栄光のキリスト

それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。
黙示1:17-18

ヨハネの黙示録に入りました。ヨハネの黙示録は、世界の終末に関する預言が書かれています。再びキリストが来られること、さばきが行われること、新しい天と地が来ること等が記されています。ヨハネの黙示録は、終末に関して書かれているだけに、どのように解釈したらよいのか様々な議論を呼び起こしてきました。終末と言えば、私たちのいのちに関わる重大な問題だからです。

黙示というのは「覆いを取り除いて明らかにする」という意味です。黙示録が記された時、キリスト教会は大きな迫害に会っていました。12弟子の一人であるヨハネは捕らえられ、パトモス島に幽閉されていました。そこでヨハネはキリストに出会い、黙示録を記すように示されたと書かれています(1:9-11参照)。キリストが示されたのは、7つの教会に対するメッセージと終末に関する預言でした。この時、ヨハネがキリストから示されたメッセージを書き記したのがヨハネの黙示録です。黙示録の記述の仕方について気をつけねばならないのは、それが迫害の時代に書かれた書物であるという事です。キリスト教会が迫害に会っていたということは、おおっぴらにキリスト教の文書が出回ることができない状況だったという事です。ですので、比喩や暗喩が多く用いられています。それらを文字通りに解釈しようとしても、大変難しいです。

またもう一つ最も大事なことは、この黙示はキリストからの黙示であるということです。終末について神様の計画を人に伝えるために書かれた黙示録ですが、計画全体のどこまでを明らかにし、どこまでを隠したままにしておくのか、それはキリストが決定権を持っているという事です。黙示録の中にも御使いがヨハネに、書き記すべきものと、書き記してはならないものを命じ分けているところがあります。このことは黙示録が書かれた目的と関係しています。黙示録が書かれた目的の第一は、教会が信仰に留まり続けることを励ますことです。終末についていつ、どこで、何が起きるかを詳細に記すことが第一の目的ではありません。

そこで私たちは黙示録を読み進めるにあたって、1:17-18のキリストの言葉を再確認したいと思います。キリストはこの時、ヨハネが良く知っていた地上での人間としてのイエス様の姿ではなく、神の聖と力と栄光を帯びた姿でヨハネの前に現れました。1:12-16にその様子が記されています。あまりにも聖く、あまりにも恐ろしい姿だったので、ヨハネは目にした時、「足もとに倒れて死者のようになった」と記しています。しかしキリストは「恐れるな。」とヨハネに声を掛けました。この時の声は、ヨハネが良く知っているイエス様の声であったと思います。その時、イエス様はこのように言っています。「死とハデスとのかぎを持っている。」イエス様は人をさばく権威を持っておられます。イエス様は地上生涯においても何度か、神様がイエス様にさばきの権威を与えられていることを仰っていました(ヨハネ5:22参照)。そしてイエス様は、私たちの事をよく知っておられ、私たちの罪のために十字架で贖いをし、救おうとされるお方です。イエス様を救い主として信じ歩む人は誰でも救われます。終末のさばきというのは、とても恐ろしい響きを持ちますが、さばくのは私たちの良く知っているあわれみの神であるイエス様なのです。私たちは今、イエス様を信じて歩み続けているように、終末の時にも同じようにイエス様を信じて歩み続ければよいのです。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 9-10月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 子ども祝福式、聖書の学び会、南平との交流会のために
  • 交換祈祷会のために
  • 小金井教会のために