キリスト教の音楽②

前回の記事「キリスト教の音楽①」の投稿からだいぶ経ちましたが、今回2回目の連載となります。

もちろん、聖書の御言葉に勝る言葉はこの世にはありませんが、その御言葉に基づく歌詞の歌を聴けることもこの地上で与えられている恵みだと思います。

今回紹介する歌は、前回同様、全編英語の洋楽ですが、この連載記事が、皆様にとって聖書について考えながら、あわよくば英語も同時に学べる一石二鳥の機会となれれば良いな、と思っています。もちろん、中には英語はある程度できるという方も、また反対に英語はちょっと苦手・・・という方もおられると思います。そんな方には、英語のことを一切抜きにして一通り読んで頂くことで、キリスト教について全く知らない人でも学ぶ機会となり、またクリスチャンにとっては励ましを与えるものとなれば嬉しいです。

前回の連載記事では、一曲に対して詳細に考察していきましたが、今回もそれと似たような感じです。(本当は広く浅めに紹介していきたいと思ったのですが、書いているうちに膨れてしまいました・・・)また、これからは、連載で一人のアーティストによる複数の曲を紹介していきたいと考えています。

これからご紹介する曲は、下記youtubeのリンクにまとめていますので、そちらからご視聴ください。ちなみに、今後紹介したいと考えている曲も載せていますが、もちろん、視聴はタダなので(youtubeプレミアムに登録しない限り。広告は付きますが)、本記事で取り上げる曲もそうでない曲もすべて、BGMなどご自由にご使用ください。なお、リンクに載せているものはどれも、普段色々なキリスト教の音楽を聴いている中から厳選したものです(個人の趣味の範囲に過ぎないですが^^;)。また、リンクの中で今後、勝手に曲が増えていく可能性もありますので、乞うご期待を(笑)。

youtubeリンクはこちら

さて、前置きが長くなりました。今回ご紹介するのは、Becka Shae’s Way(和訳:ベッカ・シェイのやり方)でyoutubeに曲を挙げているBecka Shaeさんです。もちろんクリスチャンの方です。ご主人を作曲プロデューサーとして活躍されているアーティストで、アルバムも出されていますが、今回ご紹介するのはアルバムにはない、youtubeのみにあげられている曲です。

上述したyoutubeのみにあげられている曲で特徴的なのは、その曲がセキュラー(キリスト教の教理とは反対の地上の、世俗的)なポピュラー音楽の歌詞をすべて聖書のみことばや信仰に基づいた歌詞に変えていることです。セキュラーな音楽は聞かないので原曲はあまり知らないのですが、いくつか歌手の名前を挙げるとしたら、ジャスティン・ビーバーやエド・シーラン、テイラー・スウィフトといったところでしょうか。洋楽をあまり聴かない方でも、もしかしたら、原曲をどこかで聴かれたことがあるかもしれません。確かに、これまで私も、店先でよく流れているあの曲だな、と思ってBecka Shaeさんのyoutubeを聴いていました。

前回の連載でも述べましたが、クリスチャンになってからはセキュラーな音楽は受け付けなくなってしまったので、素晴らしい才能を持ったアーティストたちのセキュラーな音楽を彼女がとても信仰に満ちた歌詞に変えて歌ってくれることは、ひとりのクリスチャンとして、とても嬉しく思います。もちろん、歌唱力も素晴らしく、原曲は聴いたことがないですが、それらと決して劣るものではないと思います。むしろ、聴いていて心地よいです。

さて、先ほど取り上げたリンクの中で、最初に載せた曲は、Dua LipaのLevitatingという曲の歌詞を変えて歌った曲です。先ほどもお伝えしたとおり、本記事ではこの曲についてのみ取り上げ、あとの曲は今後の連載でできる限り取り上げていきたいと思います。

この曲は、他の曲と同様、原曲を一度も聞いたことがないのですが、Becka Shae’s Wayの中ではよく聴いている曲です。とてもキャッチーで、キリスト教の音楽はあまり聴いたことがないという方でも、最初に入りやすい曲かと思ったので最初に載せました。・・・いかがでしたでしょうか。

