宴会に招かれた者と招かれなかった者

「宴会に招かれた者と招かれなかった者」ルカの福音書14章15節~24節

ルカの福音書14章では、食事会、宴会についての話が幾つか続いています。また、15節を見ると、イエス様と一緒に食卓に着いていた客がイエス様に言いました。「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう。」それを聞いてイエス様は16節からの宴会に招かれた人々の例え話をされました。それゆえ、この例え話は、救いについて、天国に招かれた人と招かれなかった人の例え話であることがわかります。

16節「ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。」とあります。ここで言われている「ある人」とは、神様を指しています。神様は私たちのために天の御国を備え招いて下さいます。この主人は、この宴会のために前もって招待をしていました。そして、準備が整ったので、しもべを遣わして17節「さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから。」と言わせたのです。18節「ところが、みな同じように断り始めた。」とあります。最初の人は、「畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。」もうひとりは、19節「五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。」また、別の人は、20節「結婚したので、行くことができません。」実は、ここで言われている宴会に招かれた人とは、律法学者、パリサイ人たちのことです。彼らは、熱心に神様に仕え、神様の戒めを守るように人々に教える人々でした。彼らは、旧約聖書を通して、神様から遣わされる救い主を待ち望んでいました。ところが、彼らが待ち望んだ救い主とはダビデのような偉大な王様、または、モーセがイスラエルの民をエジプトから助けだしたような偉大な指導者、彼らは、イスラエルの国をローマ政府から助け出すような救い主を待ち望んでいたのです。ところが、神様がイスラエルの民に遣わされた救い主は、無学な、大工のせがれイエス様でした。律法学者パリサイ人たちは、誰もイエス様を救い主とは信ぜず、神を冒涜した者として十字架に付けて殺してしまったのです。

せっかく、宴会を準備したのに、招待を断られた主人はどうしたでしょう。21節「急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者やからだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。」ここで言われている「貧しい者やからだの不自由な者」は、普段は宴会に招かれない人々です。招かれる資格のない人とも言えるでしょう。しかし、主人は、宴会に招いていた人々がこないので、しもべに通りに出て行って、誰でもいいから招くように命令しています。それでも、まだ、席が余っていますと、しもべは主人に報告しました。すると主人はしもべにこのように言いました。23節「街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。」「無理にでも人々を連れて来なさい。」とあります。それが伝道です。29年前、私は、代々木公園を歩いているときに伝道されてクリスチャンになりました。あの時、代々木公園で、外国人がパントマイムをしていました。多くの人々が集まって彼らのパントマイムを見ていました。私も彼らのパントマイムを見て興味を持ち写真を撮っていたのです。その時、彼らのリーダに声をかけられ、教会のゴスペルコンサートに誘われて、始めて教会に足を踏み入れたのです。私の周りには、教会に関するものは何もありませんでした。そういう意味では、私は、天国に招かれない者でした。しかし、彼がむりやりに教会に連れて行ってくださったので、今は、天国に招かれた者となったのです。

神様のご計画は、アブラハムの子孫、ユダヤ人を通して、人々を救うことでした。それゆえ、救い主であるイエス様をユダヤの地に誕生させたのです。しかし、彼らは神様の招きに背を向けたのです。彼らは、イエス様による救いよりも、自分たちが神様の戒めである律法を守ることによって救われる道を選んだのです。それゆえ、救いはユダヤ人の嫌う異邦人へと向けられたのです。彼らは、救われる資格を与えられていましたが、彼らがその資格を拒んだので、救いは、資格のない者、貧しい者や罪人へと向けられたのです。

このことは、クリスチャンである私たちにもあたります。親がクリスチャンだから、その子もクリスチャンというわけではありません。牧師、宣教師の子だから救われるというものではありません。私たち一人一人は、個人的に神様と契約を結ばなければなりません。それが、洗礼です。神と人間との契約は、結婚に例えられます。正式な夫婦になるためには、結婚届けにサインをしなければなりません。私たちがクリスチャンになるという事は、イエス様を真の神として生涯信じ続けることを誓います。それが洗礼式です。神様がモーセに与えられた十戒の一番初めの戒めが、偶像礼拝の罪です。偶像礼拝は、神様との誓を破る行為です。それゆえ、十の戒めの中で一番重い罪とされているのです。

ユダヤ人以外の民族は、全て、天国に招かれない者でした。しかし、イエス様が十字架で死んで復活されることによって、誰でも、イエス・キリストを救い主と信じるなら、天の御国に入ることができるようになりました。救われるのに資格はいりません。ただ、神様の招きに応じるだけです。あなたは、この神の恵みに応じる者でしょうか。神の招きに背を向けるものでしょうか。