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祈祷会メッセージとお祈りの課題

主の力を求める

アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」
II歴代誌14:11

ソロモンの治世が終わり、南ユダ王国の歴代の王たちの記録が連なっています。ユダの王アサは初めは、14:2に「主がよいと見られること、御目にかなうことを行い」とあるように、神様に聞き従う王でした。14-15章にはアサが行った数々の良いことが記されています。それまでユダに浸透していた異教の文化を取り除き、国を挙げて真の神様のみを求めるようにしました。15:16では、彼は、自分の母親が持ち込んだ像をも破壊しています。自分を産み育ててくれた親を非難することは難しいことです。アサは、母親との関係も、神様との関係の中において正しく置くことができた人でした。

そんなアサが、外国であるクシュとの戦争になった時の様子が14:9-15に記されています。この時、アサは主に叫び祈りました。14:11の言葉はアサの祈りの言葉です。この言葉からアサが神様をどのように見ていたかが分かります。アサは神様を万軍の主、人間の王とは比べ物にならない力強い神と見ていました。人間には、人それぞれ得意なものが与えられています。体力自慢、力自慢もいます。しかしそのような人の能力比べは、神様の前にはどんぐりの背比べ程度でしかありません。どんぐり同士では背の差があるように見えても、神様の目からはほぼ同じに見えてしまいます。ですから戦争の時にも、神様の力が存分に発揮されるのに、人間の力の差は関係ありません。アサの軍勢は、外国の軍に対して大きな差をつけられていましたが、神様はアサの軍勢を助け、アサは大勝利を得ることができました。所詮人間にすぎない外国の軍勢は神様には対抗できないのです。

神様はこのように、時に圧倒的な神様の力を見せてくださいます。人々が神様により頼む時、あわれみ深い神様は助けてくださいます。しかし人間は、神様の恵み、神様の力を忘れやすいのも事実です。アサも16章に入ると神様を忘れて、人間の力に頼るようになってしまいます。ユダ王国の歴史は、神様を求めたり、神様から離れたりの繰り返しです。アサの生涯はその象徴とも言えるかもしれません。

少し先取りになりますが、神様から離れてしまったアサに対して、神様はこのクシュとの戦争の時のことを思い返すように語っています。アサはクシュが大軍勢で攻めてきた時には神様に頼りましたが、イスラエルがユダに少し抵抗した時には、神様ではなく、他の国であるアラムの王に頼ったのです。私たちは自分の手に負えないようなことの時には、神様に頼ろうと思うかもしれません。しかし私たちの手に負えそうな事態の時には、案外神様に頼らないで自分でなんとかしようとするものです。アサは人生の最後に病気になった時も、神様に頼らず、医者に頼ったという事が書かれています。しかし神様はいつでも、どんな時でも頼ってもらいたいと思っています。医者にかかるのが悪いことだというのではありません。神様に頼りつつ、医者にかかるのが良いと思います。神様に医者を通して働いてくださるように、祈り求めるべきです。神様と人間とを比べて、この時は神様、この時は人間の力で何とかしようというのではなく、常に神様に頼り、そして私たち人間も最善を尽くしていくことが求められているのではないでしょうか。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 6-7月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新来会者、求道者が与えられるように
  • 金成神学生の夏期実習と、昭島のワックスがけのために
  • みずほ台教会のために

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