1章-1 鬼気迫る中での平常心

神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、愛する子テモテへ。父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。(一~二節)

手紙の執筆事情~捕らえられたパウロ

今日からテモテへの手紙第二の学びを始めます。聖書六六巻にはそれぞれ、その書物が書かれた歴史的背景があります。それをできるだけ正確に捉えることが、聖書を理解するための土台になります。それを知るために、今日は開かれている最初の箇所と、最後の箇所を照らし合わせながら学んでいきたいと思います。

第二テモテを書いたのは、パウロです。一節の冒頭は「パウロ」と始まります。ただし差出人がパウロであって、実際に筆を握ったのはルカでしょう。パウロはいま、ローマによって牢屋に閉じ込められています。ルカも一緒に閉じ込められていた可能性が高いでしょう。第一テモテを書いたとき、パウロは自由でした。そしてマケドニヤ地方で冬を過ごそうと思いつつ、テトスに手紙を書いたのです。それがテトスへの手紙。つまり時間順でいうと、第一テモテを書いてから、テトスを書いて、そして第二テモテを書くという順番になります。時は紀元六五年頃のことです。冬が明けたら、エペソに戻り、テモテと再会しようという計画があったでしょう。けれども、マケドニヤにいる間にパウロは逮捕され、ローマに送致されてしまったのです。そこでエペソ訪問が叶わなくなったこともあり、手紙を書く必要が生まれたわけです。

当時、郵便制度はありませんので、手紙は誰かに託して運んでもらうものでした。この手紙を運んだのはテキコという人物です。

手紙の目的~呼び出されるテモテ

手紙の受取手は、二節に出てくるテモテです。しかし、第一テモテがそうであったように、これは個人的な手紙ではありません。しばしば、第一テモテは教会を含んでいるが、第二はそうではないと言われます。けれども、詳しく調べるとそんなことはないのです。この手紙もまた教会で読まれました。その証拠に最後になされる祝祷は、「あなたがた」と複数形になっています。それだけではありません。もし、これがテモテ個人のためであるなら、語られている言葉のほとんどが意味をなさないことになるのです。

この手紙の第一の目的は、テモテをパウロのもとに呼び寄せることです。この手紙を受け取ったなら、すみやかにエペソを離れて、ローマにいるパウロのところへ来るように、ということが語られます。ということは、この手紙でなされている命令を、テモテ自身はエペソで実行する暇がありません。これは緊急事態であり、パウロは、自分の処刑が迫っている中で、どうしてもテモテを呼び出したかったのです。ですから、パウロがテモテに命じていることは、この手紙とその内容の実行を教会に託すことだったのです。

その観点からこの手紙を読むとき、大昔の個人的な手紙ではなく、二十一世紀の日本の教会に生きる私たちへのメッセージが見えてくることになります。

平常心で生きるために~三つの確信

さて、今日の箇所で、パウロが何を確信しているかを見ましょう。「いのちの約束」と「神のみこころ」です。パウロは、今、自分が置かれている状況が、神のみこころに基づいていることを確信していました。どんな困難な状況でも、私たちは神のみこころの中にあることが確信できるとき、平安を保つことができます。そして死を目前にしても「いのちの約束」を握っているなら、恐れることはないのでした。そして、そんなパウロがテモテに、そして教会に願うのは「愛されている」確信を持つこと。この三つがそろう時、私たちは、どんな緊急事態にも、平常心を保つことができるでしょう。人間的に言って、誰かに恵み、あわれみ、平安を祈ることなどできない状況で、パウロは落ち着いていつものように手紙を始めます。鬼気迫る中での平常心。私たちもこのパウロの姿勢にならい、神のみこころの中にあり、愛されており、いのちの約束をいただいている確信を深めていきたいのです。