12:29 真夜中になったとき、【主】はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。
12:30 その夜、ファラオは彼の全家臣、またエジプト人すべてとともに起き上がった。そして、エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった。それは死者のいない家がなかったからである。
12:31 彼はその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立って、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って【主】に仕えよ。
12:32 おまえたちが言ったとおり、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」
12:33 エジプト人は民をせき立てて、その地から出て行くように迫った。人々が「われわれはみな死んでしまう」と言ったからである。
12:34 それで民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担いだ。
12:35 イスラエルの子らはモーセのことばどおりに行い、エジプトに銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求めた。
12:36 【主】はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプト人は彼らの求めを聞き入れた。こうして彼らはエジプトからはぎ取った。
12:37 イスラエルの子らはラメセスからスコテに向かって旅立った。女、子どもを除いて、徒歩の壮年男子は約六十万人であった。
12:38 さらに、入り混じって来た多くの異国人と、羊や牛などおびただしい数の家畜も、彼らとともに上った。
12:39 彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、種なしのパン菓子を作った。それにはパン種が入っていなかった。彼らはエジプトを追い出されてぐずぐずしてはいられず、また自分たちの食糧の準備もできなかったからである。
12:40 イスラエルの子らがエジプトに滞在していた期間は、四百三十年であった。
12:41 四百三十年が終わった、ちょうどその日に、【主】の全軍団がエジプトの地を出た。
12:42 それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、【主】が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、【主】のために寝ずの番をするのである。
12:43 【主】はモーセとアロンに言われた。「過越に関する掟は次のとおりである。異国人はだれも、これにあずかってはならない。
12:44 しかし、金で買われた奴隷はだれでも、あなたが割礼を施せば、これにあずかることができる。
12:45 居留者と雇い人は、これにあずかってはならない。
12:46 これは一つの家の中で食べなければならない。あなたは家の外にその肉の一切れでも持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。
12:47 イスラエルの全会衆はこれを行わなければならない。
12:48 もし、あなたのところに寄留者が滞在していて、【主】に過越のいけにえを献げようとするなら、その人の家の男子はみな割礼を受けなければならない。そうすれば、その人は近づいてそれを献げることができる。彼はこの国に生まれた者と同じになる。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはならない。
12:49 このおしえは、この国に生まれた者にも、あなたがたの間に寄留している者にも同じである。」
12:50 イスラエルの子らはみな、そのように行った。【主】がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。
12:51 まさにこの日に、【主】はイスラエルの子らを、軍団ごとにエジプトの地から導き出された。
今まで九つの災いを通して神様はエジプト人に警告を与えましたが、彼らは神様とその警告を拒み続け、世界を創造され支配される全能の神の存在を否定し続けました。 彼らは神の民に対して、残酷な仕打ちを繰り返し続け、頑なな不信仰をつらぬき、偶像を礼拝し、神の民を解放することを拒み続けましたので、主はモーセとアロンにエジプトに最後の災いを下すことを告げられました。そしてその災いから逃れる子羊の血の贖いについてイスラエルの全会衆に告げ、信じ守らせるように命じられ、イスラエルの民が命じられた通り行い、血による守りの中に入った後、ついに神様の十番目の裁きが下りました。エジプトのすべての初子が打たれ、エジプト全土が震え上がりました。宮殿から牢獄に至るまで、各家の初子は死にました。神の裁きは、富める者、力ある者にも、貧しい者、弱い者にも等しく下り、家畜の初子までもが死にました。
本題
なぜかでしょうか?なぜ神様は家畜の初子をも死に至らしめたのでしょうか?それには大きな理由がありました。家畜の初子を裁くことで、神様はエジプト人の神々そのものに打撃を与えたのです。彼らは地上の様々な動物や自然と結びついた神々を考え、作り出し崇拝していましたので、神様は、すべての動物の初子を死に至らしめることで、いわゆる人が作り出した神々への致命的な打撃を与えたのです。
エジプト人への裁きを実行したのは主ご自身でした。偶像崇拝と真の神様に対する拒絶、民の奴隷化に加え、モーセが生まれた頃、エジプト人はヘブライ人の男の子全員に対する大虐殺を開始し、彼らを皆殺しにしました。今や神様はイスラエル人になしたことと同じ裁きを下し、彼らの多くの長子たちが死んでいきました。
聖書において出エジプトは世界の型です。ですからエジプトに起きたことは、私たちへの重大な警告としてそびえ立っています。裁きの日が来ます。全世界的な、普遍的な裁きの日です。神の小羊の血の陰に隠れ、守られることを拒むすべての魂は、主ご自身の恐るべき裁きに直面することとなる。これが神様の明確な宣言です。
出エジプトの裁きの目的は達成されました。第一の達成された目的として、ファラオとその民は苦痛の中で叫び、死者たちのことで嘆き悲しみました。彼らの恐るべき悪に対して正義が執行されましたが、彼らを慰める者はいませんでした。主なる神様の裁きの手から彼らを救い出す者も神々もいないことが示されました。
第二の達成された目的として、その夜のうちに、頑なで高慢な者たち、神様を拒んだ者たちは屈服させられファラオはモーセとアロンを呼び寄せ、神の民全員を、家畜の群れも含めて解放すると言いました。そしてファラオはモーセに、自分のためにも祝福を祈ってくれと頼みました。
ファラオは神と見なされていました。王と国家は民によって崇拝され、民は王と国家に忠誠を示していました。しかし王には、神様の裁きの御手から自分と国を守る力が無く、エジプトで最も強大な王と民は、唯一の生きておられるまことの神に対してまったく無力であることが明らかとなりました。
