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祈祷会メッセージとお祈りの課題

天の御国は複数人いるところです

二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。
マタイ18:20

マタイ18章は、弟子たちの質問から始まります。弟子たちはイエス様に質問をしました。「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか(18:1)」するとイエス様はいくつかの例を挙げながら説明をします。子どものように天の御国を受け入れる者。子どものように自分を低くする者。天の御国の子どもをイエス様の名において受け入れる者、つまずかせないように努力する者…。弟子たちは、天の御国で一番偉い者になりたかったのです。しかしイエス様はそのような弟子たちに言われました。子どものように自分を低くする者が一番偉いのです。

一番偉いという事は、自分の下にはたくさんいるけれど、自分の上に誰もいないということです。弟子たちは一番偉いという事について、そこまで深く考えていなかったかもしれません。向上心と言えば、聞こえのいい言葉かもしれません。しかし一番上に立ちたいということは、他の人を下に置きたいということです。イエス様が仰った自分を低くするということは、自分よりも他の人の方が上だと認識することです。他の人を、自分より上と見るか、下と見るか、弟子たちはそこまで考えて「天の御国で一番偉い人」になりたいと考えたわけではなかったでしょう。つまり弟子たちはまず自分の事だけを考えて、「天の御国で一番偉い人」になりたいと考えました。他の人の事は考えなかったのです。しかしイエス様は天の御国において一番大切な事は、自分の事ではなく、まず他の人の事を考えることではないのか?ということを弟子たちに教えているのです。

天の御国とは一人で入る所ではありません。神様はあなたを愛していますが、その他すべての人も同様に愛しておられます。そして神様があなたを愛する同じ心を持って、あなたも他の人を愛せるようになってほしいと願っています。イエス様は「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」と仰いました。ヨハネ13:34-35でもイエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」と仰っています。私たちが何人かで集まり、互いにイエス様の愛によって接し合う時、その中にイエス様はおられ、天の御国もそこに表されます。

マタイ18章には、他の人が悪いことをした場合、どのようにしてその罪を指摘するのが良いのかという事が教えられています。とても難しい、ややこしい話です。大切な事は、その人を愛しつつも、悪いことは悪いのではないかと諭すことです。マタイ18章には負債を赦されたしもべのたとえ話もあります。この時、負債を赦されたしもべのように、私たちも神様に大きな罪を赦して頂きました。私たちは元々低い者、罪人だったのです。他の人の罪について、あなたの罪の方が大きい、小さいと言う事はできません。私たちはお互いにへりくだり、神様に赦された罪人同士としてお互いを愛し、認め合う関係が求められています。そのような関係の中にこそ、天の御国は表されます。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 年末年始に初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 交換講壇礼拝、甲斐師のCGNTV撮影のために
  • FMTW、家族セミナーのために
  • 教団の神学生たちのために
  • 青梅教会のために