カテゴリー
祈祷会メッセージとお祈りの課題

キリストにあって共に忍耐する

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
ヘブル10:35-36

初期のキリスト教会は、多くの迫害に会いました。彼らはキリストを信じているというだけで苦しめられ、殺されました。西暦30年前後にキリストの十字架と復活があり、初代教会が誕生してから、西暦313年にローマ帝国でキリスト教が公認されるまで、程度の差はありましたが、キリスト教会は長い迫害の期間を過ごします。ヘブル人への手紙が書かれた時にも多くの迫害があったことでしょう。中には、キリストへの信仰を捨ててしまう人も多くあったようです(ヘブル10:25参照)。このような人々に励ましを与えるために、このヘブル人への手紙が書かれました。

ヘブル人への手紙の記者は、手紙の名前の通り、ヘブル人、ユダヤ人に宛てて書いています。5~10章には律法の事や、儀式の事が多く書かれていました。これらは私たちにはなじみが薄いですが、ヘブル人にとっては、なじみ深い物でした。ヘブル人への手紙の記者は、いろいろな儀式があるが、その中心はキリストだということを証しするために長い手紙を書きました。律法も、儀式も神様から与えられたものですが、それらはみな、キリストの贖いの予型だったのでという事を書いています。キリストこそ真の、完全な贖いを成し遂げる方だったのですと書いています。

多くの困難、迫害があった時代、「がんばろうね。」「負けないようにしようね。」とは言っても、その根拠が分からないと、耐えることは難しいです。キリストは本当に救い主なのかどうなのかと迷っているうちは、信仰の忍耐を持つことはできません。ヘブル人への手紙の記者はそれを承知で、キリストの贖いがいかに完全なものであったか書くために多くの紙面を割いているのです。キリストは確かに神であり、そして人でもあるお方です。キリストは人間なので私たちの弱さを完全に理解し、そして神でもあるので完全な救いを与えてくださいます。私たちはこのキリストだからこそ、希望を置くことができます。

ヘブル10章には、ヘブル4章と呼応するかのように、同じような文章が並べられています。ヘブル4章を読んでいた時には、「がんばろう。負けないようにしよう。」と励まされてもなかなか意欲が湧いて来ないかもしれませんが、キリストがいかに素晴らしい救い主であったか説明を受けた後の10章では、キリストに信仰を置くことに勇気が湧いてきます。さらにこの後、ヘブル11章では、信仰の先輩たちがいかに忍耐して信仰を守り通したかが記されています。私たちは一人で信仰を守ろうと頑張っているのではありません。また2~3人とか少ない集団というわけでもありません。まず、キリストという神であり、人である大祭司がおられます。そして信仰の諸先輩方がたくさんいます。東京フリー・メソジスト教団は現在600人ほどの会員がいます。すでに信仰生涯を全うして召された先輩方もいます。ヘブル人への手紙の記者は「あなたは忍耐しなさい」とあなただけに向けて語っているのではありません。「あなたがたは」と同じ信仰を持つ仲間全体を指して語っています。私たちは共にキリストにある希望の確信をもって忍耐していきたいと思います。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 5-6月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • スマイル合唱団、転入会式のために
  • 青梅教会のために