恵みの雨

 

6月は雨の日が多い月です。一般の人にとって、雨の日はうれしいものではありません。また、雨の日が続くと精神的に、うつ傾向になりやすくなります。しかし、農家にとっては「恵みの雨」と言うことができるのではないでしょうか。農作物を育てるのに雨は不可欠な天候です。もちろん雨の日が長く続くことによって作物への影響があり、凶作にもなりえます。程よい日光と雨は作物を育てるには欠かせない要因です。しかし、それは人間の努力の及ばない領域で、それこそ神様の力(恵み)に頼るしかありません。自然に対して人間の力は無力です。

私たちの人生においても同じことが言えるのではないでしょうか。どんなに頑張っても思い通りの人生を歩む人はいません。家庭的には恵まれても仕事に恵まれない人もいれば、反対に、仕事は恵まれても家庭に問題がある人もいます。また、まじめに働けば報われるかと言うと今の社会はそうではありません。不正を行って出世し、財産を蓄える人もいれば、まじめに働いても、病気や事故で、健康に恵まれない人や大切な家族を失う人もいます。まじめに働くことが馬鹿らしくなり、不正に手を染める人もいます。皆がやっていることだから、自分さえよければかまわないと言う人が増えています。

私たちは、自然や社会を変えることができなくても、自分の心の持ちようを変えることはできます。雨の日をうっとうしいと思いがちですが、雨の日だからできる、楽しいことを考えてみてはいかがでしょうか。むかし見た映画で、小さな女の子が赤い長靴を買ってもらい、雨の日に外で喜んで遊んでいる場面を見たことがあります。私たちが子どもの頃はそのような時があったのではないでしょうか。病気の時だって、普段できないことができるかもしれません。今なら、コロナ禍だからできることもあるかもしれません。要は、想像力の問題です。楽しいことを想像することも、暗いことばかりを考えるのもその人自身の心の持ちようです。

人生思い通りにならないなら、神様に頼ってみてはいかがでしょうか。神は、私たちを愛し、親しい関係を持つことを願っています。神は宇宙の力のように、意志や人格のない存在ではありません。私たちの目で神の姿を見ることはできませんが、神は人格を持ち、私たちが望むならば、親しく交わることができる存在です。神はご自身のことを私たちに教えるために私たちに神のことば聖書を与えてくださいました。私たちは聖書を通して神にについて知り、親しく交わることができます。神について、聖書についてお知りになりたい方は、ぜひ一度、教会にお越しください。お待ちしております。