サムエル記第一10章17節~27節
イスラエルの国は、神によって選ばれた士師によって治められていました。しかし、士師記の終わりの時代、祭司エリによって治められていましたが、彼の子どもたちは祭司でありながら不正を行っていました。祭司エリは自分の子を諫める力もなく、イスラエルの民を治める力ありませんでした。人々は自分勝手に生活し、国は乱れていました。神はこの国を立て直す人物を探していました。そんな時、ハンナは子を産むことが出来ず苦しんでいました。彼女は主に誓願を立てて、生まれる子を神に仕える者として差し出すことを誓いました。神は彼女の祈りに応え、男の子が生まれサムエルと名付けられ、祭司エリに預けられたのです。サムエルは成長し、神に仕える者となりイスラエルの国を治めました。しかし、サムエルの晩年、彼の子らも正しく裁きを行いませんでした。そこで、イスラエルの民は周りの国と同じように王が国を治めることを求めたのです。しかし、サムエルは神ではなく、王が国を治めることに反対でした。しかし、神はサムエルに民の言う通りに、王を与えるように命じました。そして神によって選ばれたのがベニヤミン人のサウルでした。
- サウルの人柄と神の選び(サムエル記第一9章10章)
9章1節「ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルは、ツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。」とあります。イスラエルの国は12の部族に分かれて治められていました。その中でベニヤミン族は小さな部族でした。2節「キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。」とあります。サウルは誰が見ても美しい容姿の持ち主でした。また、「肩から上だけ高い」とは、だれよりも背が高かった、立派な体格をしていたということです。サウルは見た目には、王にふさわしい風貌を持っていたということです。
3節「あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子サウルに言った。『しもべを一人連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。』」サウルはしもべを連れて出かけましたが、雌ろばを見つけることが出来ませんでした。そこでサウルが家に帰ろうと言い出しましたが、しもべはここに神の人(サムエル)がいるので、彼に会いに行くことを提案しました。9節10節「昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は『さあ、予見者のところにへ行こう』とよく言っていた。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。サウルはしもべに言った。『それはよい。さあ、行こう。』こうして、彼らは神の人のいる町へ行った。」とあります。ここで考えたいのは、神の人サムエルがいることに気が付いたのは、しもべの方であったということです。はたして、サウルはこの時、預言者や神に関心があったのでしょうか。もし、関心があるなら彼の方が先に、神の人がいることに気が付き、神の人の所に尋ねに行ったのではないでしょうか。これは想像ですが、サウルはまだ、このとき神に無関心だったのではないかと思います。しかし、神の方ではすでにサウルをイスラエルの王として選び、預言者サムエルに彼に油を注いでイスラエルの王とすることを命じておられたのです。15節16節「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。『明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ。』」10章1節「サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った。『主が、ご自分のゆずりの地と民を治める君主とするため、あなたに油を注がれたのではありませんか。』」このようにしてサウルはサムエルによって油注がれイスラエルの王に任命されましたが、彼はそのことを信じることが出来ませんでした。なぜなら、自分の属するベニヤミン族はイスラエルの国の12部族の中でも小さな部族だったからです。サムエルが人々の前でサウルを王としたことを報告する時、このときも彼は、荷物の陰に隠れていたとあります。サムエルのことばを信じることが出来なかったからです。
10章27節「しかし、よこしまな者たちは、『こいつがどうしてわれわれを救えるのか』と言って軽蔑し、彼に贈り物を持て来なかった。しかし、彼は黙っていた。」とあります。サウルが王になるなど誰も信じられなかったのです。しかし、11章で、サウルはアモン人が攻めて来たとき、ヤベッシュ・ギルアデの人々を助け大勝利を治めました。11章12節13節「民はサムエルに言った。『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」サウルは言った。『今日はだれも殺されてはならない。今日、主がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださったのだから。』」こうしてイスラエルの民は、サウルをイスラエルの王として喜んで迎えたのです。
- サウル王の二つの罪と悲惨な死
サウルはイスラエルの王として順調な出だしでした。しかし、彼はしだいに高慢となり、神のことばよりも自分の考えを優先するようになりました。サウルはイスラエルの王として二つの罪を犯しました。一つは、ペリシテ人との戦いのとき、いけにえを捧げるために預言者サムエルを待っていました。しかし、彼の来るのが遅れ、民がペリシテ人を恐れてサウルから離れようとしているのを見て、彼自身が全焼のささげものと交わりのいけにえを捧げてしまいました。それは祭司のする仕事で、王がすることではありませんでした。13章13節14節「サムエルはサウルに言った。『愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じられた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されただろうに。しかし、今や、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。主があなたに命じたことを、あなたが守らなかったからだ。』」
もう一つの罪は15章で、神はサウルにアマレク人を聖絶するように命じました。しかし、サウルは神の命令に従いませんでした。15章9節「サウルとその兵たちは、アガグと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、これを聖絶しようとしなかった。ただ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのである」とあります。神はサムエルをサウルの所に遣わし、サウルの行いを非難しました。サウルはサムエルのことばに対して、神にささげるために良いものを連れてきましたと言い訳しました。22節23節「サムエルは言った。『主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。』」サウルは最後まで自分の罪を認め悔い改めませんでした。神は新しい王として羊飼いの少年ダビデを選び、彼に油を注いで、新しいイスラエルの王と任命したのです。サウル王はダビデを恐れ殺そうとしますが、ダビデは神に守られサウルの手から逃げ回りました。サウル王の最後は、ペリシテ人との戦に破れ殺されて悲惨な最期を迎えたのです。
サウルは初め、小さな部族(ベニヤミン族)である自分が王に選ばれたことを喜び、神のために熱心に働きました。しかし、しだいに高慢になり、神より自分の思いを優先する者となってしまいました。神は預言者サムエルを遣わし、サウル王に悔い改めのチャンスを与えましたが、彼はそれを拒み自分の罪を認めず悔い改めませんでした。その結果、サウルは神に退けられ、悲惨な最期を迎えたのです。
私たちが救いの恵みを受けたのも、私たちの力や良い行いによるものではありません。神の一方的、恵みによる救いです。どんな人にもこの救いの恵みは与えられます。また、悔い改めも神が私たちに与えてくださった神の恵みです。どんな罪を犯した人でも、自分の罪を認め悔い改めるなら赦されると聖書に記されています。ペテロはイエスが捕らえられて裁判にかけられた時、自分も捕らえられることを恐れ、イエスを知らないと、自分がイエスの弟子であることを公の前で否定しました。しかも、三度同じことを繰り返しました。しかし、イエスは復活してペテロに現れ、三度わたしを愛しますかと語りかけてくださいました。それは、神からペテロに与えられた、悔い改めのチャンスでした。ペテロは悔い改め、改めてイエスの弟子となったのです。パウロは初め神に対する熱心さのゆえに、キリスト教を迫害しました。しかし、イエスは復活した後、彼にも現れて、ご自分が死より復活されたことを示されたのです。パウロは自分の間違いを認め悔い改めました。そして、神より異邦人に伝道する使命が与えられたのです。多く赦さ者は多く愛すると聖書にあります。私たちの多くの罪は赦されています。また、神は弱い私たちのために悔い改めのチャンスを与えてくださいました。私たちはその大きな神の愛に応え、喜んで生きているでしょうか。