サビに出てくる”We got Truth”は、日本語にすると「真理は私たちのうちにある」ですが、英語の方が短いですし、かなりスッと入って来ます。聖書のみことばをすべて偽りのない神の言葉として信じるクリスチャンの信仰を的確に表した力強い言葉と感じます。もちろん、聖書のみことばは真理そのものでもあります(ヨハネの福音書17章17節)。その後、”faith rise”と続く部分がありますが、みことばは信仰のことばとも言われています(ローマ人への手紙10章8節)。私たちは、神様を信じるなら、その語られたことばも信じなければなりません。また、Let the Son shine brightという歌詞も、Sun(太陽)の代わりにSon(神の御子、すなわちイエス・キリスト)としているところに作詞した人の意図を感じます。聖書の中の、光を現しなさい、というクリスチャンの間では有名なみことば(マタイの福音書5章14~16節)にも通じていますね。

以上、断片的に述べてきましたが、サビのWe’re elevating、やcome on fly with meなどの歌詞のとおり、曲の全体を通じて、天国に上げられ永遠を主とともに過ごすことになる信仰者が他の人も救いに導いていく様子を描写しているように感じます。Come on let the Spirit take you highという歌詞も人びとの救いを完成される聖霊様について触れていますね。

その中でも、曲の2番目のAメロ?(動画の1:00〜1:18あたり)の歌詞に着目して頂きたいと思います。・・・え、早過ぎて聞き取れない??いやいや、安心してください(笑)。字幕がついていますので一つ一つ停止しながら動画をご覧ください。実際に私も確認してみました。なお、これからは日本語のみで説明していきますので、本記事をとおして英語を学ばれたい方は、どの歌詞か見つけてみてください。

まず、神様は私たちが必要とするすべてです。それは、私たちが息をするという基本的なところでもそうです。また、食事や寝る場所があるということ、それぞれ一人ひとり異なった才能や能力、仕事や伴侶なども、神様に与えられているものです。また、この記事をお読みになっている皆さんがこの時代に生きていること自体、神様の御心によるものです。すべてこの世界は神様が支配されていて、神様の御手の中にあります。そして、確かに神様は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。もし、この中で神様のことがよくわからないという方がおられるなら、神様を手探りで求めれば神様を見出すことができる、と聖書に約束が書かれています。(使徒の働き17章26~28節)なのでまずは祈り求めてください。そして、与えられるまで求め続けてください。神様はその祈りに必ず、答えてくださいます。(マタイの福音書7章7~8節)驚きかもしれませんが、これは真実です。

そして、神様は、愛なるお方です。なぜなら、イエスキリストは神様であられたのに、私達の身代わりに十字架にかかり、神の怒りを受け、血を注ぎ流し死んでくださったからです。聖書のみことばに、ここに愛がある、と書かれています(ヨハネの手紙 第一4章9~10節)。また、その神様については、この地上にあるさまざまなものをとおして私たちに明らかに示されている、と聖書にあります(ローマ人への手紙1章19~20節)。数えきれないほどの夜空の星を見て、私たちは、神様の創造の神秘を知ることができます。

また、聖書には、「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ(イザヤ書40章8節)」と書かれています。このように、この世界にあるすべてのものが廃れ、消え去っても、神のことば、すなわち聖書のみことばは消え去りません。この地上にあるものは、必ず消え去ります。消え去るものに目をとめていることはいかに虚しいことかと思います。聖書は、だからこそ、永遠に残るものに目をとめているように、と私たちに命じています(コロサイ人への手紙3章1~3節)。このことについて、偶然にも、前回のキリスト教の音楽①の結論の部分でも触れていたので、そちらもよろしければご覧ください。

さらに、聖書には、永遠に残るみことばを慕い求め、それによって成長し、救いをえなさい、とも書かれています(ペテロの手紙第一2章2節)。純粋な霊の乳とはみことばのことです。そうです。聖書のみことばは私たちを霊的に成長させ、救いを得させることができるのです。それが、クリスチャンたちが、これまで読んだことのある同じ箇所でも繰り返し、日々聖書を読み続ける理由です。なので、救われて天国に行きたいと思われる方は、神様に祈り求めながら、積極的に聖書のみことばを読み、聖霊様の力によって聖書を悟らせていただきましょう(ヤコブの手紙1章21節)。

