がんばる生き方から神に生かされる生き方

「がんばる生き方から神に生かされる生き方」コリント人への手紙第二5章17節

五月病という病があります。ただ、五月病という名は正式な医学名ではありません。五月に入って同じような症状を訴える人が多くみられるので、この名前で呼ばれるようになったそうです。日本の社会では、4月に入学、入社が始まります。多くの日本人が新しい環境に慣れようと努力する時期です。ネットで五月病について調べた時、五月病になりやすいタイプというのが五つあげられていました。

(1)真面目な人。(2)責任感のある人。(3)忍耐力のある人。(4)融通の利かない人。(5)理想の高い人でした。真面目な人は一生懸命新しい環境に慣れようと努力します。また、責任感のある人は、与えられた仕事を完璧にこなそうと努力します。また、忍耐力があるため、苦しみに耐えようと努力します。融通の利かない人は中々新しい環境になじめません。また、理想の高い人は、現実の姿と理想の姿のギャップに悩みます。その結果、心にストレスを抱えて、やる気を失い、無気力となり、会社や学校に行くことが苦痛になります。さらに、不眠、体調を壊してしまう人もいます。ほっておくと、うつ病にもなる恐ろしい病です。

五月病の予防として、(1)人とのコミュニケーションでストレスを軽減する。信頼できる人に悩みを打ち明ける。(2)食生活を気を付ける。栄養のバランスを考えて偏った食事を取らない。(3)質の良い睡眠を確保する。(4)オフの日は、仕事を忘れてリラックスする。体を動かしたり、読書や好きな映画を見る。(5)おかしいと思ったら早目に病院で受診を受けるということでした。

先程の、五月病になりやすいタイプ(真面目、責任感がある、忍耐力がある)というのは日本人の気質に当てはまる性格です。実は、私も五月病になりやすいタイプでした。小学生の時の私のイメージは、真面目、おとなしい、暗い、静かでした。何とかこの性格を変えようと、4月5月は、積極的に行動し、明るいイメージを持ってもらおうと努力するのですが、6月に入ると疲れが出て元の性格に戻ってしまう。毎年、そのことの繰り返しでした。社会に出ても同じように、4月5月は積極的に働きますが、その疲れが6月に出て、いつもこの時期は自分に失望し、つらい時期でした。自分で自分の性格を変えることは難しいことです。

しかし、神様に不可能なことはありません。先程の聖書の箇所で、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への第二の手紙5章17節)とあります。私は教会に来る前、人は努力して人を押しのけてでも上に立たなければならないと教えられて育てられました。人に自分の弱さを見せてはならないとも教えられました。人生とは自分の知恵と力で切り開いていかなければならないと思っていました。そんな時に、教会に連れてこられ、自分が生きてきた生き方とは違う生き方にであったのです。私たちは自分の力で生きているのではなく、神様に生かされている存在であることを教えられたのです。確かに、人間には限界があり、努力しても人生は思い通りになるわけではありません。私たちは自分の命を一日でも伸ばすことのできない弱いものです。しかし、神は違います。神は全てを支配し私たちの人生を支配されるお方です。神様と共に歩むのが本当の人生ではないでしょうか。

旧約聖書の偉大な預言者にエリヤという人物がいます。エリヤが聖書に登場するのは列王記の17章からです。この時、北イスラエルの国はアハブが王でした。彼はシドンの国の王の娘イゼベルを妻に迎えましたが、その時より彼女は自国の神々バアルの信仰を北イスラエルの国に持ち込んだのです。そのイゼベルの影響力は大きく、イスラエルの神を信じる者は迫害され、バアル信仰が北イスラエルの国を支配するようになりました。そのような危機的な状況に登場したのがエリヤです。エリヤはイゼベルに仕える450人のバアルの預言者とアシェラの預言者400人とに一人で戦いをいどんだのです。エリヤはバアルの預言者とアシェラの預言者たちに祭壇を築かせ、自らも祭壇を築きました。そして、それぞれが神様に祈り、天から火を下した神が真の神であることを証明しようと提案したのです。始めにバアルの預言者たちとアシェラの預言者たちが神に祈り始めましたが、何の変化もありませんでした。彼らは踊りながら互いに刃物で切りつけながらも自分たちの神々に祈りましたが、火は天から下りませんでした。しかし、エリヤがイスラエルの神に祈ると、火が天から下りエリヤの祭壇を燃やしたのです。イスラエルの民は驚き、エリヤの神こそ真の神であると信じ、バアルの預言者450人を捕らえ、キション川で殺してしまいました。怒ったのはイゼベルです。イゼベルは兵隊を遣わしエリヤの首をはねるように命じました。それを聞いたエリヤは自分の命を助けるために身を隠したのです。そして、エリヤは神様に自分の命を取ってくださいと祈ったのです。エリヤは一人で頑張りすぎました。それでもイスラエルの国は変わらず、自分はイゼベルに命を狙われている、この状況に失望したエリヤは神様に自分の命を取ってくださいとまで祈ったのです。

先程のがんばり信仰を思い出してください。一生懸命頑張っても思うような結果が得られないと人の心は失望に覆われます。何もやる気が起こらず、生きる希望を失います。また、それがひどい場合、エリヤのように死を願うようになるのです。この後、エリヤは神様によって養われ、神様との関係が深められ立ち直りました。先程の五月病の予防の所で、信頼できる人に相談するというのがありました。一人で悩みを抱えないで人に相談することによって重荷を軽くすることができます。しかし、人間の力には限界があります。しかし、神には限界はありません。人にはできないことも神にはできないことはありません。それを考えるなら、人に相談するより神様に相談する(祈る)方が、もっと心の重荷を下ろすことができるのではないでしょうか。確かに、目に見えない神様に頼るよりも、目に見える人間に頼るほうが確かなように思えます。しかし、そのために聖書があります。聖書は神様がおられ私たちのことを心配しておられると教えています。アブラハムの神は今も生きて働いています。信仰を持つとは、天国に入るために必要なことではありません。信仰を持つとはこの世の人生を豊かに生きるために必要なことです。天国は人生の終わりに与えられる神様からの恵みです。信仰が無くても、この地上でがんばって生きることはできます。しかし、もしその人生に疲れを覚え、新しい人生を歩みたいと願うならば、今、神様は私たちと共に歩んでくださいます。アブラハムの神、エリヤの神は同じように私の神となってくださるのです。それが信仰を持つという事です。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)