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祈祷会メッセージとお祈りの課題

人は違う、神は同じ

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。(Iコリント12:6)

コリントの教会には分裂がありました。教会内で互いに誰につく、誰につかないといった争いがありました。本来、神様の恵みを表すはずの教会が、このように争いの場となってしまうことは悲しい事です。人にはそれぞれ違いがあります。みんながみんな同じではありません。そのことが、ある時には助け合いになり、ある時には争いの元になってしまいます。Iコリント12章でパウロは、二つの事を繰り返しているように見えます。一つ目は「人はそれぞれ違います」という事。二つ目は「神は一つです」という事です。

神様はお一人です。それは聖書が一貫して教えていることです。パウロが新しく考えたことではありません。神様は三位一体なるお方ですが、お一人です。その神様が世界をお造りになりました。パウロは他の箇所で、「教会のかしらはキリストです。」と言っています。ですから私たちが礼拝するお方はお一人だけです。教会に集まっている誰もがこの同じお方を見上げているのです。

そのお一人の神様が、人を造る時には、バラバラにお造りになりました。そして一人ひとりはとても制限のある存在としてお造りになりました。これは、人は一人で完成するものではないということを表しています。人はたくさん集まって初めて教会となります。キリストをかしらとしたキリストの体となります。お一人の神様の栄光を表すからだとしての教会となるのです。パウロは12節でこのように言っています。「ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」人はそれぞれ違いますが、それは体のいろいろな部分が異なっていて、それら全部を集めて一人の体となるように、多くの違う人が集まることで一つのキリストの体となります。

それぞれ違う部分が集まって一つの体なのであれば、お互いにあの部分は必要だとか、この部分は必要ないと言うことはできません。12:22でパウロが言っているように、「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」教会はたくさんの人が集まっていて、みんな違いますが全員必要です。むしろ全員合わせてもまだ足りないくらいです。神様はとても力強く、恵みと栄光に満ちたお方です。その栄光を表す体としてはどうでしょうか?世界中のどんな教会も表しきることはできません。全ての教会を合わせてもまだ足りないくらいです。ですから、教会内で分裂が起こって、教会が小さくなっていくことは悲しい事です。今でさえ足りていないものがさらに足りなくなります。

パウロはこの12章の後、続く13章で素晴らしい事を書いています。先取になりますが、それは愛についてです。教会はこのように違う人が集まっていますが、それはお互いに必要だからです。お互いに比べ合ったり、競い合ったり、まして裁き合ったりするためではありません。それよりも互いに尊重し合い、助け合い、愛し合うために違う存在となっています。私たちも今日、この祈り会を通して、互いの為に祈り合いたいと思います。

お祈りの課題

  • 伝道礼拝、改築感謝会のために
  • 昭島教会のみなさんの体調と予定が守られるように
  • 桜ヶ丘教会のために

*先日の台風で、玄関扉の上の雨漏りがあり、今日修理して頂きました。

*昭島教会の1階和室→フローリング切替工事、玄関看板→掲示板切替工事が行われることになりました。工事のためにもお祈り下さい。