キリスト教の音楽②

前回の記事「キリスト教の音楽①」の投稿からだいぶ経ちましたが、今回2回目の連載となります。

もちろん、聖書の御言葉に勝る言葉はこの世にはありませんが、その御言葉に基づく歌詞の歌を聴けることもこの地上で与えられている恵みだと思います。

今回紹介する歌は、前回同様、全編英語の洋楽ですが、この連載記事が、皆様にとって聖書について考えながら、あわよくば英語も同時に学べる一石二鳥の機会となれれば良いな、と思っています。もちろん、中には英語はある程度できるという方も、また反対に英語はちょっと苦手・・・という方もおられると思います。そんな方には、英語のことを一切抜きにして一通り読んで頂くことで、キリスト教について全く知らない人でも学ぶ機会となり、またクリスチャンにとっては励ましを与えるものとなれば嬉しいです。

前回の連載記事では、一曲に対して詳細に考察していきましたが、今回もそれと似たような感じです。(本当は広く浅めに紹介していきたいと思ったのですが、書いているうちに膨れてしまいました・・・)また、これからは、連載で一人のアーティストによる複数の曲を紹介していきたいと考えています。

これからご紹介する曲は、下記youtubeのリンクにまとめていますので、そちらからご視聴ください。ちなみに、今後紹介したいと考えている曲も載せていますが、もちろん、視聴はタダなので(youtubeプレミアムに登録しない限り。広告は付きますが)、本記事で取り上げる曲もそうでない曲もすべて、BGMなどご自由にご使用ください。なお、リンクに載せているものはどれも、普段色々なキリスト教の音楽を聴いている中から厳選したものです(個人の趣味の範囲に過ぎないですが^^;)。また、リンクの中で今後、勝手に曲が増えていく可能性もありますので、乞うご期待を(笑)。

youtubeリンクはこちら

さて、前置きが長くなりました。今回ご紹介するのは、Becka Shae’s Way(和訳:ベッカ・シェイのやり方)でyoutubeに曲を挙げているBecka Shaeさんです。もちろんクリスチャンの方です。ご主人を作曲プロデューサーとして活躍されているアーティストで、アルバムも出されていますが、今回ご紹介するのはアルバムにはない、youtubeのみにあげられている曲です。

上述したyoutubeのみにあげられている曲で特徴的なのは、その曲がセキュラー(キリスト教の教理とは反対の地上の、世俗的)なポピュラー音楽の歌詞をすべて聖書のみことばや信仰に基づいた歌詞に変えていることです。セキュラーな音楽は聞かないので原曲はあまり知らないのですが、いくつか歌手の名前を挙げるとしたら、ジャスティン・ビーバーやエド・シーラン、テイラー・スウィフトといったところでしょうか。洋楽をあまり聴かない方でも、もしかしたら、原曲をどこかで聴かれたことがあるかもしれません。確かに、これまで私も、店先でよく流れているあの曲だな、と思ってBecka Shaeさんのyoutubeを聴いていました。

前回の連載でも述べましたが、クリスチャンになってからはセキュラーな音楽は受け付けなくなってしまったので、素晴らしい才能を持ったアーティストたちのセキュラーな音楽を彼女がとても信仰に満ちた歌詞に変えて歌ってくれることは、ひとりのクリスチャンとして、とても嬉しく思います。もちろん、歌唱力も素晴らしく、原曲は聴いたことがないですが、それらと決して劣るものではないと思います。むしろ、聴いていて心地よいです。

さて、先ほど取り上げたリンクの中で、最初に載せた曲は、Dua LipaのLevitatingという曲の歌詞を変えて歌った曲です。先ほどもお伝えしたとおり、本記事ではこの曲についてのみ取り上げ、あとの曲は今後の連載でできる限り取り上げていきたいと思います。

この曲は、他の曲と同様、原曲を一度も聞いたことがないのですが、Becka Shae’s Wayの中ではよく聴いている曲です。とてもキャッチーで、キリスト教の音楽はあまり聴いたことがないという方でも、最初に入りやすい曲かと思ったので最初に載せました。・・・いかがでしたでしょうか。

サビに出てくる”We got Truth”は、日本語にすると「真理は私たちのうちにある」ですが、英語の方が短いですし、かなりスッと入って来ます。聖書のみことばをすべて偽りのない神の言葉として信じるクリスチャンの信仰を的確に表した力強い言葉と感じます。もちろん、聖書のみことばは真理そのものでもあります(ヨハネの福音書17章17節)。その後、”faith rise”と続く部分がありますが、みことばは信仰のことばとも言われています(ローマ人への手紙10章8節)。私たちは、神様を信じるなら、その語られたことばも信じなければなりません。また、Let the Son shine brightという歌詞も、Sun(太陽)の代わりにSon(神の御子、すなわちイエス・キリスト)としているところに作詞した人の意図を感じます。聖書の中の、光を現しなさい、というクリスチャンの間では有名なみことば(マタイの福音書5章14~16節)にも通じていますね。

