ペテロの生涯(2)ペテロの信仰告白

マタイの福音書14章23節~33節・16章13節~23節

先週はイエスとペテロとの出会いについて学びました。今日は、湖の上を歩いたペテロとペテロの信仰告白から学びます。

1、湖の上を歩くペテロ(マタイの福音書14章23節~33節)

聖書の中にはイエスが行われた奇蹟の話がいくつか紹介されています。ここで私たちが気を付けなければならないことは、イエスがなされた奇蹟には意味があると言うことです。ただ単に人を驚かせるため、また、奇蹟を行うことによって自分の力を人々に見せるためではないということです。それどころか、イエスは奇蹟(癒し)を体験した人々に、そのことを伝えないように戒めています。それは、人々がイエスの奇跡を通して間違ったメシヤ(救い主)の姿を与えないようにするためでした。

マタイの福音書14章15節~21節に五つのパンと二匹の魚で、男性だけで五千人以上の人々のお腹を満腹にしたお話が記されています。この奇跡は四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)に記されています。マタイの福音書14章22節には「それからすぐに、イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ、その間に群衆を解散させられた。」とあります。なぜイエスは、弟子たちを先に舟に乗せて出発させたのでしょうか。ヨハネの福音書6章15節「イエスは、人々がやって来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、再び一人で退かれた。」とあります。五つのパンと二匹の魚で満腹にされた人々は、イエスを旧約聖書で約束された預言者、メシヤと考えたのです。彼らは、イエスをローマの支配からユダヤの国を助け出してくださるお方と期待したのです。そこで、イエスを王に祭り上げようとしました。イエスはそのような動きに弟子たちを巻き込まないために、先に舟に乗せ向こう岸に渡らせ、自分は群衆から身を退かれたのです。群衆はこの奇跡を通して、イエスをローマの支配から助けだす王であり、救い主ではないかと期待しました。しかしそれは、イエスの近くにいた弟子たちも同じではなかったでしょうか。それゆえ、イエスは弟子たちの誤解を解くために、湖での奇蹟を弟子たちに体験させられたのです。

湖の上を歩いてイエスが弟子たちの舟に近づいて来られた話は、マタイの福音書、マルコの福音書、ヨハネの福音書に記されています。弟子たちは先に向こう岸に出発したのですが、

波が荒れ、強風のためにこぎあぐね、なかなか先に進むことができませんでした。そんな時にイエスが湖の上を歩いて舟に近づいてきたのです。弟子たちはイエスを見て幽霊だと思い恐れたとあります。そして、イエスが舟に乗り込むと、風と波が静かになり、すぐに目的地についたとあります。ここで、イエスが弟子たちに教えたかったことは、ご自分の権威です。人々は、イエスの奇跡を体験し、ローマの軍隊を追い出し、ユダヤを独立させる王にイエスが成るのではと期待しました。しかし、イエスはそのために生まれた方ではありません。イエスは神が人としてお生まれになられたお方です。そこで、イエスは神よりの権威(風と波を鎮める)自然を支配しておられるお方であることを弟子たちに示されたのです。

また、マタイの福音書では、ペテロはイエスに大胆なお願いをしています。マタイの福音書14章28節「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください。」イエスは彼に「来なさい」と言われました。29節「そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。」30節「ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので『主よ、助けてください』と叫んだ。」31節「イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。『信仰の薄い者よ、なぜ疑うのか』」この出来事はマタイの福音書だけに記されています。また、この出来事は、ペテロの性格をよく表した出来事ですが、この出来事は私たちに何を教えているのでしょうか。ペテロはイエスのことば(権威)を信じているとき、水の上を歩くことができました。しかし、周りを見て(風や波)を恐れたとき、沈みそうになったと言うことです。それは、イエスの権威を信じる時、どんな問題も小さく見えます。しかし、イエスの権威を疑うとき、この世の力が大きく見えてくるといことです。また、私たちがこの世の権力を恐れイエスに助けを求めるなら、イエスは必ず助けてくださると言うことではないでしょうか。

2、ペテロの信仰告白(マタイの福音書16章13節~23節)

マタイの福音書16章13節においてイエスは弟子たちに「人々は人の子(イエス)を誰だと言っていますか」と尋ねられました。弟子たちは14節「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。また、ほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だと言っています。」と答えました。そこでイエスは彼らに15節「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」尋ねられました。ペテロは弟子たちを代表して言いました。

16節「あなたは生ける神の子キリストです。」それを聞いてイエスは彼に言われました。

17節「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。」イエスは弟子たちの信仰を試すために、この質問を弟子たちにされたのです。ペテロの答えは、イエスを満足させる答えでした。しかし、それは、ペテロの考えではなく、天におられるわたしの父の力によると言われました。イエスを神の子と信じることは血肉(人間の力)では不可能なことです。このとき、イエスは弟子たちに20節「ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならないと、命じられた。」とあります。また、21節「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」するとそれを聞いてペテロはイエスをいさめたとあります。22節「するとペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。『主よ。とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。』」ここに先ほどの信仰告白がペテロの考えから出たことではないことが証明されています。彼は依然として、イエスが地上の王になることを期待していたので、イエスにそんなことが起こるはずがありませんとイエスをいさめたのです。イエスはペテロに言われました。23節「しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。『下がれ、サタン。あなたはわたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことをおもっている。』」イエスは決してペテロがサタンだと言っているわけではありません。ペテロの考え自体(神の計画をはばむ考え)をサタンの考えだとペテロの行為を批判されたのです。

3、信仰告白について

信仰告白とは、私たちが信じている神がどのような神であるかを告白することです。私たちは毎週礼拝の中で、使徒信条を告白しています。使徒信条は私たちが何を信じているかを短くまとめた告白文です。その文章の中で、(1)私たちが信じる神は、天地の創り主、全能の神、父なる神であることを告白しています。また、(2)イエスが神の子であることを告白しています。(3)イエスは聖霊により処女マリヤから生まれたこと。(4)ピラトにより苦しみを受け十字架に付けられ死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえられたこと。(5)天に昇り、父なる神の右に座しておられること。(6)生けるものと死にたるものを審く方。(7)私たちのからだのよみがえりと、永遠のいのちを信じる。

これが使徒信条の内容です。このことすべてを信じることは人間の知恵、力では信じることはできません。私たちはペテロのように、天の父の助けを得て、はじめてこの使徒信条を信じて告白できるようになるのです。