5/24 使徒2:29-42「罪赦され聖霊を受ける約束」

本日は教会歴の中でペンテコステと呼ばれる日になります。いわゆる教会の誕生日と言われる日で、クリスマス、イースターと並んでお祝いする日となります。イエス様が天に昇った後、この地に残された弟子たちは使徒となり、そしてその使徒たちから初代教会が始まりました。今や教会は世界各地に広がりますが、その始まりは一つの家の中、十二人の使徒たちの集まったこの場所からでした。

これまで私たちはヨハネの福音書を見てきました。イエス様がこの世に来られた理由、その公生涯、そして十字架の死と復活の意味を教えられました。そしてその中で、復活の勝利を収められたイエス様から、地上に残される私たちに使命が与えられ、それぞれの地に遣わされていくということも教えられました。イエス様が世に来られたことによって示された神の愛は、使徒たちからさらに広がるようになります。そのようにイエス様から遣わされた使徒たちは、今この場面で新しく教会を建て上げ、世界へと進みゆきます。使徒ペテロから人々に語られた教えを共にみながら、イエス様から使徒たちへ、そして私たちへとつなげられた使命と約束を教えられたいと思います。

本論

使徒たちは五旬節の日に、同じ場所に集まっていました。具体的にどのような理由で集まっていたかは記されていませんが、イエス様が天に上げられてからの使徒たちはともに心を一つにして祈り、イエス様が語られた聖霊を与える時を信仰によって待ち望んでいました。すると天から突然、激しい風が吹いてきたような響きが起こり、皆が聖霊に満たされました。聖霊に満たされた彼らは、御霊が語られるままに他国のいろいろな言葉で話し始めます。突然の物音を聞いて使徒たちのいるところに多くの人たちが集まります。当時は各地から敬虔なユダヤ人たちがエルサレムに集まっていたため、様々な言語や文化の背景を持つユダヤ人たちもこの場を目の当たりにしていました。そして、使徒たちがそれぞれ自分の国のことばで話し始めたため、この事態にただ驚き、当惑し、中には嘲るような者たちもいました。

様々な感情を抱きながら多くの人たちがこの場で、代表してペテロが彼らに弁明し、そしてそれをきっかけにイエス様と神さまを証しました。まず彼らは決して酔っぱらっているのではなく、聖霊の時代が到来したことを明らかにします。それは突拍子もない話ではなく、旧約聖書の時代の預言者ヨエルによって預言された新しい時代です。それから彼らが満たされた聖霊とイエス様の関係を明らかにして、イエス様こそ主であるという信仰を告白し、人々に宣教しました。

旧約聖書はイエス様が主であり、そして復活を確固たる根拠を持って示しており、そしてその預言が成就されたのだとペテロは語ります。29節の直前にある詩編のダビデの預言は、ダビデ自身のことでなく、後の時代の救い主イエス様を指していました。ダビデは尊敬される王でありますが、ペテロは確信をもってダビデの死を語り、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると語っているイエス様に当てはめているのです。

ペテロはこのようにまず、ユダヤ人たちが共通して大切にしてきた旧約の預言から、イエス様の復活を語ります。そして自分自身がその目撃者であり復活の証人として立っていることを示しているのです。ペテロが語った当時、イエス様の十字架の場面はまだ記憶に新しい、わずか二か月前の出来事でした。そのイエス様は復活し、復活後のイエス様と出会った弟子たちは、かつての姿から変えられて使徒として大きな情熱と確信をもってその出来事を告げ知らせるのです。ダビデは確かに死んで葬られ、今もその墓の中に収められています。しかしペテロは空になったイエス様の墓を見て、揺るがない確信を与えられました。キリストは復活され、永遠に王座につく者とされた預言が、イエス様によって成就されたという事実をペテロはユダヤ人たちに訴えかけます。

そして32節で、十字架によって死なれたあのイエス様は、神様によってよみがえられたこと、そしてこの聖霊の降臨を体験した使徒たちが証人としてここから福音を語り続けていくことを示します。イエス様が天に上げられたからこそ、その弟子たちに聖霊が注がれ、そこに集まっていた人々も信じる必要がありました。イエス様は単に預言されたお方でなく、ましてや十字架にかけられた罪人でもなく、天において神の右の座について高められ、その権威を与えられたお方です。そして今、そのイエス様は権威を持って、目にして、耳にしているように使徒たちに聖霊を注いでくださったのです。イエス様の復活の権威について、ペテロが再び引用したのは詩編110篇の箇所です。

Acts 2:34  ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。

                  『主は、私の主に言われた。

                  あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。

Acts 2:35    わたしがあなたの敵を あなたの足台とするまで。』

イエス様は十字架の死によってただ犠牲になったたけで終わったのではなく、復活によって勝利され、そして最高権威によって栄光を現されるのです。今や高く挙げられ、尊ばれているこのお方は、一度しもべの姿となって、十字架を背負って贖いを成し遂げられ、そして父なる神さまとともに敵を打倒し、その御手を働かれるのです。