さて、長かったですがここまで読んでくださったこと、感謝します。これまで述べてきた内容で、どの歌詞の部分について触れているか、わかりますか?^^最後になりましたが、もう一つだけ歌詞の中から、お語りします。これは、ちょっと意見が別れそうですが、私個人の解釈としては、教会のことを指しているのかな、と思いました。もちろん、神様との祈りの中での親しい交わりとも取れるかもしれません。もちろんこれもとっても大切なことですが、ここではあくまでも前者について述べたいと思います。

みなさんは、教会には行かれたことがありますか?聖書のヘブル人への手紙10章23~25節には、「自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう」と書かれています。以前の礼拝メッセージの中で、「誘惑に会うと一人では潰されてしまう」と書きましたが、この終わりの時代にあって、信仰を保っていくために、お互いに励まし合える横のつながりもとても大切です。このことをこの曲のある部分から思わされました。「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(ペテロの手紙 第一4章8節)」とも聖書で命じられていますので、神様のみことばをどこであっても、実践していきたいと思います。

真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。

ヨハネの福音書 17章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

では、何と言っていますか。「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。

ローマ人への手紙 10章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

マタイの福音書 5章14~16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。
『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。

使徒の働き 17章26~28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。

マタイの福音書 7章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

ヨハネの手紙 第一 4章9~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。

ローマ人への手紙 1章19~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。

コロサイ人への手紙 3章1~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

ペテロの手紙 第一 2章2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

ヤコブの手紙 1章21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。
ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。

ヘブル人への手紙 10章23~25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

キリスト教の音楽①

キリスト教の映画について、これまで連載で書いてきましたが、今度は音楽シリーズに挑戦してみたいと思います。

当たり前のことかもしれませんが、映画と同様、このブログでは著作権に配慮して、youtubeで公式に掲載されている音楽だけ、紹介していきます。

世の中には、本当にたくさんのキリスト教の音楽があり、私達の心に慰めと励ましを与えてくれます。

私個人の証ですが、過去には、クリスチャンになってからも、全く聖書とはかけ離れた、この世の音楽のとりこになっていた時期がありました。
ただ、聖霊様が私のうちに、徐々に働かれ、全く興味がなくなってしまいました。

今でも、好きなリズムやビート等(リズムアンドブルースやヒップホップが好きでしたので)を魅力に感じて、この世の音楽に戻ろうとする力は働きますが、神様がその曲の中心におられないと、聴いても平安が失われてしまいます。
なので今はまったく聴いていません。

今では、本当に聖書の信仰、御言葉に基づいた音楽を楽しんでいます。
慰めや励ましが必要な時には、いつもではありませんが、音楽をとおしてそれらが与えられるときもあります。
このようにして、神様から、音楽を聴くという趣味を通しても、恵みを頂けるのは感謝なことです。

このような経緯から、自分が特に、恵みを受けた音楽だけを厳選して、ブログで紹介していきたいと思います。
(キリスト教を銘打つ音楽であっても、歌詞の内容が本当に御言葉に基づくものか、よく吟味する必要がありますので、厳選させて頂きます。)

なお、洋楽、とりわけポピュラー音楽しか個人的に聴いていないため、紹介できる範囲は限られてしまいますが、記事を通して、ひとりでも多くの方に恵みを届けられれば、と思います。

また、英語の歌詞を日本語にして、御言葉と共に概要を説明し、どなたが読んでも励ましを受けられる内容となるよう、心がけています。歌詞の紹介やその他の説明の基となる御言葉を最後の方に、順序通りに載せてますので、参考にして頂ければ、幸いです。

さて、それでは紹介に移りたいと思います。

一回目に紹介したいのは、Light That Never Fades · Unspoken featuring Blancaです。

端的に言うと、大袈裟ではなくこれほど永遠の御国(天国)に目を向けさせてくれる曲を、私は他に聴いたことがありません。(他にもあれば、ぜひ教えてください。)

イエス様も、「あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい(ルカの福音書21章34節)」と言われました。この世の思い煩いに押しつぶされそうな時に、この曲が流れると、ふと、永遠に心の目が向き、心配がなくなってしまうことがあります。

曲の冒頭では、「太陽が西に沈むのが最後になる日が来る(ペテロの手紙 第二3章7節参照)」「私達がお金を稼ぐのが最後になる日がくる(1ヨハネの手紙2章17節参照)」と歌います。しかし、「この最後の日が、私達(クリスチャン)にとって、新しい人生の最初の日となる」と続きます(同上参照)。

