偏見と差別 2025年8月号
新約聖書に「異邦人」ということばが良く出てきます。異邦人とはユダヤ人以外の民族を指しています。ユダヤ人は、自分たちはアブラハムの子孫で神に祝福された民族であり、それ以外の民族は汚れた民と信じていました。それを「選民思想」といいます。それゆえ、ユダヤ人たちは異邦人と交わることを禁じ、また、異邦人と交わると汚れを受けると信じていました。
マタイの福音書7章3節~5節「あなたがたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁(はり)には、なぜ気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。」このことばは、イエス・キリストが群衆(ユダヤ人)に対して語ったことばです。このことばは「目の中のちり」と「目の中の梁」を対比的に用いたことばです。「目の中のちり」は小さなものです。しかし、「梁」とは、丸太のような大きなものです。私たちは自分の目の中には「梁」のような太い丸太がありながら、相手の目の中の「小さなちり」を取らせてくださいと言う者です。そうして、自分に不都合なことは棚に置いて、相手を批判し、色眼鏡で見て、差別しやすい者です。イエス・キリストは群衆に自分の目から「梁」を取り除けなさいと言いました。それは、相手に対する偏見や偏った考え方で、相手を差別するなということです。
また、律法学者パリサイ人たちは、貧しい人々や取税人を罪人と呼び、彼らに近づきませんでした。しかし、イエス・キリストは、貧しい者や取税人の友となりました。それは、神が貧しい者を愛しておられることをイエスが知っておられたからです。逆に律法学者パリサイ人たちは、自分の行いの正しさを誇り、自分こそ義人(正しい人)と誇り、貧しい人々を蔑んでいました。結局、彼らは神から離れ、自己満足の生活を送っていたのです。
私たちも、偏見や差別の世界で生きています。それゆえ、私たちは自分の目から梁を取り除き(偏見を捨て)正しい目で、人々を公正に見ていきたいと思います。