ラハブのいのちの選択

ヨシュア記2章1節~14節

前回、イスラエルの民がエジプトを出て2年後、神の約束の地に近づいた時、神はモーセを通して12人の偵察隊を遣わしたことを学びました。その内の10名は、カナンの地は豊かな地であるが、そこには、大きな民が住み、高い城壁を持ち、私たちはその地を占領することは出来ないと報告しました。しかし、ヨシュアとカレブは、神が共におられるのでぜひ、前に進みカナンの地を攻め取るべきだと主張しました。しかし、イスラエルの民は、先の10人の偵察隊の報告に恐れをなし、エジプトに帰ろうと言い出しました。神は彼らの不信仰ゆえに、イスラエルの民を荒野に40年さまよわせました。その間に、エジプトに帰ろうと言い出した大人たちは亡くなり、新しく成人した若者たちが新しい指導者ヨシュアに仕えることになったのです。

先ほどお読みしましたヨシュア記2章は、あれから40年の後、再びイスラエルの民がカナンの地に近づいた時の出来事です。ここで、ヨシュアは再びカナンの地に偵察隊を送ることを決心しました。前回は12名でしたが、今回は二人を選び彼らにカナンの地を探らせるために送り出しました。彼らはラハブという名の遊女の家に入り、そこに滞在しました。エリコの町は城壁に囲まれた大きな町で、多くの人々がこの町に滞在していたものと考えられます。それゆえ、彼らの宿泊場として、遊女の家が用いられていました。ラハブの家もそのような家として、多くの旅人が出入りしていたものと考えられます。それゆえ、二人の偵察隊も旅人を装いラハブの家に滞在したものと考えられます。ヨシュア記2章2節「ある人がエリコの王に、『イスラエル人の数名の男たちが今夜、この地を探ろうとして入って来ました』と告げた。」とあります。3節「それで、エリコの王はラハブのところに人を遣わして言った。『おまえのところに来て、おまえの家に入った者たちを出せ。その者たちは、この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。』」と言いました。4節5節「ところが、彼女は二人をかくままって言った。『そうです。その人たちは私のところに来ました。でも、どこから来たのか、私はしりません。暗くなって門が閉じられるころ、その人たちは出て行きました。どこへ行ったのか、私はしりません。急いで彼らを追ってごらんなさい。追いつけるかもしれません。』」ラハブはイスラエルから来た二人の偵察隊をかくまい、王の使者に嘘をつきました。彼女はなぜ、王の使者に嘘を言い二人をかくまったのでしょうか。この時、ラハブは二つの選択を考えたことでしょう。一つは、王の使者に二人を差し出し、王より多額のほうびを受ける。もう一つは、二人をかくまい自分と家族のいのちを助けること。しかし、それには大きなリスクが伴います。もし、うそがばれたら、捕らえられ殺される危険がありました。彼女はここで、多額のほうびよりも、家族の救いのためにいのちをかけたのです。ラハブはなぜ、そのような大きな決断をすることができたのでしょうか。彼女は二人の偵察隊にこのように告げています。9節~10節「彼らに言った。『主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおおのいていることを、私はよく知っています。あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダン川の川向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。」「葦の水を涸らされた」事とは、紅海の出来事のことです。それは、40年も前の出来事ですが、ラハブとエリコの人々はそのことを覚えていました。また、11節「私たちは、それを聞いたとき心が萎えて、あなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天において、下は地において、神であられるからです。」エリコの町においても様々な神々が崇められていたことでしょう。しかし、ラハブは、イスラエルの民がエジプトから出て来たこと。紅海で神がなされた御業を通して、イスラエルの民が信じる神こそ真の神であることを信じたのです。そこで、彼女は自分と家族のいのちを助けるために、二人の偵察隊をかくまい、その代わりに自分と家族のいのちを助けてほしいと二人にお願いしたのです。12節13節「今、主にかけて私に誓ってください。私はあなたがたに誠意を尽くしたのですから、あなたがたもまた、私の父の家に誠意を尽くし、私に確かなしるしを与え、私の父、母、兄弟、姉妹、また、これに属するものをすべて生かして、私たちのいのちを死から救い出す、と誓ってください。」二人はラハブに、窓にこの赤いひもを結びつけるように命じました。そして、その家の中にいる者のいのちは助けると約束をしたのです。

この後、神はエリコの城壁を崩すために、ヨシュアに命じました。戦士と共に町の周りを一周し、六日間そのようにする。七日目は七回町の周りをまわり、角笛を鳴らし大声でときの声をあげる。そうすれば、城壁が崩れていっきに攻め上れというものでした。ヨシュアとイスラエルの民は神のことばを信じて、実行しました。すると、神のことば通り城壁は崩れ、エリコの町を占領することができたのです。ヨシュア記6章25節「しかし、遊女ラハブと、その一族と、彼女に連なるすべての者をヨシュアが生かしておいたので、彼女はイスラエルの中に住んで今日に至っている。エリコを偵察させようとしてヨシュアが送った使いたちを、彼女がかくまったからである。」とあります。

マタイが書いたマタイの福音書1章の救い主の系図の中に、彼女の名が出てきます。マタイの福音書1章5節「サルマがラハブによってボアズを生み」彼女は、この後もイスラルの民の中に住み、救い主の系図の中に名を連ねる者となったのです。また、へブル人への手紙11章31節「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びずにすみました。」とあります。また、ヤコブの手紙2章25節「同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたではありませんか。」とあります。二人の偵察隊がラハブの宿を訪ねたのは、偶然だったのでしょうか。そうではありません。確かに神の働きです。ラハブは神より救いのチャンスを与えられたのです。ラハブはそのチャンスを勇気と信仰を持って自分のものとしたのです。神は私たち一人一人を愛し、救いのチャンスを与えてくださいます。そのチャンスを自ら受け入れることによって、私たちは救いの恵みに与ることが出来るのです。しかし、その恵みを拒否した人もいます。お金持ちの青年は、イエスに永遠のいのちについえ尋ねに来ましたが、イエスに、財産を貧しい人に施して、私について来なさいと言われた時、彼は、イエスの手ではなく、財産を選んでしまいました。聖書は彼が多くの財産を持っていたからであると記しています。また、イエスは群衆に、二人の主人に仕えることは出来ないと言われました。神と富の両方に使えることは出来ません。私たちはどちらか一つを選択しなければならないのです。富や財産を永遠に持ち続けることはできません。しかし、イエス・キリストが私たちに与えて下さるいのちは「永遠のいのち」です。私たちはどちらを選び、どちらを求めているでしょうか。私たちはその大切な決断を生きている間に決断しなければならないのです。