そして、サビの部分では、「私達(クリスチャン)は、その家を沈む砂の上に建てるのではなく、変わらない石の上に建てる(マタイの福音書7章24節〜27節参照)」「太陽の光は、永遠にこの世とこの世の宝を照らし続けることはない(マタイの福音書6章19節、20節1テモテへの手紙6章7節参照)」と歌います。

曲の2番目もクリスチャンたちにとって、励ましを歌う内容となっています。

そして、最後のサビにつながるCメロでは、「この世ではなく、天国が私達(クリスチャン)の故郷(ヘブル人への手紙11章13節〜16節参照)」と歌い、「この世の短い人生に気をそらされることはない(詩篇39篇4節〜6節参照)」「希望は永遠に続く(1コリント人への手紙13章13節参照)」と続きます。

この曲全体をとおして、クリスチャンたちは、この世に目を向けるのではなく、永遠にあるものに、いつも目を向けているべきだと、思わされます(コロサイ人への手紙3章1~3節参照)。そしてそのことをとおして、神様から私達に喜びが与えられるのだと信じます(ヤコブの手紙1章25節参照)。

これらの御言葉を実行して、永遠のいのちを得ていくものでありたいと思います。

しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。

ペテロの手紙 第二 3章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。

ヨハネの手紙 第一 2章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。

マタイの福音書 7章24~27節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。

マタイの福音書 6章19~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。

テモテへの手紙 第一 6章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。
もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。

ヘブル人への手紙 11章13~16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

主よお知らせください。私の終わり私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないかを知ることができるように。
ご覧ください。あなたは私の日数を手幅ほどにされました。あなたの御前では私の一生はないも同然です。人はみなしっかり立ってはいても実に空しいかぎりです。セラ
まことに人は幻のように歩き回りまことに空しく立ち騒ぎます。人は蓄えるがだれのものになるのか知りません。

詩篇 39篇4~6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

コリント人への手紙 第一 13章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。

コロサイ人への手紙 3章1~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。

ヤコブの手紙 1章25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

キリスト教の映画③

今日は、3月6日の記事(キリスト教の映画①)、そして4月29日の記事(キリスト教の映画②に続いて、キリスト教映画の第三回目の紹介です。

三つ目に紹介する映画は、Chris Staron監督のBetween the Walls (2006) です。今回も、これまで紹介した二つの映画と同様、YouTubeで見られるChristian Moviesチャンネルに掲載されている映画です。

映画の物語は、主人公Peter Kingとその家族が、Peterの幼馴染、クリスチャンで銀行員のRyan Conellyと再開する場面から始まります。実はこの再会は、単なる再会ではなく、Ryanは、仕事を失ったPeterの住む家の差し押さえを担当していたのです。そしてこの家は、数年前に亡くなった、Peterの父の家でした。Peterは、この再会をきっかけに、父が決して入ることを許さなかった、ある「部屋」で、父がしていたあることを発見するのです。この出来事をきっかけに、Peterは、聖書と神の名を、ただ自分の支配欲のためだけに利用した父との過去と向き合うことになります。

虐待を経験した主人公は、自分の過去と決別して前進することを拒絶します。そして、何よりも、主人公は神様を拒絶します。この映画をとおして、神様の救いが差し伸ばされても、それを受け取るか受け取らないかは私たちの選択次第だ、ということも思わされます。そしてどのような過去であったとしても、それを受け取るなら、それは本当に素晴らしいものです。そして、神様は、悪い出来事をも用いられ、それを助けてくださる方であることを、この映画をとおして知ることができます。

神様を信じている方も、まだ信じられていないという方も、過去と向き合うことに葛藤を覚えておられる方はいらっしゃると思います。この映画をとおしてであっても、何であっても、それらの方々に神様があらわれ、救いへと導いてくださることを祈ります。

キリスト教の映画②

3月6日の記事(キリスト教の映画①)に引き続き、二つ目のキリスト教の映画を紹介していきます。

二つ目に紹介する映画は、 Kevin Downes監督のAmazing Love: The Story of Hosea (2012) です。今回も、前回に引き続き、YouTubeで見られるChristian Moviesチャンネルに掲載されている映画です。

