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背後で働かれる神

王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。
エステル2:17

エステル記になりました。エステル記は、捕囚中の物語です。イスラエルの民はバビロンによって連れ出され、バビロンの国に連れていかれました。それから時代は進み、バビロンはペルシャに支配されます。ペルシャの時代に入ってしばらくするとペルシャのクロス王がイスラエルの民に自分の国に帰っても良いと言われます。イスラエルの民は何度かに分けて、イスラエルに帰って行きますが、ペルシャに残る者もいました。エステル記はペルシャに残った民が中心の物語です。

一部のイスラエルの民がエルサレムに戻らなかった理由は様々だと思います。エステルの父親代わりだったモルデカイはペルシャの王宮の門番でした。王宮の仕事を辞めてエルサレムに帰ることはなかなか難しかったのかもしれません。しかしペルシャに残ったからといって、神様の恵みから外れてしまうという事ではありませんでした。エステル記はペルシャに残ったイスラエルの民に対する神様の導きと恵みが表されていると思います。

ペルシャの王アハシュエロスは、前の王妃ワシュティを退け、新しい王妃を探していました。新しい王妃の候補にモルデカイのおじの娘エステルが加えられます。1年に及ぶ準備期間の後、エステルはアハシュエロス王に会い、王の目に留まりました。エステルはイスラエル人でありましたが、ペルシャの王妃となったのです。このことは、モルデカイたち、イスラエルの同胞にとっても大きな慰めとなったことでしょう。イスラエルはペルシャの国で捕囚の民として惨めな生活を続けるのではなく、一市民として平和に暮らしていけるかもしれないという希望を与えた事と思います。それ以上にエステルが王妃に選ばれたことは、後に起こる大事件のための神様の特別な計らいであったのです。

エステル記にはある興味深い特徴があります。「神」という言葉が一切出てこないのです。しかし物語を最後まで読むと、物語の背後に働いておられる神様の存在を大きく感じることができるはずです。一見神様は出てこないように感じますが、神様はちゃんとモルデカイ、エステル、イスラエルの民を導いておられるのです。一つ一つの出来事に神様の計画があり、一切の無駄が無いことが分かります。そして神と言う言葉は出てきませんが、モルデカイもエステルも真の神様への篤い信仰心を持っていました。神様の導きを信じて信仰の一歩一歩を歩んでいったのです。

神様は目に見えるお方ではないので、私たちも日常生活において神様の臨在を感じられないような時があるかもしれません。しかしそれは感じられないだけであって、神様はちゃんと共にいて導いて下さっています。良い事があると当たり前のように感じ、悪いことがあると神様がいないように感じてしまうのが私たちの弱さでもあります。しかし良い事にも、悪い事にも、全ての背後に神様は計画を持って臨在してくださっています。私たちもエステルやモルデカイのように、全てのことについて神様を信じて歩んでいきたいと思います。

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座布団を干しています

やっと晴れましたね!

教会の座布団を一斉に干しています。
でも、一気に全部は干せないので、少しずつ。
写真は、順番を待っている天日干しの待機座布団たちです。

IMG_20171023_162546389カバーは教会のみなさんで手分けして洗っています。
次の日曜日は、フカフカの気持ちいい座布団で礼拝できますね。

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神様が愛してくださったから、互いに愛し合う

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
Iヨハネ4:19

ヨハネの手紙に入りました。ヨハネの手紙を記したヨハネは、バプテスマを授けていたヨハネではなく、漁師だったゼベダイの子ヨハネです。お兄さんのヤコブと共に、イエス様によって12弟子に任命されました。ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、よほど気性が荒かったのか、「ボアネルゲ、雷の子(マルコ3:17)」というあだ名で呼ばれていました。イエス様と旅を続けていくうちにヨハネは変えられていき、とても穏やかな愛にあふれた人になっていったと言われています。そんなヨハネが「互いに愛し合いましょう(Iヨハネ4:7)」と勧めているのがヨハネの手紙です。

ヨハネは、神の本質は愛であり、全き愛は神様から出ていることを語っています(7-8節参照)。神様は私たち一人一人を愛し、大切に思っています。そのため、私たちが罪のゆえに滅びてしまう事をなんとしても避けたいと思いました。そこで神様の独り子である救い主イエス・キリストをこの世に遣わしました。キリストは私たちの罪の咎をすべて背負って、代わりに滅びを受けてくださったのです。私たちはこのキリストの救いのゆえに、滅びではなく、永遠のいのちを与えられました。このキリストの救いの業の内に、神様の愛が表されています。神様ご自身であるキリストがその身を犠牲にして、私たちにいのちを与えて下さっているのです。キリストの愛は、犠牲愛であると言われるゆえんです。

