心から御霊中心にシフトして)、キリストが崇められる(拡大される)ために用いていただきましょう。

先週、召された方の記念会があり、その時に飾られたものを、今週そのまま講壇に飾らせていただきました。

メッセージする金田牧師

礼拝の後、毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、親子丼と豆腐サラダです。