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祈祷会メッセージとお祈りの課題

主は力、主は助け

イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレムの出であった。彼はすべて父アマツヤが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。ただし、高き所は取り除かなかった。民はなおも、その高き所でいけにえをささげたり、香をたいたりしていた。主が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔ての家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、この国の人々をさばいていた。
II列王記15:1-5

II列王記の中盤まで来ました。北イスラエルの王の入れ替わりはいよいよ激しくなり、国の終焉が近づいています。ゼカリヤ(6か月。15:8)、シャルム(1か月。15:13)、メナヘム(10年。15:16)、ペカフヤ(2年。15:23)、ペカ(20年。15:27)と5人の北イスラエルの王の名前が並びます。この5人はの王様は、南ユダでアザルヤ(ウジヤ)が王だった期間に、入れ替わった王たちです。北イスラエルはペカに続くホセア(15:30、17章~)の時代にアッシリヤによって滅ぼされてしまいます。II列王記17章では、北イスラエルがアッシリヤに滅ぼされてしまう出来事と、どうしてそうなったのか、理由が記されています。考古学的、科学的にみると、アッシリヤは大国で、北イスラエルは小国です。武力的にも経済的にも圧倒的な差がありました。また北イスラエルを含むパレスチナを巡るアッシリヤとエジプトの利権争いの結果、北イスラエルが滅ぼされたとみることができます。しかし聖書が語る理由は、北イスラエルが神様の道に歩まなかったからというごく単純なものでした。聖書はどんな小国であったとしても、神様の力、神様の助けがあれば、大国に脅かされる事は無いことを教えています。なぜなら聖書に言わせれば、大国が世界を治めるのではなく、神様が世界を治めているからです。

北イスラエルが滅びに向かう時代、南ユダではアザルヤ(ウジヤ)が王となりました。アザルヤという名前は「主は助ける」という意味であり、ウジヤは「主は力」という意味だそうです。列王記ではアザルヤという名前が多く用いられていますが、他の書物ではウジヤと書かれていることが多いです。ウジヤの人生の前半は、神様にしっかりと従い、国も安定しました。ウジヤの治世は52年であり、マナセに次いで2番目に長い治世となりました。しかし後半は神様に背いてしまい、神様に打たれてツァラアトを患い、王宮から出て隔離されてすむようになります(15:5)。列王記には詳しい出来事が書かれていませんが、II歴代26章にウジヤの治世の詳細が書かれています。ウジヤはユダの町々を再建し、軍隊を再編します。それは神様がウジヤを助けて、力を与えたからであると聖書ははっきりと語っています(II列王26:7、15参照)。ウジヤは祭司ゼカリヤが存命中は、神様を恐れ、神様を求めていました(II列王26:5)。しかし国が強固になってくると、ウジヤの心は高ぶり、神様の前に不審の罪を犯したことが書かれています。

ウジヤは神殿の聖所に入り、香をたこうとしました。イスラエルの神殿の聖所は、祭司だけが入ることを許されている場所です。王であっても、聖所に入ることはできません。しかしウジヤは祭司の制止も振り払い勝手に香をたこうとしました。なぜウジヤがここまで自分で香をたくことにこだわったのか、詳しいことは分かりません。しかしウジヤが神様を恐れなかったことは確かです。知らなかったのではなく、知っていてなお、神様の教えを踏みにじったのです。ウジヤは神殿の聖所の中で神様に打たれて、ツァラアトに冒されます。ウジヤのツァラアトは死ぬまで治りませんでした。ツァラアトは伝染する病気なので、冒された人は他の人から隔離されます。ウジヤは二度と王宮に戻れませんでした。

このことを通して、神様はイスラエルの国で生きて働いている王は神様ご自身であることを明らかにしておられます。他の国では人間の王が、神々の力を使役して、国を治めました。しかしイスラエルでは神様がまことの王です。人間の王は神様の力を使役することは決してできません。人間の王が、他の国々と同じように、神様との関係を間違えて捉えるとウジヤのような事件が起こります。それがあまりにも長く続いた北イスラエルはとうとうアッシリヤに滅ぼされてしまいました。「神は力です」と私たちも告白しますが、それは「私は神様の力を用いることができます」という意味ではなく、「神様は私を助けてくださいます」という意味です。主は助けてくださることを感謝し、神様との関係を正しくとらえたいと思います。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 4-5月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 聖歌隊の練習、聖書の学び会のために
  • 小金井教会のために