以上、断片的に述べてきましたが、サビのWe’re elevating、やcome on fly with meなどの歌詞のとおり、曲の全体を通じて、天国に上げられ永遠を主とともに過ごすことになる信仰者が他の人も救いに導いていく様子を描写しているように感じます。Come on let the Spirit take you highという歌詞も人びとの救いを完成される聖霊様について触れていますね。

その中でも、曲の2番目のAメロ?(動画の1:00〜1:18あたり)の歌詞に着目して頂きたいと思います。・・・え、早過ぎて聞き取れない??いやいや、安心してください(笑)。字幕がついていますので一つ一つ停止しながら動画をご覧ください。実際に私も確認してみました。なお、これからは日本語のみで説明していきますので、本記事をとおして英語を学ばれたい方は、どの歌詞か見つけてみてください。

まず、神様は私たちが必要とするすべてです。それは、私たちが息をするという基本的なところでもそうです。また、食事や寝る場所があるということ、それぞれ一人ひとり異なった才能や能力、仕事や伴侶なども、神様に与えられているものです。また、この記事をお読みになっている皆さんがこの時代に生きていること自体、神様の御心によるものです。すべてこの世界は神様が支配されていて、神様の御手の中にあります。そして、確かに神様は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。もし、この中で神様のことがよくわからないという方がおられるなら、神様を手探りで求めれば神様を見出すことができる、と聖書に約束が書かれています。(使徒の働き17章26~28節)なのでまずは祈り求めてください。そして、与えられるまで求め続けてください。神様はその祈りに必ず、答えてくださいます。(マタイの福音書7章7~8節)驚きかもしれませんが、これは真実です。

そして、神様は、愛なるお方です。なぜなら、イエスキリストは神様であられたのに、私達の身代わりに十字架にかかり、神の怒りを受け、血を注ぎ流し死んでくださったからです。聖書のみことばに、ここに愛がある、と書かれています(ヨハネの手紙 第一4章9~10節)。また、その神様については、この地上にあるさまざまなものをとおして私たちに明らかに示されている、と聖書にあります(ローマ人への手紙1章19~20節)。数えきれないほどの夜空の星を見て、私たちは、神様の創造の神秘を知ることができます。

また、聖書には、「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ(イザヤ書40章8節)」と書かれています。このように、この世界にあるすべてのものが廃れ、消え去っても、神のことば、すなわち聖書のみことばは消え去りません。この地上にあるものは、必ず消え去ります。消え去るものに目をとめていることはいかに虚しいことかと思います。聖書は、だからこそ、永遠に残るものに目をとめているように、と私たちに命じています(コロサイ人への手紙3章1~3節)。このことについて、偶然にも、前回のキリスト教の音楽①の結論の部分でも触れていたので、そちらもよろしければご覧ください。

さらに、聖書には、永遠に残るみことばを慕い求め、それによって成長し、救いをえなさい、とも書かれています(ペテロの手紙第一2章2節)。純粋な霊の乳とはみことばのことです。そうです。聖書のみことばは私たちを霊的に成長させ、救いを得させることができるのです。それが、クリスチャンたちが、これまで読んだことのある同じ箇所でも繰り返し、日々聖書を読み続ける理由です。なので、救われて天国に行きたいと思われる方は、神様に祈り求めながら、積極的に聖書のみことばを読み、聖霊様の力によって聖書を悟らせていただきましょう(ヤコブの手紙1章21節)。

さて、長かったですがここまで読んでくださったこと、感謝します。これまで述べてきた内容で、どの歌詞の部分について触れているか、わかりますか?^^最後になりましたが、もう一つだけ歌詞の中から、お語りします。これは、ちょっと意見が別れそうですが、私個人の解釈としては、教会のことを指しているのかな、と思いました。もちろん、神様との祈りの中での親しい交わりとも取れるかもしれません。もちろんこれもとっても大切なことですが、ここではあくまでも前者について述べたいと思います。

みなさんは、教会には行かれたことがありますか?聖書のヘブル人への手紙10章23~25節には、「自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう」と書かれています。以前の礼拝メッセージの中で、「誘惑に会うと一人では潰されてしまう」と書きましたが、この終わりの時代にあって、信仰を保っていくために、お互いに励まし合える横のつながりもとても大切です。このことをこの曲のある部分から思わされました。「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(ペテロの手紙 第一4章8節)」とも聖書で命じられていますので、神様のみことばをどこであっても、実践していきたいと思います。

真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。

ヨハネの福音書 17章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

では、何と言っていますか。「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。

ローマ人への手紙 10章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

マタイの福音書 5章14~16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。

使徒の働き 17章26~28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。

マタイの福音書 7章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

ヨハネの手紙 第一 4章9~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。

ローマ人への手紙 1章19~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。

コロサイ人への手紙 3章1~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

ペテロの手紙 第一 2章2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

ヤコブの手紙 1章21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。

ヘブル人への手紙 10章23~25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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