永遠に変わらない神の愛

 

2月14日はバレンタインデーです。女性が好きな男性にチョコレートなどを贈り、感謝の気持ちや愛を伝える日となっています。男女の純粋な愛は美しいものですが、壊れやすく、一度こじれると、愛情が憎悪に変わることがあります。愛する者に裏切られた時、人は殺人さえ犯します。結婚式で永遠の愛を誓いますが、どれほどのカップルが永遠の愛を持ち続けることができるでしょうか。まったく違う二人が、一つの家で暮らすわけですから、さまざまな問題が起こり、いつの間にか、最初に誓った愛は忘れてしまうことが多いのではないでしょうか。結局、人間の愛は自己中心的で、ギブアンドテイク(自分が愛する以上に相手の愛を要求する)の関係でしかありません。

それに比べ母親(父親)の愛は、一方的に与える愛です。親は将来、子どもに養ってもらうために子育てするのではありません。子どもを育てて将来、金儲けに利用しようとして子を育てようとする親はいません。親にとって子は、愛の対象であり、自分の子ゆえに、無償の愛(見返りを求めない愛)を与えます。もちろん、親の中には、子供を虐待したり、育児放棄したり、支配的な愛を強要する親もいますが、基本的には、親は子供のためには、自分のいのちを惜しまないほどの愛情を持っています。

新約聖書が書かれた時代、「愛」と言う言葉は、ギリシャ語で三つの単語に使い分けられていました。男女の性的な愛には「エロス」という単語が、家族や兄弟の愛には「フィレオー」という単語が、そして、神の愛には「アガペー」という単語が使われていました。神の愛は、親の愛と同じように一方的に与える愛で、見返りを求めない愛です。しかし、親の愛と違うところは、神の愛は「罪人を愛する愛です」神は、正しい人や価値のある人を愛するのではなく、良い人も悪い人も含めてすべての人を愛する愛です。

その証拠が「十字架の死」です。イエス・キリストは神の子でしたが、私たちの罪の問題を解決するために、マリヤという女性の体を通して人として誕生されました。それは、神の姿では死ぬことができなかったからです。イエス・キリストは一度も罪を犯しませんでしたが、ユダヤ教の指導者の妬みによって、十字架に付けられて殺されてしまいました。しかし、それも神の計画で、神は人のすべての罪をイエス・キリストに背負わせ、十字架でいのちを奪うことによって、私たちの罪の代価を支払い、神の刑罰より私たちを解放してくださったのです。また、イエス・キリストは死より三日目に復活して天に昇って行かれ、今も、父なる神と共に生きておられます。私たちは、イエスを神の子と信じる信仰によって罪赦された者となり、天国に住まう者とされました。神は、イエスの十字架の死によって、ご自身の愛を私たちに示してくださいました。また、イエス・キリストは死より復活することによって、私たちに永遠の愛を表してくださったのです。