第三の達成された目的として、ファラオとその民は神の民にすぐに去るように迫りました。彼らは神様がすぐに自分たち全員に正義を実行し、「われわれはみんな死んでしまう」という恐怖に襲われたからでした。
神の民であるイスラエルの信仰者たちは子羊の血によって裁きを免れ、いよいよ神様による偉大な脱出が実行されました。神の民は、神様が命じられた通りに、衣服で包んだこね鉢に、パン種を入れないパン生地だけを入れ肩に担ぎました。
そしてモーセの指示通り、エジプト人に銀、金、衣服を要求しました。エジプト人はイスラエル人を奴隷として使った際、彼らの貴重品を全て奪い取ったに違いありません。また、イスラエル人は長年にわたる奴隷生活の中で、労働に見合うかたちでほとんど、賃金を受け取っていませんでした。エジプト人がイスラエル人に支払うべき未払い賃金は、どうやっても支払いきれないほどだったでしょう。しかし主ご自身がエジプト人の心に働きかけてくださり、莫大な富と言えるほどの贈り物でイスラエルの民に恵を与えるよう彼らに好意を持たせてくださったのです。
そして神の民は大きな自由へ向かって進んで行きました。壮年男子だけで六十万人以上がエジプトを離れ、約束の地へ向かって進軍しました。これは、女性や子供を含めますと、200万人以上、長野県民と同じ位の数のイスラエル人が大行進を始めたことになります。さらに、様々な異国人の群衆がイスラエル人と共に去りました。この群衆には、明らかにイスラエル人とエジプト人の混血によって生まれた人種も含まれていました。また、エジプト人や他国の奴隷、そして神の民の羊や牛などの沢山の家畜も一緒でした。ここで覚えておきたいのは、旅に出てすぐに、彼らがエジプトから携えて来た種なしの生地を焼いて、種なしの菓子パンを作ったことです。聖書において酵母は悪を象徴しています。神の民が約束の地へ進軍する時、彼らはすべての酵母、つまりすべての悪をエジプトに置き去りにしたのです。彼らはそのような古い悪に満ちた生活を捨て、神様の約束の地へ向かって進軍しながら新たな生活を始めたのです。
神の民は急いでエジプトを離れ、直ちに自分たちをそこから断ち切りました。食物を準備する時間すらありませんでした。こうして、神の民はエジプトとのあらゆる繋がりを断ち切りました。四百三十年間も彼らを支配下に置いていた場所との全ての繋がりの分断でした。
神様は栄光をもって神の民をエジプトから救い出されたのです。
結論
この瞬間に、イスラエル人には新しい運命が始まりました。神様がイスラエル人を奴隷状態から解放してくださり、自由が与えられました。奴隷に対する鞭の替わりに、銀と金と沢山の財産が与えられました。それは創世記15章13~14節で主は、アブラムに言われた「あなたはこのことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく、その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。」と神様がアブラハムに語られた預言の成就でした。
この時、イスラエルの集団の中の在留異国人、つまり集団に加わって来た外国人のために、神様の特別なご配慮が注がれていました。神様は決して、イスラエル人以外の人々を、出エジプトの恵み、奴隷生活からの解放の恵みからのけ者にしようとしてはおられませんでした。神様がアブラハムを祝福して選ばれた時以来、神様の目的は地上の全ての民を祝福することにありました。そのことは、創世記12章3節で「わたしはあなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」と神様がアブラハムに語られ、約束してくださっています。これは神様のお約束であり、間違いないこと、確かなことです。
先にも述べたことですが、今回エジプトの長子が全て殺されたのは、以前ファラオがイスラエル人の長子を殺すよう命じたことが、悪であり、それを神様が裁かれたということでした。
ファラオは、「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」と言い、その後「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。」と言い実行させたこのファラオの行為は、単に神の民を殺したり、将来の反逆者の数を減らそうとしたりしたものではなく、神様の所有されるイスラエルの長子たちを殺害したということなのです。彼らは後に神にとって特別な、神様にだけ属する者とされる者たちでした。男の子たちをナイル川に投げ込ませることで、長子に対する神様の権利を横取りするに等しいことを行っていたのです。
「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。」と神様が言われた通り、イスラエルは神様の初子、愛する子でしたから、神様はその子を死の危機から救い出されました。そして神様は単にイスラエル人を抱き上げてエジプトから連れ出すだけではなく、彼らは、子羊の血によって贖われ、エジプトの全ての長子は殺されることになったのです。
それは,「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」と語られたイスラエルの民がそれ以外の国民と比べて,特別な地位と世界に祝福を伝える役割を持っていたからでした。
出エジプトにおいて、神様の愛する長子であるイスラエル全体は、子羊の犠牲の血によって贖われ、この出来事は過越の祭において永遠に記念されることとなりました。
子羊の犠牲はイエス様の十字架の死へとつながっています。イエス様は父なる神様のひとり子です。イスラエルと同じように、父なる神の恵みが宿る長子でした。父なる神様の御子であられる長子を犠牲にすること、イエス様の死と復活によって、イエス様を信じる神の民の真の霊的な系図、信仰によるアブラハムの子孫であることが明らかになります。イエス様を信じる神の民は長子ではありませんが、真の長子であるイエス様と結ばれることによって神様の子となるのです。
これこそが、Ⅰコリント15章20節で、「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」と言われる理由です。そして ローマ8章29節で「神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」とパウロが保証していますように、キリストの復活によって、私たちはキリストと共に神の国・天国の相続人となったのです。真の長子であられる御子イエス様の犠牲的な死によって、この後から生まれたイエス様を信じる神の民は養子として長子の地位を受け継ぐのです。イスラエルの過越の祝福は世界に拡大されました。「信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。」とパウロが保証していますように、過越の小羊であるキリストを信じて祝福の中にある人々は皆、神の子たちとなったのです。