よくある勘違いですが、まず最初に私たちが神を信じたから、神様は私たちを救って下さったのではありません。私たちが神を知らず、あるいは神様の敵として歩んでいた時から、キリストは十字架に架かって下さいました。私たちが神様を信じる前から、神様は私たちの救いの道を用意してくださっていたのです。私たちが神様を慕って行こうと思う前から、神様はその身を犠牲にするほどに、私たちを愛してくださっていたのです。私たちはこの神様の愛を知った時、本当の愛とは何なのか理解できるようになると思います。理屈で犠牲愛が素晴らしいと知っているよりも、実際に神様からの愛を受けたとき、私たちはその愛の深さを理解できると思います。

このようなキリストの深い愛を受けている私たちですから、私たちもキリストに倣って互いに愛し合いましょうということをヨハネは勧めています。ヨハネは、自分自身がイエス様の愛によって変えられた人であったので、イエス様の愛のすばらしさをよく知っていました。だからこのような素晴らしい手紙が残せたのだと思います。イエス様の愛、神様の愛が私たちに注がれる時、私たちは互いに神様の愛によって、愛し合う事ができるようになります。互いに愛し合う私たちのうちには、神様も共におられ、神様の愛のすばらしさと栄光が、周りにいる他の方々にも表されていくという事をヨハネは語っています。互いに愛し合う私たちの姿を通して、全ての人が、神様の愛のすばらしさを知ることができるということです。そしてヨハネのように、いつも怒っているような雷の子から、穏やかな優しい愛の人へと変えられていきます。このような神様の愛を、これからも私たちは受け取り続け、神様の愛によって互いに愛し合っていきたいと思います。

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これまでを振り返っての感謝

彼らはエルサレムの城壁の奉献式のときに、レビ人を、彼らのいるすべての所から捜し出してエルサレムに来させ、シンバルと十弦の琴と立琴に合わせて、感謝の歌を歌いながら喜んで、奉献式を行なおうとした。
ネヘミヤ12:27

城壁が完成しました。6:15には52日かかったことが記されています。完成までの間、様々な妨害があり、工事は困難を極めたことが記されていました。前回も触れましたが、ネヘミヤはいつも神様に祈り、導きを仰ぐ人でしたので、事あるごとに神様に祈り、知恵を頂いて対処してきました。全てのことを神様がしっかりと導き守って下さったので、城壁は完成しました。城壁が完成すると、イスラエルの民は、城壁の奉献式を行いました。その様子は、工事の様子を記した記事と負けないくらいのボリュームがあります。城壁の完成に際して、イスラエルの民が様々な感情を抱いたことが8:9-10などにも記されています。城壁が完成して律法の朗読がされている時、イスラエルの民は泣いていたことが記されています。それは苦しかった事の涙でもあり、それが終わってほっとした涙でもあり、捕囚の苦しみを思い出しての涙でもあり、解放された喜びの涙でもあります。

12:37には、この城壁の奉献式の時に、聖歌隊が賛美しながら完成した城壁をぐるっと一回りした様子が描かれています。谷の門という場所から、城壁を右回りしていくグループと、左回りしていくグループがありました。それぞれのグループは城壁を半周ずつして、ちょうど神殿の前で合流しました。そして全員で神殿に入っていったことです。城壁を1周しているのですから、町を1周したことになります。町中挙げてのパレードだったという事です。神様に感謝し、ほめたたえながら賛美をして行進しました。

このパレードは、神様への感謝のパレードでした。城壁の工事は様々な困難に見舞われました。それらは人間の知恵ではとても手に負えないものでした。神様が助けてくださったからこそ、城壁は完成されたのです。改めて行進して城壁を見渡す時に、それらの困難も思い返されたことでしょう。困難の最中には、もう城壁は完成できないのではないか?と思ったことは何度もあったと思いますが、しかし今はこうして城壁はしっかりと建っています。それらの道のりを思い返す時に、城壁の再建は人間業ではなかったことを、イスラエルは改めて思い返しました。だからこそ、イスラエルの民は心から神様に感謝し、神様の大きな御力をほめたたえることができました。

