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祈祷会メッセージとお祈りの課題

あなたの小道を教えてください

主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。(詩篇25:4-5)

詩篇25篇には、道という表現がよく出てきます。神様の道、主の道を教えてくださいということが主題となっている詩篇のようです。クリスチャンも、ユダヤ人も、自分たちの宗教のことをよく「この道」と表現してきました。それはユダヤ教、キリスト教というのが、一過性のものではなくて、人生に渡って継続していくものであるということを示しています。救いを受けたからそれで終わりなのではなく、そこからがスタートで、自分の人生、この地上生涯と、永遠に続く天国での生活にまで続くものであるということを示しています。キリスト教やユダヤ教でなくても、私たちは自分の人生のことを「道」と表現します。どの道を歩んで生きているのか、自分は人生をかけてどこへ向かっているのか、それが私たち人間が心の奥深い部分で求めていることなのかもしれません。

詩篇25篇では、神様に向かって「主よ。あなたの道を教えてください。」と祈っています。これは「神様、あなたは人生をどう歩んでいるの?ふ~ん。そんな道を歩んでいるんだ。じゃあね。」ということではありません。単なる好奇心から神様に「道を教えてください。」ときいているのではありません。自分がその道を歩みたいので、「教えてください。」と頼んでいるのです。5節にあるように、「あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。」ときいています。なぜなら、この詩篇を作った作者は神様の事を、「あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。」と慕っているからです。私たちはみな、自分の人生の道を歩んでいます。その道は誰か他の人が用意してくれて歩んでいる道ではありません。誰かが前に通った道でもありません。自分だけの道です。自分の道が他の人と違うのは当たり前で、交換することもできないのです。まさに私たちは常に前人未踏の道を歩んでいます。このような道なき道を歩んでいるのですから、私たちは当然先行き不安になります。だれかに導いてほしい。ガイドしてほしい。と思います。この詩篇の作者は、神様にガイドしてほしいとお願いしているのです。神様以外にこの責任重大なことに関して頼れる方はいないということです。

詩篇25:4ではこの道について「小道」と表現しています。神様が導いてくださる「あなたの小道」です。面白い表現だと思います。どうして小さい道なのでしょう?自分という存在の小ささを認識してというのもそうかもしれません。新約聖書マタイ7:13-14でイエス様は、「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」と言っています。あなたの小道とは、その道が神様のガイドなしでは見つけるのが難しい道であるということを表現しています。詩篇25篇も作者も「あなたの道を教えてください」という言葉とともに、「わたしの罪を赦してください」ということも多く語っています。神様なしで、自分でなんとか歩んでいこうと思ったけれど、失敗も多かった。そこで今度は罪を悔い改めて、ちゃんと神様のガイドのもとに歩んでいきたいという思いが伝わります。私たちも今一度、あわれみによって神様に罪を赦して頂き、神様のガイドを求めたいと思います。

お祈りの課題

  • クリスマスの諸集会のために
  • 新しい方が来会されるように
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 川越教会のために