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祈祷会メッセージとお祈りの課題

神様からの福音

兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。(ガラテヤ1:11-12)

ガラテヤ人への手紙に入りました。ガラテヤ人への手紙はパウロの手紙の中でもかなり口調の厳しい手紙です。書かれている内容は、神学用語でいえば義認論、義と認められることについてです。面白い事に、義認論とは何ですか?と聞かれた時にどう応えるによって、パウロが問題としていることが見えてきます。パウロは、人はどのようにして義と認められるかという視点から、神様はどのようにして人を義と認めて下さったかという視点へ変えようとしています。微妙な違いですが、主語が違います。神様が主体か、人が主体かということです。パウロは、人が救われる、義とされるのは、神様によるのだということを書いています。

パウロは11-12節で、パウロが受けた福音は、人から受けたものではなくて、神様から受けたものだと書いています。福音とは英語で言えば、Good newsです。良い知らせ、良いニュースです。ニュースというのは、ふつうは、私たちの外から入ってくる情報をニュースと言います。お知らせと言います。たまにはお知らせを発信する側にもなりますが、今まで知らなかった事を聞くといのが、ニュース、お知らせです。自分で見つけた情報、自分の中から沸き起こってきたことはニュースとは言いません。それは発見です。体験です。福音も私たちは今まで知らなかったのです。それは私たちの外から入ってきた情報です。私たちの内側から沸き起こった物ではありません。もし私たちの救いというのが、私たちの内側から沸き起こってくるものだとすれば、私たちはそれを福音、Good news、良い知らせとは呼ばなかったと思います。変革とか、新体験とか、そういう呼び方をして、こういうことをすれば自分は変われるみたいなことを教え合うようになったと思います。しかし福音とは、私たちの外側、私たちの知らなかったところから、神様の側からもたらされました。だから良い知らせ、Good newsなのです。パウロはローマ5章で私たちが神様を知らないどころか、まだ神様に敵対して歩んでいた時に、キリストが私たちのために死んでくださっとと書いています。それによって私たちは義と認められ、神様との平和を保っています。私たちはこの良い知らせをただ受け取るだけでした。まず私たちの側から「神様、ごめんなさい。」と言ったから赦されたのではなく、神様の側から先に「あなたを赦すよ。」と言われ、次に私たちは「神様、ごめんなさい。」と言うことができたのです。

このように神様からの良い知らせを受け取ることから始まった、信じる事から始まった信仰、義認、神様との関係ですから、信仰生活はいつも神様から始めるのが一番です。私たちは神様の愛に触れたので、目に見える行動においては、愛の行動をしようと心がけています。神様が愛してくださったので、私たちも愛し合いたいと思っているだけです。でもそれを外から見ると、この「神様が愛してくださったので」という部分が目に見えないので、ややこしい話になります。私たちが愛の行動をするから、私たちはクリスチャンであるかのように見えてしまします。しかし本当は違います。神様から始まっているのです。この微妙な違いをパウロは手紙の中で書いています。福音は神様から始まりました。私たちの信仰も神様から始まっています。すべては人間から始まったのではなくて、神様から始まったのです。

お祈りの課題

  • 10月の集会のために
    • 女性リトリート、聖書塾、JHA関東聖化大会、伝道礼拝、宣教礼拝、宣教フェスティバル
  •  昭島教会のみなさんのために。
  • みずほ台教会のために。