「十字架、復活、永遠のいのち」

イースター礼拝「十字架、復活、永遠のいのち」 ルカの福音書23章39節~43節

 イースターと言う言葉が、日本でも定着し、ディズニーランドでもイースターのイベントを行うようになりました。しかし、言葉だけが先行し、イースターの意味までは正確には伝わっていないように思います。イースターになぜ、たまごに色を塗り飾るのでしょうか。それは、イースターの中心が、イエス・キリストの復活と新しいいのちだからです。たまごの中にいのちがあり、そこから生命が誕生します。私たちもいつか、この世でのいのちの終わりの時が来ます。しかし、私たちクリスチャンは、私たちのいのちが死で終わりでないことを知っています。聖書には、世の終わりの時、私たちもイエス様のようによみがえり、天に迎えられ、神様と共に永遠に暮ら日が来ると約束されているのです。

 先週、イエス様の裁判の場面を読みました。イエス・キリストが死刑の判決を受けたのは、大祭司が「あなたは神の子かどうかその答えを言いなさい。」と言われ、イエス様がそれを認められたからです。当時、ユダヤの社会では、自分のことを神または、神の子と宣言することは、神を冒瀆することになり、死刑の判決を受けることはだれでも知っていました。イエス様は、死刑の判決が下ることを知ったうえで、ご自分が神の子であることを認められたのです。また、イエス様は本当に神の子でした。それゆえ、本当のことを正直に告白されたのです。しかし、大祭司や人々がそれを信じることができずに、大祭司は神を冒瀆した罪でイエス様に死刑の判決を下したのです。

 先程、お読みしました、ルカの福音書23章39節から43節の聖書の個所は、イエス・キリストが十字架に付けられた場面です。イエス様が十字架に付けられた右と左に同じように十字架に付けられた犯罪人がいました。犯罪人の一人はイエス様に悪口を言いました。39節「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」もう一人の犯罪人が彼をたしなめて言いました。40節41節「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」42節「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエス様は彼に言われました。43節「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」初めの男がイエス様に願ったことは、今、この地上で苦しみから助け出されることで、彼の言う「救い」とは、十字架の苦しみから救われることでした。しかし、二人目の犯罪人がイエス様に願ったことは、「あなたの御国の位にお着きになるとき。」と言っています。明らかに、彼が願ったことは、この世の苦しみから助け出されることではなく、イエス様が死んだ後に着く、天の御国の位のことです。それゆえ、イエス様は彼に言われました。「あなたはきょうわたしとともにパラダイスにいます。」パラダイスとは、イエス様を信じる者が亡くなった後、世の終わりの時まで、天で待っている特別な所です。キリスト教の恵みは大きく分けて二つあります。1、この地上で、神様が共にいてくださるという恵み。2、死んだ後、天の御国で永遠に神と共にくらすことです。

 元々、人は神によって創られた者で、神と人は親しい関係を持っていました。しかし、人は罪を犯し、神との関係を失い、神との間に大きな壁を作ってしまいました。世界中に色々な宗教があり、人が色々な神々を礼拝するのはそのためです。サルや他の動物は神様を知り、神を礼拝することができません。この罪の壁を打ち壊したのがイエス・キリストの十字架の死と復活です。イエス・キリストは神の子でありながら、私たちの罪の身代わりとなるために私たちと同じ肉体を持って、この世に誕生してくださいました。そして、私たちの罪の身代わりとして十字架で死んでくださいました。しかし、イエス様は神の性質を持ち、罪に支配されないお方ですから、死より三日目に復活され、天に昇って行かれたのです。私たちはそのイエス・キリストを神の子信じる信仰よって、神と和解し、以前のような神様と親しい関係を回復することができたのです。また、イエス様を神の子と信じる信仰によって、私たちは永遠のいのちが与えられ、天において私たちの住まいが備えられたのです。

 私は今年で、59歳になります。90歳までは普通に生きたいと考えています。そうすると残り31年となります。今、この残された31年の間に何ができるか考えています。これが今の私の課題です。皆さんはどうでしょうか。もちろん。90歳までと決める必要はありません。100歳それ以上を考えてもそれは、個人の自由です。しかし、私たちは確実に死に向かって生きています。この与えられた時間をどのように生きるか。少しづつ準備をしていかなければなりません。私たちは、偶然に生まれた者ではありません。神によって命が与えられた者です。神はここまで守り導いてくださいました。これからも神様が助け導いてくださることを信じています。

 ピリピ人への手紙3章20節に「私たちの国籍は天国にあります。」とあります。私たちにとって国籍は大切な物です。とくに「天国の国籍」は一番大切なものです。私たちが亡くなった後、どこに行くのかを知ることは大切なことです。多くの人々が、それを知らず、死を恐れています。しかし、私たちクリスチャンは、そうではありません。聖書を通して、神様ははっきりと、私たちに天の御国について約束をしてくださいました。だれでも、死をまぬがれることはできません。しかし、死の後にどこに行くかを知っている者は、死を恐れることはありません。天国のパスポートは無料で得ることができます。神は私たちを祝福するために天の御国を備えてくださいました。私たちは罪によってその特権を失ってしまいましたが、イエス様は、ご自分の命を犠牲にされて、私たちにこの天国へのパスポートを取り返してくださいました。私たちはそれを信じるか、信じないかです。信じる者は救われるとあります。先ほどのイエス様の十字架の隣に、十字架に付けられた犯罪人もイエス様に天の御国に入ることができるようにイエス様にお願しました。イエス様は喜んで、彼にパラダイスに行くことを約束して下さいました。私たちはどうでしょうか。この世でお金持ちになっても、いつか手放さなければなりません。私たちは何を求め、何を必要としているでしょうか。イースターの日に、共に死と永遠のいのちについて考えたいと思います。