人はなぜ神に祈るのか

 

2023年が始まりました。今年はどのような一年になるでしょうか。多くの日本人がお正月に初詣に出かけます。私の家もクリスチャンの家庭ではなかったので、毎年、近くの神社に家族で初詣に出かけました。しかし、私が中学三年生の時に、ある事を通して初詣に行くことをやめました。そのある事とは、その神社が何の神様で何を祀っているのかを知ったからです。その神社は子宝の神社で、男性のシンボルを形どった大きな木が祀られていました。私はそれまで、何の神様か知らずに、健康が守られることや学校の成績が上がるように毎年お祈りしていました。しかし、その神社が子宝の神様を祀る神社であることを知り、今までの祈りがむだな祈りであることを知り、その神社に行くことをやめたのです。

多くの日本人は、神様なら何でも良いと手を合わせて拝む習慣があります。はたしてそれで良いのでしょうか。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は旧約聖書を土台として、天地の創造主なる神だけを信じる信仰です。聖書を見るなら、神は六日間で天地を創造し、人をご自身(神)に似せて創造されたと記しています。神がご自身に人を創造されたというのは、外見を似せてという意味ではありません。神に近い者、神とコミュニケーションが取れる者として特別に創られたという意味です。確かに、他の生き物はどんなに賢くても神を崇めることはありません。神を崇め礼拝できるのは人間だけです。私たちは祈りを通して神に近づき、神と対話することが許された唯一の生き物です。キリスト教において、祈りとは、一方的に神にお願いすることではなく、神とコミュニケーションを持つことです。しかし、人間は罪を犯し、この神様との親しい関係を失ってしまいました。それゆえ、多くの人々が、神を求めて、色々な物を神として祭るようになってしまいました。この罪の問題を解決するために生まれたのが、神の子イエス・キリストです。イエス・キリストは神の子でありながら、神の姿を捨てて人として誕生し、私たちの罪の身代わりとして十字架の上で命を犠牲にしてくださいました。神は、イエスを神の子と信じる者の罪は、イエスの十字架の死によって赦すと約束してくださいました。私たちはイエスの死によって神との親しい関係を回復することが出来たのです。その神が私たちを愛していると聖書に記されています。私たちはどのような神を神として信じるべきでしょうか。この事についてもっと知りたい方は教会にご連絡ください。皆様の祝福をお祈りします。