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祈祷会メッセージとお祈りの課題

ご恩寵のうちに

まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。(詩篇30:5)

詩篇30篇は、喜びの歌のようです。ただ喜んでいるというよりは、一度は苦しみにあったけれども、回復された喜びを歌っているように見えます。この詩篇の表題には「家をささげる歌」とあります。家を建てた時に、この家を感謝し聖別するために歌った歌かもしれません。この表題については年月が経ってからつけられたのではないか?という説もあるようです。いずれにしても、家を建てた記念に、それまでの工程を振り返り、人生を振り返り、山あり谷ありであったけれども、こうして喜びの時を迎えたという内容の歌を歌いたくなる気持ちはよく分かります。この詩篇は、あるふとした時に、自分のたどってきた道を思い返し、守られたことの感謝の喜びを歌っている詩篇です。

人生山あり、谷あり。それはだれもがそう思うのではないでしょうか?まだ人生経験の乏しい子どもでさえ、いつもうれしい日ばかりではないということはよく分かっています。いつもうれしければどんなに幸いだろうかとも思いながらも、人生には辛い時もあります。そんな辛い時、苦しい時に、私たちをしっかりと支えてくださるお方がいるという事は素晴らしいことです。この詩篇の作者は、苦しい時にしっかりと自分を立たせてくださった神様に感謝をしています。7節にこう書かれています。「主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていましたが。」神様、あなたはご恩寵のうちに私を立たせてくださいました。とあります。「恩寵」という難しい言葉が出てきました。恩寵とは恵み、慈しみのことだと思いますが、ヘブル語には、ヘーン、ヘセドゥといった恵みという意味の言葉があります。しかしここで使われているのは、ラツォンという別の言葉です。この言葉は「受け入れる」という意味があるそうです。つまり神様の特別な顧みによる恵みのことを指しているようです。恩寵という言葉も何となく、特別に囲って受け入れているイメージだと思います。人生は、時には辛いこともあったけれども、神様からおしかりを受けるようなこともあったけれども、そのようなときにも、神様の御手が私を囲って守ってくださっていたのだという事を思い返し、感謝をささげている様子がうかがえます。

親は子どもを愛しているからこそ、時には厳しく接します。子どもがその事に気づくのは、ずっと後になって大人になってからです。大人になって振り返った時、親の愛、恩寵を知ります。私たちと神様の歩みも、山あり谷ありを走っている最中にはなかなか気づかないかもしれません。しかしふと何かの時、家を建てた記念のようなときに、立ち止まって振り返ると、神様の恩寵に気づくのではないでしょうか。そして神様の恩寵の内側で生きることこそ、私たちの幸いであると気づきます。その恩寵の中には、まだ山も谷もあるかもしれませんが、神様の恩寵の外側で生きるよりは幸いであると感じます。神様の恩寵のうちでは、夕暮れに涙が宿っても、喜びのうちに朝明けを迎えることができると経験から分かっているからです。信じることができるからです。今日も神様の恩寵のうちに歩ませていただきましょう。

お祈りの課題

  • クリスマスの諸集会のために
  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 守谷教会のために