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祈祷会メッセージとお祈りの課題

慰めの神

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(IIコリント1:4)

今日から聖書通読は第二コリントに入りました。このコリント人への手紙第二は、慰めの手紙と呼ばれます。手紙を読んでいくと、どうやら第一コリントと、第二コリントの間には、他にも手紙のやり取りがあったようです。そして、パウロもコリントの教会を訪問したようです。第一コリントの時には、教会のいくつかの問題があり、それを指摘する厳しい内容の手紙でした。第一コリントの手紙を受け取り、またパウロの訪問もあったコリントの教会は、これを真剣に受け止め、教会全体で悔い改めたようです。そして教会が神様の慰めによって回復していきました。この報告を聞いてパウロが書いた手紙が、この第二コリントと思われます。この手紙には、パウロがコリントの教会の痛みに共感し、慰め、励ましている内容が見えます。

パウロは、手紙の冒頭で、神様が慰め主であることを書いています。「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」と書いています。神様は、人とは違う聖なる神様です。神様は誘惑を受けたり、罪をおかしたりするようなお方ではありません。神様は、自分の罪の性質のゆえに悩んだり、苦しんだりすることはありません。しかし神様はむしろ私たち人間を愛するがゆえに悩まれるお方です。私たちを心から愛しているので、私たちがなかなか神様に思いを向けないことに悩みます。私たちが苦しむときに、神様は私たちを愛するがゆえに一緒に苦しむのです。そういうお方です。神様は人の苦しみを理解できないお方ではありません。イエス・キリストによって神様は100%人間と同じになられました。罪は侵されませんでしたが、弱さも苦しみも全て人間と同じになりました。それは神様が私たちのことを理解したいからです。苦しみ、悩みを理解し、本当の助け、慰めを与えたいからです。ですから神様は私たちの苦しみ、悩みを理解し、慰めを与えることができます。いつもそばにいて、励ますことができるお方です。

私たち人間は、なかなかお互いの気持ちを理解し合うことができません。心と心は繋がっていません。心と心が繋がっていないということは、お互いに個性ある人間であるということでもあります。それはすばらしいことですが、それゆえにお互いを理解し合えず、非難し合ったり、傷つけあったりしてしまいます。私たち人間同士がお互いに気持ちを共有し、慰め合えるとしたら、それは神様の働きです。神様の慰めがあり、同じ神様がそれぞれのことを愛し、大切に思っているからこそ、私たちはお互いを愛そう、赦し合おう、大切にしようと思えます。神様の慰めが私たちを繋いでくださるのです。私たちはお互いに理解し合えないかもしれません。しかしお互いに神様に理解して頂いています。私たちは神様に祈ることによって、慰めあうことができるのです。全く同じ苦しみは経験していないかもしれませんが、キリストにあって別々の苦しみを受け、でも同じように苦しんでいるのです。キリストが、神様が私たちの悩み、苦しみを一つにし、慰め、理解し合うことも可能にしてくださいます。

私たちたちは苦しむとき、神様の慰めをしっかりと頂きましょう。そしてその経験が、他の人と苦しみを共有し、慰め合う時の助けとなります。とりなしの祈りの原動力となります。

お祈りの課題

  • 畳→フローリングへの切替工事、看板→掲示板切替工事のために。
  • 9月の予定のために(委員長会議、聖書塾、礼拝奏楽者研修会、日本伝道会議)
  • 昭島教会のみなさんのために
  • 八王子教会のために