神との出会い、モアブの女性ルツ

ルツ記1章15節~18節

士師記について学んで来ましたが、ルツ記も時代的には士師記の時代に属します。ルツ記1章1節「さばきつかさが治めていたころ」とあります。「さばきつかさ」とは士師を指す言葉です。ルツ記の後、サムエル記第一が始まりました。イスラエルの国では、預言者サムエルによってサウルが王に任命されてから王政が始まりました。そういう意味では、ルツ記は士師記とサムエル記第一とをつなぐ大切な役割をしていることがわかります。

1節「この地に飢饉が起こった。そのため、ユダのベツレヘム出身のある人が妻と二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。」とあります。ある注解書に、ベツレヘムからモアブの地まで、ヨルダン川を越えて歩いて三日ほどの道のりであると説明しています。今の私たちの生活からすると、歩いて三日ほどの隣の県に行く事に、それほど大きな違和感は感じないでしょう。しかし、この時のエリメレクの家族にとって、ヨルダン川を越えて、モアブの国に行く事は大きな決心がいったものと考えられます。2節「その人の名はエリメレク、妻の名はナオミ、二人の息子の名はマフロンとキルヨンで、ユダのベツレヘム出身のエフラテ人であった。彼らはモアブの野へ行き、そこにとどまった。」とあります。この時はまだ、長くモアブの国に滞在するつもりはなかったのかもしれません。せいぜい、イスラエルの国の飢饉が収まるまでと考えていたのでしょうか。3節「するとナオミの夫エリメレクは死に、彼女に二人の息子が後に残された。」とあります。私たちは将来に対して人生設計を考えますが、多くの場合、思い通りにいかないのが人生です。ナオミは夫を失い、一人で二人の息子を養わなければならなくなりました。当時の状況を考えるとナオミは外国の地でどれほど苦労をして二人の息子を育てたことでしょう。しかし、また、二人の息子がいたからこそ頑張ることが出来たともいえます。4節「二人の息子はモアブの女を妻に迎えた。一人の名はオルパで、もう一人の名はルツであった。彼らは約十年の間そこに住んだ。」とあります。ナオミは二人の息子を立派に成長させ、嫁を迎えることによって一安心したのではないでしょうか。ナオミは、二人の息子と二人のモアブの女性と五人でモアブの地で生涯を過ごす決心がついたのではないでしょうか。この十年間はナオミにとって一番幸せな時間だったでしょう。しかし、先ほどもお話ししたように、人生は思うようにはいきません。特に、幸せの次に不幸な出来事が起こる事が多くあります。人生はまさに山あり谷ありの人生です。5節「するとマフロンとキルヨンの二人もまた死に、ナオミは二人の息子と夫に先立たれて、後に残された。」とあります。夫の死を乗り越えたナオミにさらなる試練が訪れました。親にとって子を失うほど悲しいことはありません。しかも二人の息子を失うとは、ナオミは絶望の淵に立たされたようなものです。ナオミは希望を失い自死(自殺)を考えてもおかしくない状態になりました。しかし、ここでナオミは一つの希望、良き知らせを耳にしたのです。6節「主がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった、とモアブの地で聞いたからである。」とあります。イスラエルの国は飢饉を乗り越え、また、豊かな土地に回復しました。そこで、ナオミはベツレヘムに帰る決心をしました。そして、二人の嫁とも別れる決心をしたのです。それは、二人の嫁を連れてのベツレヘムでの暮らしに困難を覚えたからです。また、二人にはモアブの地で再婚するという道も残されていました。二人にとってその方が幸せになれると考えて、ナオミは二人の嫁と別れる決心をしたのです。8節9節「ナオミは二人の嫁に言った。『あなたたちは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたたちが、亡くなった者たちと私にしてくれたように、主があなたたちに恵みを施してくださいますように。また、主があなたたちがそれぞれ、新しい夫の家で安らかに暮らせるようにしてくださいますように。』そして二人に口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。」とあります。オルパはナオミに別れの口づけをして別れました。しかし、ルツはナオミにすがりついたとあります。15節「ナオミは言った。『ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神々のところに帰って行きました。あなたも弟嫁の後について帰りなさい。』」16節17節「ルツは言った。『お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。』」これはルツの信仰告白です。ルツにとって弟嫁のようにモアブに残り再婚した方が幸せになる確率が高いといえます。それなのにルツはナオミについてベツレヘムでの生活を選んだのです。それは、また、モアブの神々ではなく、イスラエルの神を私の神としますという信仰告白なのです。ルツはナオミを通して真の神と出会ったのです。

ルツはなぜ、モアブの神々ではなく、イスラエルの神を自分の神とすることを選んだのでしょうか。それはナオミの信仰を通して、ルツがイスラエルの神を見ていたからです。ナオミは夫を失い、二人の息子を失っても生きる力を失いませんでした。また、ベツレヘムで新たな生活に向かおうとしています。そのナオミの信仰をみて、ルツはイスラエルの神を見出し、イスラエルの神を自分の神とすることを決心したのではないでしょうか。

私たちはどうでしょうか。クリスチャンの家庭で生まれた者でなければ、普通、日本では八百万の神々を信じることが多くあります。その私たちが、イエス・キリストを自分の神と告白するためには多くのクリスチャンの祈りと助けがあったはずです。また、信仰の影響を受けた人々がいたのではないでしょうか。また。クリスチャンの家庭においても、両親の信仰の影響は必ずあるはずです。私たちは自分一人で聖書を学び神と出会うことはできません。神様は必ずその人にふさわしい助け人を備えてくださいます。また、神様はそのように私たちを用いて下さるお方です。ナオミは苦しみの中でも神から離れませんでした。私たちはどうでしょうか。私たちの人生は山あり谷ありの人生です。その谷の時代、苦しみの時ほど私たちの信仰は試されます。私たちは苦しみの時、悲しみの時に何を見ているでしょうか。目の前の苦しみや悲しみに目を留めている時、そこには失望だけで希望はありません。しかし、神を見上げる時、希望の光を見出します。聖書に登場した人物の中で、苦しみの無い人生を歩んだ人はいません。アブラハムも、モーセもダビデも苦しみの谷を歩きました。しかし、彼らは神に信頼し、神に助けを求めました。神は助けを求める者を見捨てるお方ではありません。聖書にあるように、神は苦しみと共に脱出の道も備えて下さるお方です。次回は、神がナオミとルツに備えられた、脱出の道、神の備えについて学びます。