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祈祷会メッセージとお祈りの課題

弱さを抱えた大祭司

彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。
ヘブル5:2

新約聖書に戻り、ヘブル人への手紙に入りました。ヘブル人への手紙は、その名の通り、ヘブル人(ユダヤ人)に宛てて書かれた手紙です。ヘブル人は昔、神様から律法を与えられ、旧約聖書を持っています。旧約聖書に日ごろから親しみ、律法の行いを守っている人たちです。旧約聖書の中には、いけにえのこと、幕屋のこと、ヘブル人の祖先の歴史が記されています。キリストが十字架の贖いを成し遂げた後、旧約聖書に書かれているこれらの事を、キリストがどう繋がっているのか、教えているのがヘブル人への手紙です。私たちはヘブル人の律法に詳しくありませんので、この手紙を読む時は、旧約聖書を参考にしながら読み進める必要があります。

5章では、大祭司について記されています。大祭司は、祭司たちの中から一人選ばれます。大祭司は、自分の罪の贖いの儀式、聖別の儀式を行い、また祭司たちのための罪の贖い、聖別の儀式を行います。こうして祭司たちは、全てのヘブル人と神様をつなぐための儀式、ヘブル5:1によると「神に仕える事がら」を行うことができるようになります。大祭司も人間ですので、罪がないわけではありません。しかし神様のための事がらを行うには、罪あるままでは行えません。罪の贖いをし、自分の身を聖別する必要があるのです。大祭司は、神に仕える身でありながら、罪ある人間であるという性質があり、神様はそれを解決する方法をちゃんと与えてくださっています。

しかし、大祭司が人間であるということは不便な事ばかりではありません。大祭司は自分も人間であるため、弱さを抱えている人間のことを十分に承知しています。ですから大祭司は真心から弱い人間に同情することができ、とりなしのために真剣に祈ることができるのです。キリストが神でありながら、人間となられたのには理由があります。それはキリストも弱い人間となって、その弱さを十分に知り、大祭司として相応しいものとなるためでした。ヘブル5:7-10にそのことが記されています。最近、『インサイド・ヘッド』というアニメ映画が公開されました。人間の頭の中の喜びや悲しみといった感情が、キャラクターとなって頭の中で奮闘している様子を描いたアニメ映画です。その映画の中でカナシミはトラブルメーカーのように扱われてしまいますが、映画が進む中で、カナシミにも意味があることが分かってきます。それはカナシミは他の人のカナシミと共感することができ、他の人と共感することが新しい喜びのもととなり、かけがえのない宝物に代わっていくということです。この映画は、弱さや悲しみにも意味があることを教えてくれます。

神様は弱さも力に変えることができるお方です。悲しみの価値、人と共感することの素晴らしさを造って下さったのも神様です。キリストは完全な人となられたので、私たちの弱さ、悲しみに同情し、共感することができます。だからこそ完全な救いを与えてくださいます。私たちの弱さ、悲しみもキリストが理解してくださることに感謝したいと思います。また理解してくださるからこそ、私たちは素直に自分の罪を認め、正直に告白したいと思います。キリストは必ず同情し、完全な救いを与えてくださいます。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 5-6月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 役員会のために
  • スマイル合唱団のために
  • 聖書塾のために
  • 八王子教会のために