安息日(あんそくにち)ということばをご存じですか

今でこそ、日曜日の休みがあたりまえですが、昔の日本では、そのような習慣はありませんでした。それこそ、お店の使用人の休みと言えば、お盆と正月と決まっていました。それが明治に入り欧米の文化を取り入れるとともに、日曜日の休みが導入されるようになりました。しかし、なぜ、欧米では日曜日に休むようになったのでしょうか。

先ほどの「安息日」ということばは、旧約聖書の創世記に記されている天地創造に起源があります。神は、天地すべての創造の御業を六日間で完成されました。そして、「神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それはその日に、神がなさっていたすべての創造のわざをやすまれたからである。」(創世記2章2節3節)とあります。神は七日目を祝福し聖なる日とされました。その後、イスラエルの民がエジプトを出た後、モーセは荒野において、神より十の戒め「十戒」を授かり、人々に神の戒めとして教えました。その十戒の中に「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたがたの神、主(神)の安息である。なたがたはどんな仕事もしてはならない。-あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人もーそれは主(神)が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主(神)は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」(出エジプト記20章8節~11節)その教えに従ってユダヤ教では、金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日と定め、どんな労働も禁止しています。また、彼らは土曜日に礼拝をささげています。キリスト教では、旧約聖書と新約聖書を神のことばと信じています。しかし、キリスト教では、イエス・キリストが死より復活した日曜日を新しい安息日として礼拝を守っています。欧米の人々が日曜日を休みとしたのは神を礼拝するためでした。しかし、明治政府は、欧米の文化を取り入れる時、形だけ日曜日の休みを取り入れただけでした。確かに体のために日曜日に休みを取ることは大切なことでしょう。しかし、私たちは体だけが疲れるわけではありません。体も心も疲れているのではないでしょうか。欧米の人々は、体だけではなく、心も休めるために、日曜日に教会を訪れ、神を礼拝し、心に安らぎを得たのです。あなたの心はいかがでしょうか。現代はストレスの時代です。心の病やストレスを感じている人がたくさんいます。ぜひ、そのような方は教会にお越しください。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(キリスト)のところに来なさい。わたし(キリスト)があなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)