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祈祷会メッセージとお祈りの課題

だれが主を使役できよう

ベテ・シェメシュの人々は言った。「だれが、この聖なる神、主の前に立ちえよう。私たちのところから、だれのところへ上って行かれるのか。」
Iサムエル6:20

Iサムエルに入りました。サムエル記はイスラエルに王が誕生する時のお話が記されています。第一、第二と分かれていますが、第一は特にサウル王の時代について、第二はダビデ王の時代について書かれています。Iサムエルの7章までは書物の名前にもなっているサムエルについて語られています。サムエルは最後の士師とも呼ばれていて、士師として、軍事的指導者としてイスラエルを導いている様子なども記されています。この頃のイスラエルは士師記の時代の直後であり、とても混乱した時代です。まことの神様に仕え、人々を導くはずの祭司たちの堕落ぶりが描かれています。

そんな時、士師の時代と同じように、外国ペリシテがイスラエルに攻めてきます。イスラエルは形勢が不利なのを見て、戦場に神の箱、つまり契約の箱を持ち出します。神の箱は、出エジプトの時代にイスラエルの民を導いて下さった神様の命令によって作られました。神の箱は神様が臨在してくださることの象徴であり、最も聖なるものであり、礼拝の中心です。この礼拝の中心、神様の臨在が、人間の都合によってあっちこっちに持ち出されたのです。結果的にはイスラエルは戦争に負け、神の箱はペリシテに持ち去られてしまいます。4:21にあるように正に、神様の栄光はイスラエルから去りました。もはやイスラエルは神様の見守りのうちにある国ではなくなったのです。

神の箱を持ち帰ったペリシテは、神の箱の取り扱いに苦労します。神の箱が置かれる所は災いが起こったからです。神の箱は町から町へ転々とします。そして最終的にはイスラエルに返そうという結論に至ります。贈り物をつけて、そっと雌牛に引かせていって、イスラエルに返そうということになりました。人間の手によらず神の箱はまっすぐイスラエルに帰っていきました。

イスラエルに帰ってきた神の箱は正しく扱われるようになったかと言うと、そうでもないことが分かります。そもそもイスラエルの人々がまことの神様を捨てたことがすべての始まりです。イスラエルで初めに神の箱が到着したのは、ベテ・シェメシュという町でした。ベテ・シェメシュという町の名前は「太陽の町」という意味だそうです。名前の由来は、「太陽神をあがめる町」だという研究もあります。ということはまことの神様以外に他の神々も信じていたということになります。この時代に太陽神をあがめていたかどうかは分かりませんが、いずれにしても、イスラエル全体がバアルやアシュタロテなど偶像であふれていた時代です。おそらくベテ・シェメシュの人々もペリシテの人々と同じように、偶像と並べてあれも神、これも神として神の箱を取り扱ったのだと思います。

偶像崇拝、というよりも多神教には一つの傾向が見られます。それは「人が神を使役する」という精神です。人間の都合に合わせて、多くの神々から選んで神の力を使うのです。医者が薬を処方するような感覚と同じです。これは人間本位な考え方です。ある意味で神様の意志を無視したやり方となります。このような扱われ方は神でなくても、人間でも嫌だと思います。よく小さい子どもは親の都合を考えずにおねだりします。ある意味で子どもは親を自分の物として、自分の都合に合わせて使役しているのです。それが赦されるのは、親が子どもを愛しているからです。親の愛とあわれみのゆえに、子どものわがままが赦されていたのだということは、自分が親になってみて初めて分かるものです。神様も私たちの親です。神様は、私たちの都合で使役されることを断固拒否されます。「だれが、この聖なる神、主の前に立ちえよう。」です。神様は神様の意志を持っておられ、神様が恵もうと思うものを恵まれます。もし神様が私たちのわがままを聞いて下さったと感じるなら、それは神様の愛とあわれみによるのです。神様はそのような愛とあわれみを持ったお方ですが、私たちも犯してはならない一線があります。神様を神様として尊敬の念を持ちつつ、親子のような神様との親しいお交わりをさせていただきたいと思います。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集っておられる兄姉、ご家族のために
  • 次聖日の神学生支援デーのために
  • FMTW、聖書塾、代議員総会、タイ・チェンマイ宣教ツアーのために
  • 川越教会のために