カテゴリー
祈祷会メッセージとお祈りの課題

神様は私の心を知っておられる

しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
Iサムエル16:7

Iサムエル15章には、イスラエル初代の王サウルが失敗し退けられる決定的な場面が記されています。そして続く16章には神様が新しい王ダビデを選ぶ物語が記されています。実際にダビデが王となるまでにはまだしばらくの時間がりますが、神様の霊はすでにサウルから離れダビデに移っていることが16章に記されています。

サウルもダビデも、神様がイスラエルの王として選ばれました。そのどちらにも共通しているのは、神様は容姿や能力によって判断したのではないという事です。サウルは次第に神様から心が離れてしまうのですが、選ばれた時には誠実でわきまえを知っていた男性でした。エッサイは自分の息子たちの中に神様が選ばれた子どもがいると知って、長男から順にサムエルに紹介します。サムエルが抱いた長男エリアブの第一印象は「確かに、主の前に油そそがれる者だ」という好印象でしたが、神様はエリアブを選んではいませんでした。神様は「人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰っています。神様はダビデの心を見たうえで、ダビデを選ばれました。

詩篇にはダビデの詩篇と言われる物が多く収められています。詩篇139篇は、神様が私たちの心をすべて知っておられるお方であることを賛美している詩篇です。139:1-2にはこのようにあります。「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」神様は私たちの心を探り極めておられるお方です。神様の前では私たちは隠し事はできません。神様の偉大さを感じるとともに、とても恐ろしいことのように思えます。実際、Iサムエル15章でサウルは、サムエルに対して自分の失敗を取り繕うとしますが、神様に心のすべてを見抜かれています。サムエルは言い訳をしようとするサウルに対して「やめなさい。」と一喝しているのです。私たちは悪いことをしてしまうと、それを隠そうとする誘惑にかられますが、神様は全てをご存知です。

神様が私たちの心を知っておられる恐ろしさを覚える反面、私たちに慰めも与えてくださいます。私たちの心に抱く言葉にならないようなうめきや苦しみ、悩みも神様は理解してくださいます。私たちは悩み事があると友達に相談したりしますが、友達に自分の気持ちを100%伝えることは困難です。また必ずしも理解してもらえるとも限りませんし、逆に友達に大きな負担を背負わせてしまう事にもならないかと考えてしまったりもします。しかし神様は言葉によらず。聖霊によって私たちの心を100%理解してくださいます。誤解されることは決してありません。また私たちの悩みを聞いて負担が増し加わって世界を治めることができなくなるということもありません。そうなったら大変ですが。私たちは遠慮なく神様に相談することができます。詩篇139篇の最後はそのように神様が私たちの心を知って下さっている安心と共に、「どうぞ私の心を知って下さい」と自ら明け渡している内容になっています。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」私たちも私たちの心を見てくださるお方を前に、罪に対しては誠実に、そして平安をもって自分の悩みを明け渡していきたいと思います。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集っておられる兄姉、ご家族のために
  • 聖餐礼拝のために
  • 教団の各教会、代議員総会、宣教ツアーのために
  • みずほ台教会のために