不安や恐れについて

 

昨年の暮れ、都内の一日の新型コロナウイルの感染者数が千人を超え日本中に衝撃が走りました。いつかは千人を超えるのではないかと言う不安はありましたが、実際に千人を超えたという情報を受けて、将来に不安を覚えた方が多いのではないかと思います。いったいこの感染はどこまで広がるのか、いつまで続くのかと思うと将来に不安をおぼえます。また、今後、仕事はどうなるのか、家族に感染者が出るのではないかと不安は尽きません。

長いトンネルを車で走っていると、不安を覚えます。いつ出口に到着するのか、今どこまで出口に近づいているのか不安に思います。トンネルが長ければ長いほど不安は大きくなります。もし、このトンネルのことを良く知っている人が隣にいたらどうでしょうか。あと何分で出口が見えますよとか、出口近くまで来ていますよと、言ってくれる人がいたらどんなに心強いでしょう。人は将来の不安のゆえに、占いや霊媒師に将来を占ってもらうのではないでしょうか。しかし、どんなに有名な占い師でも将来を100%占える人はいません。人間には将来を見通せる人はいないからです。しかし、神は時間に支配されない唯一のお方です。神はすべてをご存じです。確かに神を信じていても、私たちの将来を教えてくれるわけではありません。しかし、その将来を知っておられる神が共におられたらどうでしょうか。目の見えない方が、目の見える方に導いていただいたらどんなに安心して歩けるでしょうか。神を信じるとは、神の存在を信じるということだけではなく、神を信じて共に人生を歩くということです。

また、私たちの最大の恐れは死です。死は誰にでも訪れます。死が恐ろしいのは、死んだ後、私たちはどうなるかわからないからです。死んですべてがなくなるだけであるなら、あきらめもつくでしょう。しかし、死んだ後、地獄で苦しむとなるとこれは大変なことになります。死後の世界を私たちは見ることはできませんが、キリスト教と仏教が共通する点は、どちらも死後、神の裁きがあるということです。キリスト教では天国と地獄。仏教では、極楽と地獄。しかし、キリスト教では明確に天国に行く方法が示されています。イエス・キリストは神の子でありながら、私たちを天国に入れてくださるために人として生まれ、十字架の上で私たちの罪の身代わりとして死なれました。しかし、イエス・キリストは神の子ゆえに死より三日目に復活し天に昇って行かれました。聖書はこのイエス・キリストを神の子と信じるなら、あなたの罪はイエス・キリストの十字架の死ゆえに罪赦された者となり天の御国に入ることができると教えています。キリスト教では死は終わりではなく天国への旅立ちです。天国に行くことが分かっているなら、死はもはや恐ろしいものではなくなります。このことについてもっとお知りになりたい方はぜひ、教会にお越しください。お待ちしております。