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祈祷会メッセージとお祈りの課題

自分の罪と向き合う

ですから、すべて他人をさばく者よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです。
ローマ2:1

ローマ人への手紙に入りました。ローマ人への手紙は使徒パウロがローマの教会の人たちに宛てて書いた手紙とされています。この手紙は当時のローマの教会を励ますために書かれた手紙ですが、イエス・キリストの救いについてとても良くまとめられた手紙です。罪について、恵みについて、ユダヤ人の救いについて、教会の一致について語られています。当時の文化的な背景を良く知らなくても、私たちが共感できる部分も多いと思います。そのようなわけで、教会では入門的な学びのためによくローマ人への手紙を用いたりします。

手紙の最初でパウロは、「律法」について書きながら、罪についてどう考えるべきか語っています。ここでいう「律法」とは、真の神様がユダヤ人に与えられた律法のことを言っています。出エジプト記で神様はユダヤ人と契約を結び、律法を与えられました。神様が全世界に神様の聖を表すために、特別にユダヤ人を選び、神様の聖を守るための律法を与えたのです。しかし自己中心的な思いにとらわれやすい人間にとって、この律法の内容はとても守るのが難しいものでした。ユダヤ人たちも旧約聖書の中で何度も失敗し、律法を守れないどころか、神様を忘れ、他の神々を拝するようなことまでしました。しかしおかしな話ですが、どんなに律法を守れなかったり、他の神々に仕えたとしても、「自分たちは真の神から特別に選ばれて律法を与えられた民族だ」という意識は、多くのユダヤ人たちの中から消えませんでした。律法を持っている、知っているというだけで、自分たちは神様の前に正しい人間であると思っていたのです。

人間は弱い生き物で、「自分は正しい」と思いこみたいものです。そうでなければ生きる価値が無いと思うからです。ある人は律法を持っているから自分は正しいと考えます。またある人は昨日、律法が守れなかったとしても、今日守れれば大丈夫と考えます。またある人は、他の人と比べて、あの人よりは多く律法を守れていると自分を正当化してしまいます。そのような様子を見て、神様がどう思われるかは二の次になってしまいます。人間にとって神様のさばきに委ねることほど恐ろしいものはありません。うすうすと神様は私の罪をすべて暴かれると理解しているからかもしれません。

しかしパウロはあえて手紙の最初の2章でそのことに触れます。どうして人をさばきながら、自分は律法を守らないのですか?律法を持っていればOKだとでも思っているのですか?どうしてちゃんと自分の罪と向き合わないのですか?と語ります。パウロがこう語るのは、パウロは2:4で語っている通り、「神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導く」と知っているからです。神様は確かに私たちのすべての罪をご存知です。私たちがよく罪の性質に引っ張られてしまう弱さもご存知です。良く知っているからこそ、イエス様が十字架に架かって下さいました。そして罪の赦しを与えて下さったのです。神様が、隠そうとしている罪をあらわにされるのは、滅ぼすためではなく、その罪の解決を与えるためです。罪はそのまま隠してしまう方が滅びを招きます。私たちは他の人を批判する心を一旦とめて、まず自分の心をかえりみたいと思います。そして神様の前に罪を告白し、赦しを頂いて悔い改めてへと導いて頂きたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 3-4月に初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 神学生支援デー、教会運営会議のために
  • 甲斐師CGNTV撮影のために
  • 青梅教会のために