ペテロはここまでイエス様のことを証し、使徒として力強く福音を宣べ伝えました。かつてイエス様が捕らえられた時に逃げ出し、イエス様を三度も否定し、人々の目を恐れて閉じこもっていたペテロの姿はそこにありません。聖霊に満たされて、ペテロたちは使徒としての働きを始めました。そして自分たちのもとに集まった人々の前で堂々と、イエス様こそ救い主であることを確信させます。

Acts 2:36  ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

ペテロは説教全体を通して、救い主に関する預言、詩篇、そして復活を、一貫してイエス様に当てはめて語りました。イエス様は、神様によって主とされ、キリストとされ、救い主として私たちに臨んでおられるのです。

イエス様が十字架にかけられたのは、他でもない私たちのためです。世のすべての人が罪から救われるために、人となって天から遣わされ、死にまで従順になられました。その事実を、ペテロはこの場に集まった人々に、そして今を生きる私たちに突き付けます。このイエス様の真理を受けたとき、私たちはただ自分の罪を悔いるだけで終わるのでなく、神様に赦していただかなければなりません。そして、赦された者として生きていくのです。これを聞いた人たちが心を刺され「私たちはどうしたらよいでしょうか」と訊ねるように、ただ真理を聞いて終わるのでなく、それを受けて何をすべきかと従い、進む必要があるのです。

ペテロは最後に、新約のこれからの時代を生きる私たちになすべきことを教えます。

Acts 2:38  そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

Acts 2:39  この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」

私たちはこれまでの講解説教を通して、イエス様がどのようなお方で、なぜこの世に来られたのかを教えられました。イエス様の福音を聞いた私たちは、今度はどのように信仰の道を歩んでいくのかをここで教えられます。罪を赦していただくために、まず悔い改めが必要だと語られます。悔い改めと訳された原文のギリシャ語は、見方を変える、あるいは考えを替えるという意味を持ちます。これは単に罪に対して、悲しんだり、後悔して終わるのでなく、考えの変化が求められています。それは思考だけでなく、目的、方向性、価値観、そういった私たちの心の本質を変えるということです。罪によって神様の道から外れてしまう私たちは、ここで再び神様の方向に向き直り、そしてその歩みを進めるのです。そしてそれは、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けることも求められます。かつてバプテスマのヨハネが水によるバプテスマを受けることを求めましたが、今ペテロは罪の自覚をもった人々に、同じようにバプテスマを受けることを示します。神様の方向に向き直った今、その心の変化を現わし、決意と告白によってイエス様とつながることを示すのです。イエス様を救い主として受け入れることによる罪の赦しが、バプテスマを受けることへとつながるのです。そうすれば聖霊の賜物が与えられます。これは聖霊が与える賜物でなく、聖霊という賜物が与えられるということです。そして聖霊が私たちのうちに住み、助け主とともに私たちの信仰は前進されるのです。

このことは、時代や場所を越えて、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、必ず与えられる賜物です。それは使徒たちも驚くほど、大きく広がり続けます。イエス様がかつて弟子に語られた通りです。

John 14:12  まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。

イエス様が天に上げられたこの時代、信じるすべての人たちのうちに聖霊が降り、そして世界宣教という大きなわざを行うようになるのです。イエス様が父のもとに行くことは、私たちにさらなる広がりを与えることとなりました。そして例外なく、罪を赦され、信仰を持ってイエス様とつながった人々に聖霊が与えられ、そして同じ神様から与えられた聖霊を通して、私たちは教会を築き上げるのです。

Acts 2:42  彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

喜びに満たされた人々は心を改めて、3000人もの人がバプテスマを受けました。そして42節にあるように、キリストへの愛と信仰のもとで、教会としての交わりを持っていきました。この交わりはただの仲良し会でなく、霊的交わりを主とした共同体の交わりです。その中にこそ、教会としての豊かさ、喜びがあふれ出ていくのです。

使徒の時代から2000年経った今も、この教会の交わりが絶えず持たれています。それは私たちが罪を赦され、聖霊を受けた中で、主イエスキリストにあって実現されました。イエス様は世の全ての人を救うためにこの世に来られました。そしてイエス様によって救いの確信を得た私たちは、聖霊に満たされ、全世界へと広がる宣教を進め、そして同じ神様を見上げ、イエス・キリストをかしらとする交わりへと加えられます。今私たちはともに、聖霊がうちに住まわれる恵みを覚えつつ、御言葉から教えられ、交わり、そして祈り合う、愛に満ちた共同体を築き上げていきましょう。

About the author: 東御キリスト教会

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