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祈祷会メッセージとお祈りの課題

目に見えない神様を見る

すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
II列王記6:16-17

列王記には、イスラエルの王たちの記録が残されていますが、I列王記の終わりからエリヤの物語が始まり、II列王記の初めにはエリシャの物語が記されています。イスラエルの歴史、特に北イスラエル王国の王たちは神様に従って歩む者が表れませんでした。北イスラエルは、指導者が真の神様に対する信仰を失ってしまっているので、混乱しますが、エリヤとエリシャはそんな北イスラエル王国で神様を指し示し、神様に仕える預言者たちを育成していきます。ひときわ混乱を極める時代にあって、エリヤとエリシャが他の人々とは全く違うものを見ながら過ごしていたのだという事がよくわかる事件がII列王記6章に記されています。

北イスラエルとアラムが戦争状態にあった時、アラムの軍の動きはイスラエルに筒抜けになっていました。それはイスラエルの王様の指揮が良かったからではなく、神様がエリシャを通して助言を与えたからでした(II列王6:8-10参照)。そこで、アラムの王はまずエリシャを打とうと考えます。アラムの王は大軍を送ってエリシャがいるという町を包囲しました。大軍が迫っているのを見た者たちは恐れますが、エリシャは平然としていました。若い者がエリシャに「どうしましょう。」と問いかけたところ、エリシャは「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と応えます。エリシャと共にいる仲間たちはそんなに多いわけではありません。ましてや兵士たちでもありません。目に見える所では、アラムの大軍を前に絶体絶命の状態にあります。しかしエリシャが神様に祈って、「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」と祈ったところ、若い者の目が開け火の馬と戦車、神様の大軍勢がエリシャたちと共にいるのが見えました。エリシャはこの神様の大きな守りが見えていたので、アラムの軍勢を前にして平然としていたのです。

この後、エリシャは逆にアラムの軍勢の目が見えなくなるように神様に願います。そして目が見えなくなったアラムの軍勢を案内して、北イスラエルの首都サマリヤの街の真ん中まで連れて行き、そこでアラムの軍勢の目が見えるように神様に祈ります。アラムの軍勢が目が見えるようになるとすでに勝負はついていました。彼らは北イスラエルの軍勢に包囲されていたのです。イスラエルの王はエリシャの進言通り、アラムの軍勢をもてなし、国へ帰らせます。

この箇所はとても興味深い箇所です。エリシャが神様に願って若い者が見えるようになったり、アラムの軍勢が見えなくなったり…と、見える、見えないという事を繰り返しています。それによって何が見えているかよりも、何を見ているかの方が大切なのではないかという事を教えているように思います。エリシャは真の神様への信仰をしっかりと持ち、目には見えない神様を見ていました。だから目に見えているアラムの軍勢に恐れませんでした。冷静になったことで、この状況で争わずに、一滴の地も流さずに解決するように事を運ぶことができました。神様の奇跡を目の当たりにすることができたのです。混乱した時代にあってもエリシャは目に見えない神様の見守りをいつも見ていたので、平和でした。私たちもぜひ神様に目を開いて頂いて、神様の見守りをいつも見ていたいと思います。どんな困難な状況に思えても、ちゃんと神様の見守りがあると見えていたら安心です。ヘブル11:1には「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」とあります。私たちも目に見えない神様を見るようにして、この方に希望を置いて祈りたいと思います。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 4, 5月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • プレイズジャムのために
  • 教団の各教会のために
    • 特にみずほ台教会のために