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祈祷会メッセージとお祈りの課題

罪の赦しと癒し

しかし王はアラウナに言った。「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」そしてダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。
IIサムエル24:24-25

IIサムエルの終わりにはダビデの晩年が記されています。24章は「さて、再び主の怒りが…」と始まり、ダビデが一つの失敗をしていることが記されています。ダビデは人口調査をしてイスラエルの兵士たちの数を数えています。これがどんな罪であったのか、現在ではよく分かりません。人口調査そのものは罪ではないと思えますが、ダビデの動機に大きな誤りがあったものと思われます。I歴代誌21章にも同じ出来事が記されていますが、そこでは、サタンがダビデをそそのかし、人口調査を行わせたとあります。そしてダビデの側近である将軍ヨアブが、人口調査の必要性についてダビデに質問しています。ダビデは側近たちを説き伏せてまで人口調査を行いました。

なぜダビデがそこまでして人口調査に拘ったのか、分かりません。ダビデが自分の力を誇りたかったからだと考えることもできます。神様の力によって建てられたはずのイスラエルの国ですが、ダビデは晩年になって自分の人生の意義を見出したかったのでしょう。自分は生きてきた間にこれだけの業績を残したと示したいがために人口調査を行ったとも考えられます。あるいはお金のためにそれをなしたとも考えられます。税の取り立ては人口調査を基に行いますので、不足を感じていたわけではないが、収益を増やすために人口調査を行ったとも考えられます。いずれにしても、ダビデは何か神様に反抗する心があって人口調査したことを、後で認めて悔い改めています。

神様はダビデに対し、3つの中から罰を選ぶようにと言いました。ダビデはそれに対して、「主の手に陥ることにしましょう(24:14)。」と言っています。神様にお委ねしますという事を言っています。自分で選べばきっとまた人間的な、自己中心的な思いから選んでしまう事になる。しかし神様はあわれみ深いお方であるから公正な裁きをしてくださるというダビデの深い信頼が表れています。ダビデはバテ・シェバ事件の時もそうですが、自分の罪を素直に認め、深く神様に信頼する誠実な心を持っています。罪というのは恥を伴いますから、隠したい、ごまかしたい、逃れたいという気持ちにかられます。しかし私たちもダビデのように誠実に自分の罪を告白し、しっかりと神様に委ねたいと思います。神様は必ず私たちを赦し、その罪の結果の痛みさえも益とすることができるお方なのです。

神様はダビデの言葉を聞き、3つの選択肢の中から最も短い期間の罰を選ばれました。結果的には神様もこの災いを思い直し、罰を下しているみ使いに「もう十分だ。あなたの手を引け(24:16)。」と言っています。神様はダビデに、エブス人アラウナの打ち場に祭壇を築くように言いました。アラウナの打ち場と言うのは、ダビデの住んでいた町の目と鼻の先、モリヤの山の上にありました。ここはかつてアブラハムがイサクを捧げようとした場所です。ダビデは自分の罪のゆえにこのような事態になったことをはっきりと認めていましたので、しっかりとお金を払ってこの土地を買い取ります。そしてそこに祭壇を築きました。I歴代誌を読むとこの場所にエルサレム神殿が建てられることになることが分かります。ダビデが自分の罪のゆえに祭壇を築いたその場所は、かつてアブラハムがイサクを捧げようとして、贖いの尊さを示した場所であり、エルサレム神殿が建てられ、人々の贖い、罪からの救いのために毎日儀式がされる場所となっていきました。神様はダビデの生涯の汚点さえも、良い物に変えて用いてくださるお方なのです。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 愛餐懇談会、葬儀セミナーのために
  • 3/17に卒業する高木修養生のために
  • 青梅教会のために