私たちも、城壁を1周ではないですが、時折、自分の歩んできた道を振り返るといいと思います。その時、思い返されるのは、「ここまで主が私たちを助けてくださった(Iサムエル7:12)」だと思います。そのような時、私たちは心から神様に感謝することができます。また神様の偉大な力を改めて知ることができ、明日の一歩を神様と共に踏み出す勇気を与えられると思います。神様は生きて働いておられ、私たちの歩みを着実に進めて下さっています。その神様に感謝し、次の一歩を踏み出す勇気を頂きたいと思います。これから祈る一つ一つの祈りの課題にも、ここまで私たちを導いて下さった神様の大きな力によって、導いて頂けるようにお祈りしたいと思います。

*インマヌエル中目黒教会のホームページにある地図を参考にすると、奉献式の聖歌隊の行進の様子がよく分かります。

→聖歌隊の行進(インマヌエル中目黒教会ホームページ)

 

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神に祈ってから

そこで私は、天の神に祈ってから、
ネヘミヤ2:4

ネヘミヤ記に入りました。エズラ記、ネヘミヤ記には、バビロンからの帰還したイスラエルの民のお話が書かれています。エズラ記には、ゼルバベル率いる第一次帰還民のお話と、エズラを含む第二次帰還民のお話がありました。王の子孫であったゼルバベルは神殿の再建を指揮し、祭司であったエズラはイスラエルの民の心を真の神に立ち返らせるという働きをしました。イスラエルの民は長いバビロンでの捕囚生活を終え、もう一度神様との関係を回復し、歩み始めていました。

ネヘミヤ記は、ネヘミヤがエルサレムの街の様子を聞くことから始まります。年代的にはネヘミヤはエズラの少し後になるので、ネヘミヤは、エズラと共に帰還したイスラエルの民からエルサレムの様子を聞いたのかもしれません。ネヘミヤが聞いた報告は悲しい報告でした。エルサレムの城壁は破壊され、エルサレムにいる民は周りの他の民族からそしりを受けていました。1:4には報告を受けたネヘミヤが断食をして、神様に切実に祈っている様子が書かれています。

ネヘミヤはよく祈る人でした。よく祈り、神様の導きを常に仰ぐ人でした。「神の前に祈って」「神に祈り」というような言葉がネヘミヤ記にはたくさん出てきます。エズラと同じようにネヘミヤも、強引に事を進める人ではなく、神様のタイミングを待てる人でした。またどんな事も自分の判断だけでは進めず、神様の知恵を求める人でした。箴言3:5には、「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」という言葉がありますが、ネヘミヤはまさにその通りのひとでした。

ネヘミヤの特徴的な行動が2:4にも表されています。ネヘミヤはペルシャの王様に仕える献酌官でした。王の飲むお酒を注ぐ係です。食べ物、飲み物と言うのは、体の中に入れる物ですから、王はそれらを扱う係には信頼できる人間を雇います。ネヘミヤは王からの信頼を得ていたことがうかがえます。エルサレムからの報告を受けて以来、ネヘミヤは暗い面持ちでした。暗い面持ちで王の酒を注ぐようなことは、毒を注いでいると言っているようなものなので、本来あってはならないことです。しかし王からよほど信頼されていたのか、ネヘミヤは王から心配の声をかけられます。そこでネヘミヤは、はっと我に返り、恐れながらも王に本当のこと、エルサレムからの報告のゆえに悲しんでいることを言います。すると王はネヘミヤに何を願うかということをきてくれました。王に一人の家来の願いを聞いてもらえるとは、これは本当に神様からの祝福であると言わざるを得ません。そこでネヘミヤは「天の神に祈ってから」王にエルサレムに行きたい旨を伝えました。

ネヘミヤは、きっと短く心の中でお祈りをしたのでしょう。何を祈ったのか、それは分かりません。そんなに長く祈るような時間は無かったと思います。短く「主よ。お導き下さい」と祈っただけかもしれません。これはネヘミヤのとっさの行動だったと思います。とっさの行動とは、普段行っている事、いつも通りの事が出てきます。ネヘミヤがここでとっさに短く祈ったという事は、ネヘミヤがいつも神様と会話しながら過ごしていたことを物語っています。神様はどんな時でも、神様と会話する人を求めています。文字通り、「絶えず」祈る人を求めています。ネヘミヤはそのような人でした。2:8にあるように「神の恵みの御手が」働いて、王はネヘミヤの願いを聞き入れてくれました。私たちもネヘミヤのように絶えず神に祈りながら生活したいと思います。

*ネヘミヤの城壁建設について、インマヌエル中目黒教会のホームページにある地図を参考に見ながら読み進めると、よく分かります。

→インマヌエル中目黒教会説教

 

 

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