映画はティーネイジャー向けの教会キャンプから始まります。子どもたちは、ある複雑な家庭で育つ女の子の言動によって仲違いを始めてしまいますが、教会のユースパスター(若い人たち向けに語る牧師のこと)とその妻は、子どもたちに神様の無償の愛を伝えるため、旧約聖書のホセア書から語り始めます。夫に不忠実な女性ゴメルと結婚し、愛した、預言者ホセアの物語から、キリストの愛が語られます。

ラストはとても感動的です。本当に、私たちに対するキリストの愛は、語り尽くすことはできませんが、映画を通してその愛がどのようなものか味わうことができます。ぜひ、自分自身をゴメルと照らし合わせて見てみてください。また、映画の中で、神様の裁きはないと思っている、イスラエルの人々も、どこか自分と重なる部分があるかもしれません。

これからゴールデンウィークの連休ですが、セキュラーな映画の代わりに、御言葉に基づくキリスト教の映画を見るのはいかがでしょうか。良い映画があれば、引き続き紹介していきたいと思います。

ちなみに、前回紹介した映画のあらすじも追加しました。どなたかの一助になれば幸いです。

キリスト教の映画①

 YouTubeで、キリスト教の映画が見られるので、最近良く視聴しています。以下のチャンネルの映画をこれまで幾つか視聴し、良い内容のものがたくさんあるので、皆様にもぜひ分かちあえたらと思い、これから紹介していきます。

 YouTubeで見られるのは、https://christianfilms.comの公式チャンネル(Christian Moviesチャンネル)に掲載されている映画で、動画の途中で時々流れる広告の収入で運営が賄われているようです。このため全て無料で視聴できます。

 なお、注意点としては、全て英語です。英語のリスニングができる方はもちろん良いのですが、youtubeの設定を変えれば字幕も表示されるため、英語を勉強中の方にも良いかと思います(ただし不正確な字幕が流れることがあるので、あくまでも補助的に使うと良いと思います)。

 さて、まず一つ目に紹介する映画は、 Rich Christiano監督のSecond Glance(1992)です。

 1992年に撮影された映画のため映像が古いですし、50分間と短いですが、信仰者が信仰生活を送る上で迷う部分はもちろん、未信者の方が信仰について疑問を持たれる部分についても、明確な答えを提示し、心に迫る内容です。

(あらすじを追加しました)ダンはクリスチャン家庭で育ったハイスクールのシニア。同級生が開いている週末のパーティにも通わず、クラスの人気者からはクリスチャンであることを馬鹿にされる始末。そんな彼は、主にある働きをしながらも、自分は同級生から「ただの良いやつ」としか思われておらず、誰にもインパクトを与えられないと思いこんでいたのでした。ある日ダンにとって、残念な出来事が起こります。意気消沈したダンは、その晩、ある祈りをします。それから、ダンに様々な衝撃的な展開が待ち受けます。

 映画では、この世と神様への信仰は決して相容れないことと、この世が提供するものよりも、神様が与えて下さるものの方が何倍も良い、ということを教えてくれます。私は個人的に、この映画のラストを通して、人生でこの世を捨てて、イエス様に従うことの大切さを再確認できました。

 ちなみに、ティーネイジャーの男の子が主人公というのもありますが、内容的に、若い人にぜひ見てみて欲しい映画です。そして確かに、若者向けかもしれませんが、そうでなくても学ばされる内容だと思います。

礼拝メッセージを公開しました

最後のブログ更新から1年以上経ってしまいましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

その間の教会も、国や県独自の緊急事態宣言により、礼拝をお休みにしたり、新型コロナウイルス感染症対策によりイベントもなかなか開催できずにいました。

今でも礼拝はできていませんが、ネットを通じて、一人でも多くの方に御言葉を分かち合えればと考え、礼拝メッセージ(こちら)の公開に至りました。

これから、不定期に更新していく予定ですが、記事を書き始めて早々に、自分自身も恵みを頂けてるなあ、と感じられることが多々ありましたので、更新のペースはひょっとすると早いかもしれません(笑)。

どのような中にあっても、御言葉をわかちあえる機会が与えられていることに感謝して、少しでも多くの方がイエス様の愛の素晴らしさを知れるよう、お祈りしています。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。